相変わらずKKはうまくやっていた。真人を連れて、遠くの公園にまで遊びに連れて行ってくれるようになった。それも鬼門である土曜日日曜日に!(週末に公園に行くと、あまりにも普通の家族を見せつけられるので難しかったのだ)
わたしが一人で真人を外に連れて出られるのは近くの公園までだ。それだってよほど体調のいい時だけだ。真人とわたしを助けているのは確からしかった。頼れ、という崇さんの言葉は一部納得できた。
でも崇さんが会いに来るというのはどうなったのか?
まだ好きでいてくれるか、なんてフェイスブックでわたしに訊ねてきたのはわたしに早く会いたいからじゃないのか?
真人がKKを呼ぶ名前が「お兄ちゃん」から「けんとくん」に変わり、ときおり「パパ」と言い間違えるようになったあたりで、わたしは待ちきれなくなった。崇さんの来訪を。
そんな折、KKから泊りがけの旅行の提案があった。
小樽ではない。結局小樽の水族館には行っていないが、小樽ならわたしたちの札幌の家から日帰りで行ける。行き先は、旭岳だった。
「その地名を聞きたくもないっていう事情、知らないはずないですよね」
「え、いや、プロポーズの場所ですよね? だから佐野崇さんがそこを指定しているんです」
「プロ……」
崇さんの死んだ場所、旭岳。それは確かに過去に彼にプロポーズされた場所でもあった。晩夏の旭岳を霧が覆っていた。標高が上がり、ホテルに近づくにつれ空には雪がちらつきはじめた。崇さんが慎重に車を走らせて、わたしたちの車の前を大きなエゾシカが横切った。
霧のなかから鼻を出したエゾシカは、姿を見せる前に一体のエゾシカとしての山での暮らしがあるようには思えなかった。霧のなかから突然に生まれたような気がした。
翌日に旭山動物園で見たエゾシカはそのときに横切ったエゾシカの半分くらいの大きさしかなかった。
「これなら昨日見たなあ」
エゾシカの檻の前で笑う崇さんの顔が、目の前にぱっと浮かんだ。そのときのわたしの薬指には婚約指輪がはまっていた。
そこから巻き戻して、旭岳のホテルでわたしが急に熱を出したことを思い出す。そのときに見上げたロッジ風の天井と、サッシの間から出られなくなったアブの羽音。機械のように定期的に音を鳴らしているのが不思議だった。
フロントから薬を貰ってきてくれた崇さんが、こんなときに出していいか迷ったけれど、と前置きして見せてくれた婚約指輪。薬と指輪とどっちを先に受け取るのか迷って、指輪を受け取ったのだった。
――幸せだった。
自覚したところで、水銀みたいに胸に幸せが沈んでいった。今のわたしに過去の幸せは毒でしかない。幸せを幸せに戻すには、崇さんが再びわたしの前に現れる以外なかった。
というところまで考えて、フェイスブックに宿っているはずの崇さんからのメッセージが絶えている事実と、崇さんがわたしと会うためにKKを通じて旭岳を選んできた、ということに今更ながら強烈な違和感を覚えた。
そしてKKは、崇さんがどこで死んだのかを知らなかった。
そもそも、どうしてKKを信用しようと思ったのかというと、フェイスブックのアカウントに宿った崇さんが、KKのイニシャルをあげてきたからだ。死んだ人間がフェイスブックから連絡してくる? そんなことがあり得るだろうか? あり得たとして、生前関係のなかった他人をよこしてきて、その人に頼れなんて言うだろうか?
KKは何かを隠している。
そもそも荒唐無稽な話なのだ。信じたのは、わたしの胸に沈んだままの水銀みたいな幸福の記憶が、崇さんにまた会えるかもしれないという心にすがりたかったから。
KKは崇さんが旭岳ロープウェイの入り口で、遺体で発見されたということすら知らない。その癖に、崇さんが旭岳のホテルでプロポーズしたことは知っている。
KKの知る崇さん像におかしな偏りがある。
いったい、KKの言葉を信じていいものだろうか?
一度抱いた違和感は消えない。わたしは旅行の返事を保留にした。
わたしが一人で真人を外に連れて出られるのは近くの公園までだ。それだってよほど体調のいい時だけだ。真人とわたしを助けているのは確からしかった。頼れ、という崇さんの言葉は一部納得できた。
でも崇さんが会いに来るというのはどうなったのか?
まだ好きでいてくれるか、なんてフェイスブックでわたしに訊ねてきたのはわたしに早く会いたいからじゃないのか?
真人がKKを呼ぶ名前が「お兄ちゃん」から「けんとくん」に変わり、ときおり「パパ」と言い間違えるようになったあたりで、わたしは待ちきれなくなった。崇さんの来訪を。
そんな折、KKから泊りがけの旅行の提案があった。
小樽ではない。結局小樽の水族館には行っていないが、小樽ならわたしたちの札幌の家から日帰りで行ける。行き先は、旭岳だった。
「その地名を聞きたくもないっていう事情、知らないはずないですよね」
「え、いや、プロポーズの場所ですよね? だから佐野崇さんがそこを指定しているんです」
「プロ……」
崇さんの死んだ場所、旭岳。それは確かに過去に彼にプロポーズされた場所でもあった。晩夏の旭岳を霧が覆っていた。標高が上がり、ホテルに近づくにつれ空には雪がちらつきはじめた。崇さんが慎重に車を走らせて、わたしたちの車の前を大きなエゾシカが横切った。
霧のなかから鼻を出したエゾシカは、姿を見せる前に一体のエゾシカとしての山での暮らしがあるようには思えなかった。霧のなかから突然に生まれたような気がした。
翌日に旭山動物園で見たエゾシカはそのときに横切ったエゾシカの半分くらいの大きさしかなかった。
「これなら昨日見たなあ」
エゾシカの檻の前で笑う崇さんの顔が、目の前にぱっと浮かんだ。そのときのわたしの薬指には婚約指輪がはまっていた。
そこから巻き戻して、旭岳のホテルでわたしが急に熱を出したことを思い出す。そのときに見上げたロッジ風の天井と、サッシの間から出られなくなったアブの羽音。機械のように定期的に音を鳴らしているのが不思議だった。
フロントから薬を貰ってきてくれた崇さんが、こんなときに出していいか迷ったけれど、と前置きして見せてくれた婚約指輪。薬と指輪とどっちを先に受け取るのか迷って、指輪を受け取ったのだった。
――幸せだった。
自覚したところで、水銀みたいに胸に幸せが沈んでいった。今のわたしに過去の幸せは毒でしかない。幸せを幸せに戻すには、崇さんが再びわたしの前に現れる以外なかった。
というところまで考えて、フェイスブックに宿っているはずの崇さんからのメッセージが絶えている事実と、崇さんがわたしと会うためにKKを通じて旭岳を選んできた、ということに今更ながら強烈な違和感を覚えた。
そしてKKは、崇さんがどこで死んだのかを知らなかった。
そもそも、どうしてKKを信用しようと思ったのかというと、フェイスブックのアカウントに宿った崇さんが、KKのイニシャルをあげてきたからだ。死んだ人間がフェイスブックから連絡してくる? そんなことがあり得るだろうか? あり得たとして、生前関係のなかった他人をよこしてきて、その人に頼れなんて言うだろうか?
KKは何かを隠している。
そもそも荒唐無稽な話なのだ。信じたのは、わたしの胸に沈んだままの水銀みたいな幸福の記憶が、崇さんにまた会えるかもしれないという心にすがりたかったから。
KKは崇さんが旭岳ロープウェイの入り口で、遺体で発見されたということすら知らない。その癖に、崇さんが旭岳のホテルでプロポーズしたことは知っている。
KKの知る崇さん像におかしな偏りがある。
いったい、KKの言葉を信じていいものだろうか?
一度抱いた違和感は消えない。わたしは旅行の返事を保留にした。