学校に近づくと登校してくる生徒たちで賑やかになり活気がみなぎっている。昨日も経験した光景なのに幽霊の姿で通っていた学校にくるのは、なんとも不思議な気分だった。
田口先生は教員用玄関から校舎へと入る。
教員用玄関は初めて覗いたので、知らない場所を知れて少し心が弾んだ。
校内に入り、田口先生は職員室に向かっていく。私も後を追いかけようとしたときだった。コツ、コツ、と小さい金属音が耳に届いた。それは聞き覚えのある音だった。
音のする方に視線を向けると、やはり思っていた通りだった。来衣先輩が白杖を使ってゆっくりと歩いている。
昨日のは見間違いじゃなかった。今日も白杖を使ってる。
白杖を使って不慣れに歩くその姿に、目が離せなくなった。そのぎこちなさに、ハラハラして見てる方が思わず慌ててしまう。
そう、放っておけないんだ。近くにいると、彼から目が離せなくなる。
ゴツッ、と辺りに鈍い音が響き渡る。
「痛っ」
悲痛の声と同時に来衣先輩が足を押さえてしゃがみ込んだ。どうやら足をどこかにぶつけたようだ。
悲痛な叫びは痛みを物語っていた。来衣先輩が怪我をしたのを目撃するのは二度目なので、心配でたまらない。
今すぐ駆け寄りたいけど、ここで声を掛けてしまったら、周りにいる生徒たちに私の声が聞こえてしまう。
助けたいのに助けられない。手を伸ばせば直ぐに助けられる距離にいるのに届かない。それが凄くもどかしい。
そうだ、田口先生。
田口先生に目の見えない来衣先輩を助けて欲しい。そう思い、辺りを見渡すが田口先生の姿はなかった。来衣先輩を助けてくれそうな人は見当たらない。
「ぎゃはは」
「お前、馬鹿じゃね?」
他の生徒たちの声より、遥かに大きい2人男子生徒の笑い声が響き渡る。制服を着崩してアクセサリーをジャラジャラと付けている。2人のうちの片方の男子生徒が、来衣先輩をジーッと見つめている。
そして連れの男にヒソヒソと何かを話し始めた。ニヤリと口角を上げて、人を馬鹿にしたような薄笑いをしていた。その様子を見ていると不快感が募った。
なんか嫌な感じだな。
2人組に良い印象は全く持てなかった。
2人組の男に意識を奪われていると、来衣先輩は白杖を使って自分の位置を確かめながらゆっくりと歩き出した。
ホッとしたと同時に、さっきの2人組の先輩の行動が目に留まる。わざと来衣先輩の近くをゆっくり歩きながらニヤニヤしていたからだ。
「くくっ」
「本当に、見えないんだな」
「『いったっ』だってさ、くくっ」
「天下の王子様も、目が見えないんじゃ、もう終わりだな」
「今までいい気になってたからバチが当たったんじゃね?」
天下の王子様とは来衣先輩のことだ。女子生徒の間でつかられた裏のあだ名だった。
彼らの吐き捨てた言葉は悪意に満ちていた耳を疑う言葉を平気で吐き捨てて、ニヤニヤとそれを楽しんでいるように見える。そんな彼らに嫌悪感しか抱けない。
なにか言い返したい衝動に駆られて、身体が自然と動いていた。反論の言葉を言おうと口を開きかけた時だった。冷静沈着な声が降りてくる。
「……俺のことか?」
聞こえないふりをすると思ったのに、来衣先輩は足を止めて淡々と言いのけた。
「あっ、あー。大人気だった最上も、目が見えなきゃただの人。……いや、ただの人以下ってわけだ」
「お前、大河だろ? ださい真似はよせよ」
「なっ、んでわかった?」
ニヤニヤと酷いことを言った先輩は来衣先輩の知り合いだったようだ。名前を当てられて、わかりやすく動揺している。
「……昼間は少し見えるんだよ」
「じゃ、じゃあ……っ、なんで白杖なんて使ってんだよ。同情を引くためか?」
「お前に言う必要はない」
来衣先輩は、はっきりと言い捨てるとまたゆっくりと歩き出した。
2人から嫌なこと言われても、全く取り乱すことなく、淡々とした口調で返すのでどっちがあたふたしてるかわからない。
来衣先輩はすごいなあ。
何を言われても負ける気がしない。
来衣先輩の強気な姿勢に感心していると、なんだか嫌な空気が漂ってきた。
態度が気に食わなかったのか、ヒソヒソと嘲笑いながら来衣先輩の背中を睨みつけている。嫌な予感しかしない。
嫌な予感は的中する。
1人が先回りをして、足を掛けようと、わざと足を伸ばしているのが見える。その表情は悪意に満ちていて、最悪の状況が頭に浮かんだ。このままだと足をかけられてバランスを崩して転んでしまう。大きな怪我をする危険だってある。
相手が目が見えないからって、こんな嫌がらせをするなんて信じられない!
怒りが一気に込み上げてくる。
でも、私がここで何かアクションを起こしたら私の存在がバレてしまう可能性が高い。助けたいけれど、担当ではない人を助けるのはルール違反になってしまう。
助けを求めて辺りを見渡すが、生徒たちもまばらで少なからず見ている生徒は関わりたくないように決まりの悪い顔をしている。俯き加減に視線を逸らし、この場から立ち去っていく。
どうして誰も助けようとしないのだろう。
込み上げてくる怒りで、感情のコントロールが出来ず怒りを抑えることができない。
私は、ルールを破ろうとしていた。
その時ゴミ箱からこぼれ落ちているペットボトルが視界に入る。
これだ!そう閃くと同時に、気づくと体が勝手に動いていた。落ちていたペットボトルを拝借して力一杯思いっきり投げつけた。
「……痛ってーな!」
私が投げつけたペットボトルは、見事に男の頭にヒットした。当たった箇所を抑えて屈みこんだ。
「はあ?! 何もないところからペットボトル飛んできたんだけど!」
痛みの次にやってきた感情は驚きのようで、男は目を見開いたまま辺りをキョロキョロと見回している。誰もいないところからペットボトルが飛んできたのだから、驚くのも無理はない。
やばい。やってしまった!
完全にやらかした。床にコロコロと転がるペットボトルが証拠だ。
嫌がらせをしようとした男たちは、なぜペットボトルが飛んできたのか分からず、犯人を探すように辺りを見渡してあたふたしていた。
それ以上にルール違反した私も焦っていた。あの2人が悪いとはいえ、ペットボトルを投げてしまった。
これは……まずい。まずいよね?
こうなったら。
半場やけくそ状態の私は男2人の元へと歩み寄る。
「……っ。また、嫌がらせしたら、もっと痛い目に合いますよ?」
自分自身で思う渾身の怖い声を絞り出して、耳元でボソッと囁いた。
「ぎ、ぎゃあああ! な、なんか、聞こえたっ、やばい、行こうぜ」
さっきまで凄んでいた男の声とは思えないほどの奇怪な叫び声が轟いだ。
私の姿が視えない先輩たちは心霊現象だと思ったのだろう。叫び声と共に一目散に駆け足でその場から去っていった。
来衣先輩が怪我せずに済んでよかった。
ルール違反をした罪悪感よりも、来衣先輩が無事で安心する気持ちの方が大きかった。
「あいつらになにしたんだよ」
「……」
すぐ近くで聞こえたその言葉が、誰に投げかけられているのかすぐにはわからなかった。なぜなら私は幽霊で話しかけられる存在ではないからだ。
「……君、昨日会ったよな?」
私は幽霊で姿が視えない。話しかけられるはずがないのに、来衣先輩は私がいる方向に向かって言葉を投げかける。
もしかして、私に言ってる?
辺りを見渡してみたけど、私以外に誰もいない。
今日は声を出していないのに、何故分かったのだろう。
本当に私が視えている?
いや、そんなはずはない。私は幽霊で人には視えていない。それに来衣先輩は目が見えないはずなのに。
ダメだとわかっている。
それでも、またルール違反をした。
「わ、私は、なにもしてませんよ。……さっき、転んでたけど大丈夫ですか?」
他の生徒に聞こえないようにコソコソと小声で話しかけた。
「なんで、小声で喋ってんだよ? 君、昨日コンビニの外で会ったよな?」
な、なんで、わかるんだろう。
来衣先輩が昨日も今日も私だと判断出来ている事実が不思議で仕方なかった。
「な、なんで……」
「俺は、ほとんど見えないんだけど、なんて言えばいいのかわかんねぇけど……君は見えるんだ」
「え」
「君は他の奴らにはない……お、オーラみたいなのが見えるんだ」
「お、お、オーラ?」
だめだ。理解したいけれど、来衣先輩の言ってる意味が全くわからない。オーラと言った張本人も頭をポリポリとかいて、少し困ったような表情を浮かべていた。
「ははっ、伝わんねえよな」
「……」
空笑いを浮かべる来衣先輩に、なんて返せばいいのかわからず言葉が出ない。そして来衣先輩は話を続ける。
「俺は病気で目がほとんど見えてない。特に夜は何も見えなくて、目の前はすべて暗闇なんだ。ただ……昨日、君の周りには色がついて見えたんだ」
来衣先輩の話を聞いて思い当たる節があった。
もしかして、来衣先輩に霊感があるから、幽霊としての私が視えている?
守護霊代の仕事の説明を受けた際、幽霊と同じなので霊感のある人に感じ取られることがある。という話を聞いた。その話と今目の前で起きている現状が繋がった気がした。
目が見えないから、幽霊だと気づいてない、っていうこと?
そして目が見えない来衣先輩が、普通に話かけてくる理由も、一説浮かんだけれど「人間に見えてます? 幽霊に視えてます?」なんて聞けるはずがなかった。
「君って、なんなの?」
「えっ?」
「……なんで君の周りだけ、光が灯っているように見えんの?」
「な、なんで、でしょう?」
私にもその原因がわからなかった。
考えられるのは、幽霊の姿を感じ取られているということ。そんなことを来衣先輩に言えるはずもないので口を噤む。
「俺は……君のことが知りたい」
どくん、と心臓が跳ねた。綺麗な顔で真剣な眼差しを向けられ、不覚にもドキドキしてしまう。
「それは……難しいかも、です」
「なんで? 君は俺の……」
「おーい、最上、大丈夫か?」
来衣先輩がなにか言い掛けた途中で、言葉を遮ったのは田口先生の声だった。ゆっくりと私達の方に向かって歩いてくる。
『俺の・・・・・・』
来衣先輩が言いかけた言葉が気になったけど、今は気にしている場合ではなかった。私がいることを話されたら、田口先生に存在がバレてしまう。焦る気持ちでいっぱいになる。
「ら、ら、来衣先輩、田口先生に私がいることは内緒にしてください」
そう言い残して、私は来衣先輩のそばから離れた。その場にとどまると、存在がバレてしまう危険が高まると思ったからだ。
「あっ、おい……」
「どうした? 最上、ん?……誰と話してたんだ?」
来衣先輩が離れる私に向けて言葉を投げたので、田口先生は誰もいない辺りをキョロキョロ見回して不思議そうに首を傾げている。
「……いや、なんでもないです」
少し離れた場所から見守っていると、来衣先輩は私のお願いを聞いてくれたようで、田口先生には秘密にしてくれた。
よかった。田口先生に存在がバレる心配はなくなり安堵のため息が自然と漏れた。
なんで目が見えなくなってしまったんだろう?何か力になれることはないかな……。そんなことを思いながら、遠くから来衣先輩を見つめた。そして、柊に言われた事を思い出した。
『担当以外を助けることはルール違反』
来衣先輩を守るためとはいえ、ペットボトル投げたことは、きっと、いや、絶対にルール違反だ。
これからはもっと気をつけなきゃ。
来衣先輩にもこれ以上、関わらないようにしないと……。
そう、自分に言い聞かせるが、目の前にいる彼を目で追ってしまう。
なんでだろう?
――この時は、この気持ちの正体に気付いてもいなかった。
離れた場所から2人を見守っていると、なにやらよくない空気に変わった気がする。嫌な胸騒ぎがしたので、会話がはっきり聞こえる場所まで近づいた。
「先生、大事な話あるんです」
「どうした? 改めて放課後とかに聞くか?」
「……いえ、すぐ終わるのでここで大丈夫っす。俺、学校辞めます、退学します」
来衣先輩の言葉に驚いて思わず声が出そうになるのを両手で口を押えて飲み込んだ。
先輩は三年生で、あと数ヶ月しかないのに辞めるなんて……さっきの嫌がらせと関係あるのかな?
脳裏には来衣先輩に嫌がらせをしようとした人たちや、それを見て見ぬふりをする傍観者の生徒たちの姿が鮮明に浮かんだ。私が想像する以上に、大変な学校生活を送っているのかもしれない。そう思ったけど、率直に辞めてほしくない。そう思ったんだ。
心の中でモヤモヤが広がっていく。「やっぱり、辞めてほしくない」そう心の中で叫んだ。気づくと心の声があふれ出していた。
「――だめですっ!」
「え?」
「えっ?」
「(あー! 言っちゃった!)」
心の中で叫んだはずの私の声は、思いっきり大きな声で解き放たれた。
突発的に出た言葉で口に出してしまったことに、後から気づいて急いで両手で口を覆った。今更覆ったところで何の意味もないのに。
田口先生には私が視えてないので、声を出したら不審がられてしまう。
自分でも驚くほど、盛大に解き放たれた声は田口先生にも聞こえているだろう。
おそるおそる田口先生に視線を向けた。すると、想像を遥かに上回るほど恐怖が顔に現れていた。口をぱくぱくさせて、心なしか顔が青ざめた気さえする。いつもの強面の悪人顔の面影が微塵も感じられない。
これはダメだ。完全に聞こえてる。怯えている姿を見ると、意外にも幽霊を怖がるタイプだったようだ。
「……も、最上、今のこ、こ、声って……お、お前か? お、お、俺だけに・・・・聞こえたのか?お、女?しょ、少女の声が、聞こえた……」
田口先生は声が裏返っていて焦りの色が伝わってくる。それは誰が聞いても心配するくらいだった。
「先生何言ってんの? 今喋ったのは……」
来衣先輩は私のことが視えてるから、声の主は私だと分かっている。田口先生がなぜ怯えているのかわからない、といった様子で不思議そうにしている。
私の姿が視えず怯えている田口先生。怯える田口先生を不審に思う来衣先輩。私が声を上げたことにより、今の状況が生まれてしまった。解決方法が思い浮かばず、焦りが頂点に到達した私は頭を抱え込む。
「あっ、いたいた。田口先生、ちょっといいですか?」
助け舟の声をあげてくれたのは、校長先生だった。少し先の方から手招きで田口先生を呼んでいる。
「最上、ちょっと待っててな」
校長先生に呼び出された田口先生は、小走りで校長先生の元へと向かっていく。予期せぬ助け船に、心の底から感謝をした。
とりあえず、助かった。本気で私の存在がバレてしまうところだった。
校長先生がこなかったらどうなっていたのか。考えただけで身震いがする。
校長先生のおかげで命拾いをした。朝礼の挨拶とか長く、けっして好きではなかったが、初めて校長先生に好感をもち感謝した。
「……なんで、そんなところにいるんだよ」
「え、」
やっぱり来衣先輩には、私が視えている。ただ返す言葉が見当たらない。なんでと聞かれても……「田口先生の守護霊代行だからです」とは言えるはずもないので返答に困って口を噤んだ。言葉を発しない私を見かねて、来衣先輩は小さくため息と言葉を吐き出す。
「まあ、言いたくないならいいけど」
「……先輩、学校やめるんですか?」
「ああ」
「なんで……その、辞めちゃうんですか?」
「さっきみたいに、毎日文句言ってくる奴が数人いんだよ。毎日毎日、飽きずにな……。平気なふりしてっけど、流石にしんどい」
その声は今まで聞いた中で一番弱々しくて、私まで苦しくなる。
「や、辞めないでください」
「なんで、そんなこと言うんだよ。……関係ねえだろ」
来衣先輩の言うことはごもっともで、太刀打ちできない。私と来衣先輩はなんの繋がりもないのだから。
自分でもなんで引き留めたいのかわからない。きっと私にはわからない辛いことや苦しいことを経験した上での決断なんだと思う。
それでも、引き留めたくなってしまう。
「先輩は本当に辞めたいんですか?」
「健常者には……わからねぇよ」
「分からないです。わからないけど、わかりたいです。……わからなくて苦しいです」
「なんで君が苦しいんだよ」
「……っだって、来衣先輩は悪くないのにっ・・・・・うっ、こ、これからの人生長いのに、ここで辞めてしまったらっ……」
目の奥が熱くなるのがわかった。涙がすぐそこまで来ている。自分が幽霊という立場で、もう学校に通えないかもしれないという苦しさと重ねて、涙が込み上げてきた。
「君が泣くことないだろ」
「……っ、泣いてっ、ないです」
「思いっきり泣いてんじゃん」
涙を必死に堪えて鼻を啜ったので、目が見えない来衣先輩にも音でバレてしまった。
「はあ……なんだよ。なんなんだよ」
「うっ、ぐっ……」
「少し話せるか?」
泣き止まない私に呆れ顔を向けて、場所を移動した。
屋上入り口の前。屋上は出入りが禁止されているため、この場所は普段誰も来ない。
「大丈夫かよ」
「っ、……ずみまぜん」
鼻を啜りながらなんとか声を絞り出すと、そんな様子を見て、ため息を零す。
「君が泣く意味が分からない」
その通りだ。友達でも恋人でもない女に、突然泣かれては困るだけだ。さらには、泣いた理由も言えない。なんて理解に苦しむだろう。しかし、来衣先輩と事故に遭った自分を重ね合わせて泣いた。とは言えるはずがない。