♢


 霊媒師のお母さんの予期せぬ登場により、待つより他なかった。


「お兄ちゃん、足元に気を付けてよ?」

 家から少し離れたところでしばらく待っていると、杏子ちゃんと来衣先輩が玄関から一緒に出てくるのが見えた。お兄ちゃんを気遣っている杏子ちゃんはしっかりしていて、とても小学生には見えない。

「あ、」
「……な、んで? こんなところに未蘭がいるの?」

 私のことが視える二人は同時に私に気づいた。来衣先輩は顔を歪ませながら言葉を綴る。その表情に胸の奥がちくりと痛かった。その表情をさせてしまったのは私のせいなのに、分かっていても胸が痛い。

 昨日は「もう会えない」と一方的な別れ方をしたのに、自分からのこのこ現れて……来衣先輩が困惑しているのは当然だ。

 少し遠目から私たちを観察していた杏子ちゃんは、私の目の前まで来るとゆっくり口を開いた。

「杏子、まだ全部は信じられなかったけどお兄ちゃんの様子を見たら、未蘭さんのこと信じることにした……昨日帰ってきて元気なかったのは未蘭さんのせいってわかったから」

 私と来衣先輩の顔を交互に見て、何かを察したように息を吐いた。零すその言葉は小学生の言葉とは思えない。口調も言葉選びも大人びていた。

「未蘭さん、学校終わったらうちにきて。……学校では、まあ、自分で頑張ってよ」

「う、うん」

「なんだよ? 杏子と未蘭って、初めましてだよな?」

「お兄ちゃん、杏子、未蘭さんと友達になったの。遊びたいから、学校終わったら一緒に帰ってきてね?」

 彼女が突拍子もないことを言うので驚いた。杏子ちゃんは無垢な瞳で私を見つめる。その瞳から悪気がないのが伝わる。手を引っ張り来衣先輩に聞こえない位置まで移動した。彼に聞こえないように小声で問いかける。

「あ、杏子ちゃん、友達って? あの言い方だと……来衣先輩、誤解しちゃわないかな?」

「未蘭さんが生きてるって?」

 その言葉は現実を突きつけられるように、グサリと刺さる。

「だって、お兄ちゃん、未蘭さんが幽霊って気づいてないじゃん。このままお兄ちゃんの前だけは生きてる人として接すればいいよ」

「……でも、」

 杏子ちゃんの提案に即答できないのは、これ以上来衣先輩を傷つけたくなかった。それに私自身も嘘をついている罪悪感が募り心も苦しかったのだ。

「じゃあ、『幽霊です。今まで生きてる人のふりして近づいてごめんなさい』とでも言えば? 未蘭さんの目的はお兄ちゃんを助けることでしょ? だったら、嘘の一つや二つ、ついたって気にしなきゃいい」

 彼女の言葉に見事に論された。杏子ちゃんの言うことはごもっともで、納得しかできない。本当に小学生だろうか? 疑問が大きくなる。

「実は、数日前から未蘭さんの話聞いてたの。ずっと覇気がなかったのに、いきなり元気になったから何かあったの? って聞いたら『灯りがついてる子に出会った』ってすごく嬉しそうにね」

「……」

「灯りがついてるように見えるって聞いた時点で、それ幽霊じゃない? って思ったんだけど。嬉しそうに話すお兄ちゃんの顔見たら、言えなかったのよ。昔のように・……目が見えた頃みたいに、心から笑ってる笑顔だったから」

「……そっか」

「だから、杏子は未蘭さんに協力する! 杏子さ目が見えなくても、お兄ちゃんが大好きなんだ。いなくなったら困るもん」

 そう言い残すと小学校へと向かう道へ小走りで走っていった。小さい背中に不釣り合いな大きめなランドセルを背負う背中はみるみる小さくなる。

 私のことが視える来衣先輩。その彼の守護霊代行を、どうやって行うか悩んでいた。妹の杏子ちゃんのおかげで不審がられずに近くにいられることになった。
 
 杏子ちゃんと別れた私は、来衣先輩と二人で歩いている。どちらとも口を開くことなく無言のまま気まずい空間が流れた。

 『もう、会えません』自分から言ったはずなのに、来衣先輩とまた会えて嬉しいと思ってしまう自分がいた。言っていることと、自分の気持ちが矛盾している。自分のことながら、本当にどうしようもない。

 ただ、今の私にしかできることがある。
 それは来衣先輩を「死」から守ること。
 好きな人を絶対死なせたくない。と心に誓った。



「来衣先輩……あの! ……っ、死……」

「……し?」


 もしも来衣先輩が自殺しようと思っているなら、止めなければならない。確認しようと口を開いたが、直接的過ぎる言葉は飲み込んだ。

「……し、っ……し、小学生なのに、大人びてますね。杏子ちゃんは」

「あー、昔からしっかりしてるんだ。俺が病気になってからは、余計にな」

 咄嗟に誤魔化したが我ながら苦しい。
 
「そ、そうなんですね……」

 本当は今すぐ切り出して聞きたい。
 しかし自殺しようと考えている人に、直接的に聞くことが正解なのかもわからない。難題すぎて答えは見つからない。

「正直さ、今日未蘭が待っててくれて、めっちゃ嬉しかった……。もう、会えないと思ったら……また目の前が絶望に包まれたようだった」

「ご、ごめんなさい。昨日あんなこと言ったのに、のこのこと会いに来て」

「俺は嬉しいよ? 拒絶されたと思ってたから」

 無理に愛想笑いをする彼を見て、一方的に告げた昨日の自分に後悔する。そして私の存在が来衣先輩が死ぬ理由に関わってるのかもしれない。その懸念がより一層強まる。


「来衣先輩、私……! 来衣先輩には生きていてほしいです」

「……は? いきなりなに? 俺、死ぬの?」

「だって……」

 今の状況を説明できないのがもどかしい。単刀直入に言いたいけど、これ以上傷つけたくない。

 悩んでいるうちに辺りは登校する生徒たちで溢れかえっていた。周りの人には私の姿が視えない。今来衣先輩と話をすれば独り言をずっと言っている状態となってしまう。このままでは白い目で見られかねない。慌てて距離を置くことにした。

「……えと! 来衣先輩、一人で行けますか?」

「あー、友達と待ち合わせ?」

「あー、そ……そんな感じです(本当は違うけど)」

「杏子が遊びたいって言ってたし。未蘭の迷惑じゃなければ、今日一緒に帰っていくれる?」

 問いかけが優しくて、たどたどしさが言葉を選んでいるように感じた。来衣先輩から強引さが薄くなったように感じるのは、きっと私が昨日拒絶したからだ。以前の強引さがなくて、なんだか寂しい気持ちになる。本当に自分勝手だ。


「……はい。来衣先輩がよければ」

「俺はいいに決まってるだろ? じゃあ、放課後……未蘭の教室に迎えに行く。二年何組?」

「あー、いや……えっと。わ、わ、私が迎えに行きます。きっと、二年の方が終わるの早いんで」

「三年の教室に来るの嫌だろ?」

「いや、そんなことないです! ……む、むしろ行きたいです!」

「そ、そうか? じゃあ、待ってる」

 来衣先輩が私のクラスに来て『早川未蘭いる?』なんてまた問いかけたら、いよいよおかしい人と噂を立てられてしまう。強引ではあるがなんとか阻止できた。


 ♢


 この日は来衣先輩に見つからない場所に隠れながら、一定の距離を保ち見守りを続けた。


 予想はしていたつもりだったが、来衣先輩の日常は大変なものだった。



「危ない! 机の角にあたりそう!」
「危ない! 白杖を使うのにゴミが散乱している」
「危ない! 前から歩いてくる人、話に夢中で来衣先輩のことが見えてない」

 目の見えない来衣先輩は常に危険と隣り合わせだった。

 客観的に見る光景に衝撃を受けた。
 私は生まれた時から目が見えるのが普通で、それが当たり前だった。

 目の前で危険と隣り合わせの来衣先輩を見て、本当の辛さを分かっていなかったと実感させられる。見えない世界で健常者と同じ生活をするのがどんなに大変か。

 今、重々と感じた。

 危険な時は来衣先輩の視界に入らないように、後ろからそっと手を伸ばして障害になるモノをよけた。気配を感じ取られないように、手助けをして。次の瞬間には瞬時にその場から逃げた。

 できればこのままずっと手助けをしたい。そう思うほどに来衣先輩のことが心配になった。
 数えきれない危険を超えて放課後の時間を迎えた。


 人気のないことを確認して、来衣先輩の教室を覗き込む。

 窓側の席に座っている来衣先輩は、窓から入る光を感じるように窓の方を向いていた。横顔があまりにも綺麗で見とれるほどだ。
 
「……来衣先輩、一緒に帰りましょう」

「……! 帰ろうか」

 来衣先輩に声をかけると、肩がぴくっと震えた。いきなり声をかけたから、視覚を感じることのできない彼は驚いたのだろう。

 その動作を見てもっと気を使って声をかければよかった。自分の配慮のなさに落胆する。

 私の声に反応して顔をあげた来衣先輩は、無表情だった顔がぱっと明るくなる。

 今起きている状況がドラマのワンシーンのように感じた。「放課後の教室で待ち合わせをして帰る」それはずっと憧れていたシチュエーションだ。気恥ずかしさと、嬉しさで胸がいっぱいになる。

 コツコツと白杖の音を響かせながら、学校の廊下を来衣先輩と肩を並べて歩いた。今日は金曜日。残りの仕事はあと2日。私が桜ヶ丘高校の廊下を歩くのはこれが最後かもしれないということだ。

 傍から見れば来衣先輩がゆっくり一人で歩いているようにしか見えない。でも確かに来衣先輩は私と肩を並べて歩いているのだ。

 私たちだけの事実で、
 私たちだけの秘密だ。

 来衣先輩の家までの帰り道をゆっくりと歩いた。昨日の話はどちらからも触れずに、なにごともなかったかのように楽しい話をして歩いた。


「……お、お邪魔します」

 昨日は無断で忍び込んだようなものなので、改めてお家に上がらせてもらうのは緊張する。通されたリビングは、白とベージュを基調としていて暖かみを感じて居心地がよかった。


「お兄ちゃん、未蘭さん、お帰りなさい」

「杏子ちゃん!」

 先に帰っていた杏子ちゃんは、とびきりの笑顔で出迎えてくれた。その笑顔にとても癒される。私が幽霊だと知っているので、彼女の存在は心強かった。

「未蘭さん! 杏子のお部屋に行こう?」

「……え、あ、うん」

「お兄ちゃんはリビングで待っていてね? ガールズトークしてくるから」

「はあ? さっそくかよ。未蘭、杏子に付き合わせて悪いな」

 ふくれっ面をして拗ねたような顔を見せた。その表情が可愛くて胸の奥が疼く。

 名残惜しいが誘導されるまま杏子ちゃんの部屋へと移動した。

 一息ついて杏子ちゃんは口を開いた。


「……単刀直入に聞くけど、お兄ちゃんが死亡予定者リストに載ってる話、詳しく説明してもらえる? にわかには信じられないよ?」

「う、うん。死後の世界には死亡予定者リストってものがあるみたいで、昨日まではなかったのに急に来衣先輩の名前が載ってたの」

「なによ……それ。死ぬはずじゃなかったのに、急に死ぬことなんてあるの?」

「まれにあるらしいけど、珍しいって。私の仕事は明後日までなんだけど、残りの時間を使って死亡予定者リストから除外するのが任務なんだ」

「急にってことは病気なはずないし、不慮の事故か自殺しかないよね」

「……そうなんだよ」

 半信半疑で話を聞いて、瞬時に理解し考察まで出来るなんて。杏子ちゃんが小学生だとは思えない。高校生の私でもこの話を聞いたら戸惑うことしか出来ないだろう。完全に精神年齢が負けている。

「私がいうのもなんだけど、幽霊で怪しい存在の私の話をすんなり受け入れてくれて……考察まで出来るなんてすごいね」

「未蘭さんは嘘つけるタイプじゃなさそうだし? 信じられると思ったから。それにお兄ちゃんを助けるためだもん」

 スムーズに成り立つ会話に違和感がなさすぎて、とても小学生と話してるようには感じなかった。

「昨日さ、お兄ちゃんと未蘭さん、なにかあったでしょ?」

「うっ、うん」

「それが原因ってことはない?」

「……それは私もちょっと考えてた」

「だいたい察しつくけどさ……お兄ちゃんのこと振ったり、拒絶したりした?」

 言い当てられて申し訳なさが込み上げた。わかりやすく顔が歪んでいく。

 杏子ちゃんの発言は、毎回的を得すぎて驚きを通り超えて感心をする。小学生の仮面を被った大人だと言われても違和感はないほどだ。


「だって昨日のお兄ちゃん。病気が発覚した時くらい落ち込んで出てさ。数日前までは昔のお兄ちゃんみたいに明るくて機嫌よかったのに」

 数日前と聞いて私と出会ったからなのかな。なんて、自意識過剰にそんなことを思った。

「はあ、お兄ちゃんが明るくなったり、落ち込んだりするのって、未蘭さんのせいってことだよね」

「……っ。ごめんなさい」

「いや、攻めてるわけじゃないのよ? お兄ちゃんが悪いんだもん。あんなに女のことでメンタルが左右される男だとは思わなっくて、がっかりよ」

 深いため息を吐きながら零す。杏子ちゃんと喋っているとどちらが年上なのかわからなくなってくる。


「お兄ちゃんが死にたいと思っているとしたら、生きたいと思わせればいいんじゃない?」

「……そうなんだけど、どうやって……? いい考えが浮かばないの……」

「お兄ちゃんの好きな人は未蘭さんなんだから! 生きていく力になる思い出を作ればいいじゃん!」

「思い出?」

「その思い出があれば心が強くなるような」

 そんな素敵な思い出を私に作れるだろうか。ただ今だけ取り繕って自殺を回避できても、私が原因ならいなくなった後にまた同じ問題が起きてしまうかもしれない。それでは意味がない。

 私がいなくなった後も、死にたいなんて思ってほしくない。
 来衣先輩には穏やかで幸せだと思える人生を歩んでいてほしい。

 

 ――コンコン。
 考え込んでいると部屋のドアをノックする音が耳に届く。
 ドアはゆっくり開いて、現れたのは来衣先輩だ。

「……未蘭、遅くなる前に送っていくよ?」

 杏子ちゃんと話し込んでいるうちに、だいぶ時間が過ぎていたらしい。来衣先輩は私の帰りが遅くなるのを心配してくれたのだ。ただ今の私に帰る家と門限はない。ゆえに返答にこまってしまう。言葉に詰まっていると私の代わりに杏子ちゃんが口を開いた。
 
「お兄ちゃん、杏子ね。未蘭さんと明日も遊びたいな。未蘭さんに泊ってもらってもいい?」

「それは……未蘭が困るだろ?」

「わ、わたしは、来衣先輩がよければ……」

 杏子ちゃんの助け舟に「杏子ちゃん、すごく有難い。ありがとう」そう心の中でお礼を告げた。

「俺は構わないけど……なんか、ごめんな。杏子のわがままに付き合ってもらって。じゃあ、母さんにも許可とってくるか」
「お、お、お、お兄ちゃん! それは、杏子がお母さんに言ってくるからさ……」

 お母さんに私のことを知られては困る。察した杏子ちゃんが来衣先輩を止めてくれた。彼女の気遣いには頭が上がらない。

「え? 杏子が?」
「う、う、うん! だ、だ、大丈夫。ママには杏子が説明するから。ね?」

 少し考えながらも、来衣先輩は承諾して頷いた。霊媒師のお母さんはおそらく私が視えるだろう。そして状況を説明したとして、信じてくれる可能性は低い。

 なんなら、杏子ちゃんをたぶらかしている幽霊と思われる可能性が高い。
会った瞬間に消されかねないとさえ思う。想像は加速して、恐怖の寒気が背中を走る。