スマホのバイブレーションが鳴る。何事かと慌てて画面を見ると、心臓がドキリと音を立てた。【呼び出し】そう表示されていたからだ。4文字の文字を見て、どくどくと心臓は大きく鼓動した。思ったよりも取り乱さずにいられたのは、心のどこかで覚悟していたのかもしれない。

 すぐに身体に異変が現れた。自分の指先がどんどん霞んでいく。きっと死後の世界に戻ってしまう。瞬時に理解した。
 来衣先輩とお別れしてない私は、慌てて視線を向ける。しかし大河先輩と話が盛り上がっている彼は異変には気づかない。

 いくら視線を送ったところで、彼が私の視線に気づくことが出来ない。そう分かっているのに念を送るように見つめた。

 だって私たちには明日も会えるという保証はないのだ。



「らい……せん……っ」

 絞り出した私の声が届いたのかわからない。最後に来衣先輩はこっちを振り向いた気がした。喜んだのは一瞬で、言葉を放つ前に視界が真っ白になった。


 目をぱちっと開けると現世とは違う。
 風も匂いも感じない。そんな無機質な場所は死後の世界だとすぐに分かった。

 予想通り事務所に強制連行されようだ。
 目の前には表情が固い楓さんが待っていた。
 楓さんは優しい印象だったけれど、初めて見る表情に緊張感が全身を駆け巡る。


 ルール違反をしたのは事実だ。怒られても守護霊代行をクビになっても仕方がない。クビになったら自分の身体に戻ることも生まれ変わることも出来なくなるかもしれない。

 すなわち「死ぬかもしれない」ということだ。



「なんで呼び出しされたのかは、わかっているわよね?」

「……はい」

 心当たりはある。むしろ心当たりがいくつもありすぎて、言い訳も出てこない。深く息を吸った。

 決意を固めたと同時にごくんと息を呑みこんだ。


 楓さんをじっと見つめる。それから来衣先輩との間に起きた出来事を包み隠さず話した。説明がへたくそな私の話を「うん、うん」と相槌を打って聞いてくれた。


 今の現状をすべて話し終えると「……そう」と静かに言った。その後の反応が怖くて俯く顔を上げられない。恐怖を拭うようにぎゅっと手を握った。


「その子は、霊感があるのかしら?」

「霊感?」

 怒られると思っていたけど、聞こえてきたのは楓さんの優しい声だった。予想外の言葉に驚いてぱっと顔を上げた。

「霊感がある人は私たちのことが、ぼや〜とホワホワした光みたいに見えるって聞いたことがあるわ。その子は目が見えないから、実際に未蘭ちゃんの気配だけを感じてるのかもね。そして目が見えないから、幽霊ということに気づいていない……」

 楓さんの話を聞いて妙に納得する部分があった。『お前は光』『色がついて見える』来衣先輩が言っていた言葉と繋がってくる。私を怖がる素振りを見せないのも、私が「人」だと思っているからだろう。


「心配なの?」

「へっ?」


 楓さんは柔らかい笑みを浮かべていて、その表情を見たら嘘はつきたくないと思った。


「は、はい」

「確認するけど、その感情の正体は自分でわかってるの?」

「感情の正体?」

「あら、わかってないのね。んー……私からは教えないわよ」

「え、えっと?」

 楓さんの言葉の意味がわからなくて戸惑うことしかできなかった。

「ふふっ、任務が終わるまでに、その気持ちの正体がわかるといいわね」

「来衣先輩と、友達でいていいんですか?」

「……だめよ」


 はっきりと言い放つ楓さんの言葉に、ずきっ、と突き刺さるように胸が痛かった。
 「だめ」はっきりと言われた言葉が、頭の中でこだまする。

 だめだとわかっていて覚悟していたつもりなのに、悲しくて切なくて辛い。様々な感情の波が一気に押し寄せてくる。


「私の立場から、『その彼と話していいわよ』なんて言えないのよ」

「ルールですもんね」

「そう、ダメなものはダメよ。ただ……私はしばらく忙しくて……監視はできないのよね」

「……えっと?」

「だから、未蘭ちゃんとその彼が話してても、私は見てないから気づかないかもね」

「それって……」


 楓さんは肯定するように柔らかな笑みを浮かべた。


「あ、ありがとうございます!」

 嬉しくて、嬉しくて。思わず声量が上がった。

「楓さんって未蘭に甘いよな」
「だって、一生懸命でかわいいんだもの。応援したくなっちゃうのよ」
「俺も現世のかわいい子ナンパしてきていい?」
「……ダメに決まってるでしょ」
「なんだよ―。なんで未蘭だけなんだよ」

 少し離れたところから、見守っていてくれた柊は膨れっ面で拗ねていた。

 私はまた来衣先輩と会えることが嬉しくて自然と顔が緩んでしまう。口角が下がる気配はない。ニヤケているのがバレないように、両手で顔を覆った。そんな私をみて、楓さんと柊も笑顔をみせるのですべてばれているように感じた。

「あ、あの聞きたいことあるんです」

「なーに?」

「あの……この辺が、時々、ずきっと痛くなったり、ぎゅっと締め付けられるように痛むんです。幽霊なのに、変だなって」

 来衣先輩と話していると、心の奥があたたかくなったり、胸のあたりが、ちくりと痛い。それがなぜなのかわからなかった。

「もしかして……これが……」

 言葉に詰まりながらも一生懸命に話す私を見て、楓さんと柊はにっこりと微笑んでいる。

「……これが、この痛みが、ルール違反した罰ですか?」


「え」
「え」
「え」

 3人の声が重なった。二人はポカーンと口を開けて私を見つめている。
 ――私、変なこと言った?
 なぜ二人が固まっているのか分からなくて戸惑う。


「あはは、未蘭、本気で言ってる?」

「はい、自分でもいっぱい考えたんですけど、原因が見つからなくて、ルール違反した罰しかないかなって……」

「はははっ、もうおかしい」
「ははっ、」

 お腹を抱えて笑っていた。笑われている理由を探してみたが、分からなかった。

「……罰ではなかったですか? 幽霊でも病気とかあるのかな?」

「ふふっ、その痛む原因は恋じゃないかしら?」

「……コ、イ、こい……恋?」

 「恋」という単語には縁がなかった。生前は恋をしたことがなかった。そんな権利ないと思ったからだ。してはいけないモノだと思っていた。
 
 恋。その言葉を聞いても、違うとはっきり言える。頭を左右にぶんぶんと大きく振った。

 だって、私は幽霊なんだから。
 幽霊が人を好きになったって……無駄なだけ。
 わかってる。わかってるから……好きになんてなるはずがない。

 そう考えると同時に、頭の中には来衣先輩の顔が浮かんでいた。
 誰よりも幸せになってほしい人。
 誰よりも……。
 
「誰かを好きになるのは、苦しいこともあるのよ。その恋が難しかったりすればするほどね。今、頭に浮かんでるでしょ?頭の片隅にいるってことは、普通以上の感情があるからじゃないかしら」

「で、でも……」

「だって、柊のこと頭の片隅にでもいる?」

「まったく、全くいないですね」

「おい」

 私の言葉の後に柊のツッコミがすかさず入る。
 ほんとうだ、柊のことは頭に浮かんできたりしないのに、来衣先輩はいつも頭の中にいる気がする。

 なにをしてても考えてしまう。
 これが好きっていうこと?

 私は、来衣先輩のことが、すき、?

 好きだと自覚すると同時に胸がぎゅっと締め付けられるように痛かった。
 この痛みも……好きだから、なのかな。

 
「……お、教えてくれてありがとうございます」

 初めて芽生えた想いに、心が温かくなるのを感じた。人を好きになると、こんなにも満ち足りた気持ちになるなんて知らなかった。


「わ、私、仕事に戻ります!」

「あら、まだ話の途中なのに」

 平然を装いたくても緩んでしまう顔を見られるのが恥ずかしくて、この場から立ち去ろうとした。そんな私を見透かしたように、楓さんは悪戯に微笑んでいる。

「き、きょ、今日、大河先輩のこと助けてあげられていないので」

「未蘭ちゃん、ちゃんと助けてあげられているわよ?」

「え、でも……大河先輩の身に危険が起きなくて……」

「大河さんが、同級生の絵を盗用せずに済んだじゃない」

「あ、そっか。それも助けたことになるんですね」

「難しい手助けができたわね」

「あ、ありがとうございます」

 優しく褒めてくれる楓さんに、母の姿が重なる。
 
「わ、私、もっと頑張ります。今日の勤務時間まだ残ってますよね?……戻ります。戻って頑張ります!」

 やる気がわいてきた私は勢いよく言い放つ。そんな私を横目で見ながら、少しこわばった顔をして柊は楓さんに投げかける。


「楓さん、未蘭に”あのこと”言わなくていいんすか」
 
 柊の言う「あのこと」の正体が分からなかった。柊の表情から良い話ではないことは確かだ。




「そ、そうね、でも……」

 楓さんは私に視線を向けたまま言葉を詰まらせていた。申し訳なさそうな表情に嫌な予感が背筋を冷たく流れる。


「幸せそうに恋なんてしちゃって、絶対叶うはずがない恋なのに……」
「ちょっと、柊!」


『叶うはずがない恋』
 その言葉がぐさりと胸に刺さった。初めて好きという感情が知れて浮かれてしまっていた。
 そうだ。今の私には恋なんてする資格ないのに。

 浮かれていた私の心に、柊の言葉が重くのしかかる。

「……俺たちの記憶はなくなるんだよ、だから、好きになったって、その気持ちだって消えてしまうんだ」

「え、記憶がなくなる?」

「未蘭ちゃんの身体に戻ったり、生まれ変わるときは、今の7日間の記憶はなくなるのよ。言わなくてごめんね。素直な気持ちを邪魔したくなかったの」

 来衣先輩を好きだと想うこのあたたかい気持ちが消えてしまう。自分の身体に戻った時に、死後の世界に迷い込んだことや、守護霊代行の仕事のことを覚えていたら確かにおかしい。考えたら当然のことなのに、頭を殴られたように衝撃が走った。

「あ、あの! それは生前の自分に戻った場合も、全部消えてしまいますか?」

「……そう、ね、この7日間に見たもの、感じたこと、芽生えた気持ち……すべて消えるわ」

「そ、そうですか」

 淡い期待を抱いてみたけど、無意味だった。
 この気持ちがなくなるなんていやだ。率直にそう思った。


「だから、未蘭、これ以上、その先輩に肩入れするなよ? 辛くなるのは自分なんだから」

「そ、そうだね」

 柊の言ってることは真っ当な意見だ。頭では理解できるのに、感情が追い付いてこない。
 私のことを思って言ってくれた柊の言葉を受け入れたくない自分がいる。

 どうして、こんなにも悲しくて泣きたくなるんだろう。
 そして、どうしようもなく、来衣先輩に会いたい。

 これも全部、恋のせいならば……。
 恋って辛いモノなんだね。
 
 目頭が熱くなるのを感じた。涙がすぐそこまで来ている。
 

「わ、私、まだ時間が残ってるので現世に戻ります」

 気まずい空気に耐えられなくて事務所を後にした。その後のことは、よく覚えていない。いつのまにか現世に戻ってきていた。現世の空を見上げて、私の頬を一筋の涙が伝った。


 
 現世に戻った私は、大河先輩の自宅で仕事を遂行している。戻ってきたころには来衣先輩はいなかった。顔を合わせずに済んで正直ほっとしていた。今、来衣先輩に会ったら、感情のコントロールができなくなりそうで怖かった。

 柊の言葉と、来衣先輩のことが頭から離れずに、これからどうしたらいいのか、ずっと考えていた。
 柊の言う通りだ。
 このまま来衣先輩と関わりを続けたら、好きな気持ちが膨らんで、仕事が終わる日が、もっと辛くなってしまう。

 目の前には大河先輩がいて、守護霊代行の仕事をしなければいけないのに、頭の中ではずっと来衣先輩のことを考えていた。





 上の空で大河先輩のそばで見守りをしていると、あっという間に時間が過ぎていたようだ。大河先輩は心なしか今朝会った時より、表情が柔らかくなったような気がする。

 そんな彼をみて、これから先の来衣先輩と大河先輩の関係が上手くいきますように。そう願わずにはいられなかった。


 私なりに精一杯考えて、一つの答えが出た。

 これ以上、来衣先輩に関わるのはだめだと思った。
 前から気付いていたんだ。だけど、来衣先輩に会いたくて、話したくて、私は自分の感情を優先させてしまった。

 もう、やめよう。
 どうせ、消えてしまう感情なのだから。

 例え両想いだとしても、幸せな未来なんて待ってない。
 例え両想いでも私たちに待っているのは、別れしかないんだ。