第一幕
まだ少し肌寒く、上着を着ずにはいられない。そんな寒さが地から土筆が生え始めているこの時期でも色濃く残っている。
そんな寒さに見舞われながら桜の花びらが風に乗って宙に舞っている通い慣れた桜の並木道の通学路を一人で歩き、登校している。
別に寂しいとは思わない。言い訳のように思われるかもしれないが一人は嫌いじゃない。なんなら心の静養の一環として今は人と距離を置きたいくらいだ。
五分程歩き続け学校へと到着して早々、正門に群がる生徒の姿が真っ先に視界へと飛び込んで来た。
正門には新しいクラスの番号とクラスメイトの名前が記載されている張り紙が貼られており、それを見るために群がっているのだろう。
「同じクラスだ!」などと騒ぎ立てている人混みを掻き分けて自分のクラスを確認する。
一組から順に確認し四組の欄でようやく自分の名前を見つけた。
新しいクラスメイトは相変わらず知らない名前ばかりがズラリと並んでいる。故に周囲の人のように歓喜することも悲しみに暮れることも出来ない。
下足にて履物を履き替え、教室のある三階まで階段を使用して登る。
足取りが重い。鉛の足枷を付けられているかの如く、思うように動かない。朝ということもありまだ眠気が残っているが故に思うように体が動かないのだろう。
後方に居た人等に抜かされたことによる微かな劣等感を原動力とし体を強引に突き動かす。
負けたくない。
何事であろうとも負けてしまうとあの日のことを無意識の内に思い出してしまう。
今思えばあの日以来、どんな些細な勝負事や相手に対抗意識が無かろうが“勝ち負け”に拘ってしまっている。
傍から見れば頭がおかしい人と思われかねない。いや、頭がおかしいのは自覚している。だが一度服に染み付いてしまった墨汁が中々落ちないのと同様、一度脳裏に染み付いてしまった記憶は中々落ちないのに加えてその体を蝕み続ける。
何度目かの似通った思考が巡り終え、一度深呼吸をしてから教室内へと入る。
教室内には既に多くの生徒が居ており扉を開けた音に反応した他の生徒たちがこちらに視線を送ってくる。
本当はそうでは無いのかもしれないがどうしても睨まれているのではないかと感じてしまう。そんな僕にとっては痛くて怖い視線を極力気にしないようにしながら黒板に貼られている紙で自席の位置を確認しそれを参考に着席する。
春休みの課題を机に広げて解き忘れの有無を一問ずつ目を通して確認をする。
どの課題にも抜けている箇所は無いことを確認し終えたことでやらなければいけないことが無くなってしまった。
何を思ったのか試しに机に顔を伏せてみる。窓の外から吹く春荒が妙に涼しく案外心地良い。
僕の身体に堂々と巣食っている強烈な眠気に襲われ、それに抗うこと無く川の流れに身を預けるかのように眠りへと就く。
「起きてー。ホームルーム始まったよー」
そう誰かに言葉を投げ掛けられ目が覚める。正直顔を上げたくない。人間は実に欲望に正直な生き物だ。起きなければいけないという理性を欲望が上から押さえ付けて蓋をしようとする。
呼び掛けに飽き足りずトントンと優しく肩を叩かれる。
どれだけ眠かろうとこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないので欲望を殺し、顔を上げて姿勢を正す。
「あ! やっと起きてくれた。寝癖凄いよ」
そう微笑みながら指摘を受け、自分で触って確かめてみる。確かに前髪が少し逆立っている。
「これから始業式があるのでこの後廊下に出席番号順で並んで下さい。そして始業式は一種の儀式であることを、後輩達が貴方達の背中を見ているということを肝に銘じて始業式に臨んで下さい」
先生の説明を受けて廊下に並び、体育館へと向かう。全校生徒が一斉に向かっているため混み具合が凄い。
その点、二年の学年主任が手信号らしきもので生徒を誘導し混乱を避けることに成功している様を見た僕は素直に感心と尊敬の念を密かに込めた。
混み具合は体育館内でも変わらず、春休み中の 何時の日かに設置した大量のパイプ椅子の席があっという間に埋まった。
生徒指導の先生が話を聞くときの注意事項を話し終えて本命である校長先生が壇上に上がり、話し始める。
一時間余り校長先生の話を聞き続けた感想としてはつまらない。その一言に尽きる。教師陣が儀式だと言っていたことから嘸面白みのある話を聞かせてくれるのだろうと期待していたが話の内容の大半がありきたりな内容且つ、つまらなさ過ぎて寝てやろうかと何度も思った。きっと他の人もそう思っただろう。
案の定、教室へと戻る際に「校長の話マジでつまらなかったな」という会話を耳にして申し訳ないが心底安堵した。
教室へと戻り、ある意味校長先生の気に障る程に長くてつまらない話よりも嫌である自己紹介が行われだす。
幸い、自分の出席番号は三十二番なので話す内容を考える時間が十分に用意されいている。人前に立つのは苦手なので簡潔に済ませたい。
名前と趣味は言うとして他に何を言おうか。部活動にも入っていないので話す内容が限られているため文を構築するのが難しい。
「初めましての人が多いかな? 花咲日菜です! 趣味はヘアアクセ集めとアロマ作りでサッカーが大好きです! 一年間よろしくお願いします!」
どうしたものか。考え込んでいる内に隣の席の人の自己紹介が終わってしまった。次は僕の番だ。まだ内容が纏まっていないというのに。
一先ず席を立ち、この場をどう凌ぐか懸命に思考を巡らすが頭の中が真っ白になって名案が全く浮かんでこない。
教師を含めた全員がこっちを見ている。それを意識すると全身から冷や汗が垂れ、心拍数が上昇してより一層緊張する。
やるしかない。何もせずに棒立ちしてしまうとより恥をかくことになってしまう。
「えっと、藤本涼介……です」
言葉に詰まる。名前以外にも言わなければいけないのに上手く言葉に出来ない。
僕の自己紹介が終わったと思ったのであろう人たちが拍手をする。
その波に逆らえず、席に着いてしまった。
何故、何時も僕はこうも駄目な人間なのだろうか。肝心なときにまともな行動が出来ない。自分に嫌気が差す。
僕以外の人は自己紹介を見事成功させて帰りのホームルーム前の休憩時間に入った直後、花咲さんからがこちらへと話しかけてきた。
「改めまして! 花咲日菜だよ。よろしくね!」
そう言いながら僕の手を取って握手を交わしてきた。女子と手を繋いだのはいつ振りだろうか。手汗はかいていないだろうか?
そんな心配事を考えさせる暇なんて与えないと言わんばかりに花咲さんが質問攻めを始めた。
「涼介くんって好きなこととかある?」
「読書が好きかな。他には寝ることとか」
「好きなスポーツはある? 私は自己紹介のとおりサッカーが大好きなんだ!」
一瞬、サッカーの会話を深堀りする選択肢が脳裏を過った。話すか悩んだが話したところで互いに良い気分にならないという考えに至った。
あの話は明るい会話には不似合いだ。
「スポーツにはあまり興味が無いかな」
「運動は得意なの?」
「人並み程度には」
「スポーツにあんまり興味が無いんだったら部活は文学部? それ以前に運動部か文学部とか関係無く何かしらに入ってるの?」
「どこにも所属していないよ」
「そうなんだね。これからどうやって呼んだら良い? 藤本くん? 涼介くん?」
「好きに呼んでもらって良いよ」
「じゃあ、涼介くんって呼ぶね!これからも仲良くしてね!」
「こちらこそ」
時間にしてはほんの一分程度だったが僕の心身は激しい拷問を受けたかのようにボロボロだ。
だが、話すことは出来た。普段なら返事すらまともに出来ないのに。受け答えが出来た理由は何故だろう。満面の笑みで優しく接してくれたから安心して話せたのだろうか。
一先ずあの人とはあの頃のような態度で接せるようになるかもしれない。
その可能性がある人がこのクラスに居るという事実があるだけで心に少し余裕が生まれた。
「これから帰りのホームルームを始めるので自席に着いてください」
生徒が自席に着いたのを確認した先生が淡々と話し始めた。その間、花咲さんが小声で話しかけてきたりちょっかいをかけてきたが状況が状況なので一瞥のみ行い、それ以上の対応は行わなかった。
冷徹な対応に不満を抱いたのか頬を膨らませ拗ねていたがホームルームが終わり、教室を出る際には「また明日ね!」と元気良く別れの言葉をかけてくれた。
まだ少し肌寒く、上着を着ずにはいられない。そんな寒さが地から土筆が生え始めているこの時期でも色濃く残っている。
そんな寒さに見舞われながら桜の花びらが風に乗って宙に舞っている通い慣れた桜の並木道の通学路を一人で歩き、登校している。
別に寂しいとは思わない。言い訳のように思われるかもしれないが一人は嫌いじゃない。なんなら心の静養の一環として今は人と距離を置きたいくらいだ。
五分程歩き続け学校へと到着して早々、正門に群がる生徒の姿が真っ先に視界へと飛び込んで来た。
正門には新しいクラスの番号とクラスメイトの名前が記載されている張り紙が貼られており、それを見るために群がっているのだろう。
「同じクラスだ!」などと騒ぎ立てている人混みを掻き分けて自分のクラスを確認する。
一組から順に確認し四組の欄でようやく自分の名前を見つけた。
新しいクラスメイトは相変わらず知らない名前ばかりがズラリと並んでいる。故に周囲の人のように歓喜することも悲しみに暮れることも出来ない。
下足にて履物を履き替え、教室のある三階まで階段を使用して登る。
足取りが重い。鉛の足枷を付けられているかの如く、思うように動かない。朝ということもありまだ眠気が残っているが故に思うように体が動かないのだろう。
後方に居た人等に抜かされたことによる微かな劣等感を原動力とし体を強引に突き動かす。
負けたくない。
何事であろうとも負けてしまうとあの日のことを無意識の内に思い出してしまう。
今思えばあの日以来、どんな些細な勝負事や相手に対抗意識が無かろうが“勝ち負け”に拘ってしまっている。
傍から見れば頭がおかしい人と思われかねない。いや、頭がおかしいのは自覚している。だが一度服に染み付いてしまった墨汁が中々落ちないのと同様、一度脳裏に染み付いてしまった記憶は中々落ちないのに加えてその体を蝕み続ける。
何度目かの似通った思考が巡り終え、一度深呼吸をしてから教室内へと入る。
教室内には既に多くの生徒が居ており扉を開けた音に反応した他の生徒たちがこちらに視線を送ってくる。
本当はそうでは無いのかもしれないがどうしても睨まれているのではないかと感じてしまう。そんな僕にとっては痛くて怖い視線を極力気にしないようにしながら黒板に貼られている紙で自席の位置を確認しそれを参考に着席する。
春休みの課題を机に広げて解き忘れの有無を一問ずつ目を通して確認をする。
どの課題にも抜けている箇所は無いことを確認し終えたことでやらなければいけないことが無くなってしまった。
何を思ったのか試しに机に顔を伏せてみる。窓の外から吹く春荒が妙に涼しく案外心地良い。
僕の身体に堂々と巣食っている強烈な眠気に襲われ、それに抗うこと無く川の流れに身を預けるかのように眠りへと就く。
「起きてー。ホームルーム始まったよー」
そう誰かに言葉を投げ掛けられ目が覚める。正直顔を上げたくない。人間は実に欲望に正直な生き物だ。起きなければいけないという理性を欲望が上から押さえ付けて蓋をしようとする。
呼び掛けに飽き足りずトントンと優しく肩を叩かれる。
どれだけ眠かろうとこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないので欲望を殺し、顔を上げて姿勢を正す。
「あ! やっと起きてくれた。寝癖凄いよ」
そう微笑みながら指摘を受け、自分で触って確かめてみる。確かに前髪が少し逆立っている。
「これから始業式があるのでこの後廊下に出席番号順で並んで下さい。そして始業式は一種の儀式であることを、後輩達が貴方達の背中を見ているということを肝に銘じて始業式に臨んで下さい」
先生の説明を受けて廊下に並び、体育館へと向かう。全校生徒が一斉に向かっているため混み具合が凄い。
その点、二年の学年主任が手信号らしきもので生徒を誘導し混乱を避けることに成功している様を見た僕は素直に感心と尊敬の念を密かに込めた。
混み具合は体育館内でも変わらず、春休み中の 何時の日かに設置した大量のパイプ椅子の席があっという間に埋まった。
生徒指導の先生が話を聞くときの注意事項を話し終えて本命である校長先生が壇上に上がり、話し始める。
一時間余り校長先生の話を聞き続けた感想としてはつまらない。その一言に尽きる。教師陣が儀式だと言っていたことから嘸面白みのある話を聞かせてくれるのだろうと期待していたが話の内容の大半がありきたりな内容且つ、つまらなさ過ぎて寝てやろうかと何度も思った。きっと他の人もそう思っただろう。
案の定、教室へと戻る際に「校長の話マジでつまらなかったな」という会話を耳にして申し訳ないが心底安堵した。
教室へと戻り、ある意味校長先生の気に障る程に長くてつまらない話よりも嫌である自己紹介が行われだす。
幸い、自分の出席番号は三十二番なので話す内容を考える時間が十分に用意されいている。人前に立つのは苦手なので簡潔に済ませたい。
名前と趣味は言うとして他に何を言おうか。部活動にも入っていないので話す内容が限られているため文を構築するのが難しい。
「初めましての人が多いかな? 花咲日菜です! 趣味はヘアアクセ集めとアロマ作りでサッカーが大好きです! 一年間よろしくお願いします!」
どうしたものか。考え込んでいる内に隣の席の人の自己紹介が終わってしまった。次は僕の番だ。まだ内容が纏まっていないというのに。
一先ず席を立ち、この場をどう凌ぐか懸命に思考を巡らすが頭の中が真っ白になって名案が全く浮かんでこない。
教師を含めた全員がこっちを見ている。それを意識すると全身から冷や汗が垂れ、心拍数が上昇してより一層緊張する。
やるしかない。何もせずに棒立ちしてしまうとより恥をかくことになってしまう。
「えっと、藤本涼介……です」
言葉に詰まる。名前以外にも言わなければいけないのに上手く言葉に出来ない。
僕の自己紹介が終わったと思ったのであろう人たちが拍手をする。
その波に逆らえず、席に着いてしまった。
何故、何時も僕はこうも駄目な人間なのだろうか。肝心なときにまともな行動が出来ない。自分に嫌気が差す。
僕以外の人は自己紹介を見事成功させて帰りのホームルーム前の休憩時間に入った直後、花咲さんからがこちらへと話しかけてきた。
「改めまして! 花咲日菜だよ。よろしくね!」
そう言いながら僕の手を取って握手を交わしてきた。女子と手を繋いだのはいつ振りだろうか。手汗はかいていないだろうか?
そんな心配事を考えさせる暇なんて与えないと言わんばかりに花咲さんが質問攻めを始めた。
「涼介くんって好きなこととかある?」
「読書が好きかな。他には寝ることとか」
「好きなスポーツはある? 私は自己紹介のとおりサッカーが大好きなんだ!」
一瞬、サッカーの会話を深堀りする選択肢が脳裏を過った。話すか悩んだが話したところで互いに良い気分にならないという考えに至った。
あの話は明るい会話には不似合いだ。
「スポーツにはあまり興味が無いかな」
「運動は得意なの?」
「人並み程度には」
「スポーツにあんまり興味が無いんだったら部活は文学部? それ以前に運動部か文学部とか関係無く何かしらに入ってるの?」
「どこにも所属していないよ」
「そうなんだね。これからどうやって呼んだら良い? 藤本くん? 涼介くん?」
「好きに呼んでもらって良いよ」
「じゃあ、涼介くんって呼ぶね!これからも仲良くしてね!」
「こちらこそ」
時間にしてはほんの一分程度だったが僕の心身は激しい拷問を受けたかのようにボロボロだ。
だが、話すことは出来た。普段なら返事すらまともに出来ないのに。受け答えが出来た理由は何故だろう。満面の笑みで優しく接してくれたから安心して話せたのだろうか。
一先ずあの人とはあの頃のような態度で接せるようになるかもしれない。
その可能性がある人がこのクラスに居るという事実があるだけで心に少し余裕が生まれた。
「これから帰りのホームルームを始めるので自席に着いてください」
生徒が自席に着いたのを確認した先生が淡々と話し始めた。その間、花咲さんが小声で話しかけてきたりちょっかいをかけてきたが状況が状況なので一瞥のみ行い、それ以上の対応は行わなかった。
冷徹な対応に不満を抱いたのか頬を膨らませ拗ねていたがホームルームが終わり、教室を出る際には「また明日ね!」と元気良く別れの言葉をかけてくれた。