千代が目を覚ますと、其処は神社の本殿だった。板壁の隙間から陽の光が射しこみ、その空間に影を作っていた。
(……生きてるの……? 生きてるのかしら、私……)
千代は目の前で自らの手を握ってその感触を確かめた。皮膚から返ってきた自分の手のひらの感触に、生きていると感じた。そして、息を殺して気配を窺う。…しかし龍神の気配はしなかった。千代の許からも、この郷からも居なくなってしまったのだろうか……?
何もかもが分からないまま、半身を起こして暗い本殿の中を窺うと、もう一人、其処に横たわっている人が居た。……千臣だ。
千臣の顔はわずかな隙間から差し込む陽光によって陰影を濃く彩られており、まるで生きていない作り物みたいに見えた。もしかして、今まで見てきた千臣は神様の化身で、今其処に居るのはただの抜け殻だったらどうしよう。
「みっちゃん……?」
手に汗を握って千臣の傍に寄る。耳を心臓に当てて鼓動を聞けば、かすかにとくとくと拍動を刻む音が聞こえた。……良かった、生きてる……。
安堵のあまり、涙がこみあげてきてしまった。泣いてしまって濡れた頬でいとしい人の胸に縋る。すると、ふう、と千臣の両の瞼が持ち上がった。
「……ちよ……」
低くて甘い声が千代の名を呼ぶ。それが嬉しくて、腕を千臣の背中に回した。千臣が大きな手で頭を撫でてくれる。……その律動がやさしくて、また涙が出てしまった。
「うん……。手、大丈夫……?」
村人にきつく縛られていた手首には傷ひとつなかった。
「……龍神は郷に絆を残して、天に帰ったな……」
大きな息を一つ零して、千臣が言った。千代も頷く。
「龍神様は、私が奏上の巫女としてこの郷に居ることを条件に、私の中の龍神さまの魂を連れて行かれたわ……。……これからは、みっちゃんが私の半身になってくれる?」
千代が問うと、千臣は口端を上げて笑った。
「……言っただろう。これからは、ずっと千代と一緒に居ると。これからは俺の為に歌ってくれ」
千臣の応えに、千代は涙を零しながら、うん、うん、と頷いた。
神様によって運命を定められていた二人だけど、これからは自分たちの意思で一緒に歩んでいく。
龍神の御子の魂を宿して生まれ落ちた娘と、神の器としてその身を継いだ男は、惹かれ合うままに口づけた。
……夏の風が渡って、神社の裏の泉の水面が揺れた。
神降り立ち降雨あり
恵みの雨は龍と共に来
いかづち刺さりて
迎えさすは落つる御子
碧天(へきてん)に圓光(えんこう)輝き龍一対
龍は来(こ)し方に帰らん
別つ神迎え御子の奏上にて
郷降り立ちて降雨あり
碧天も同じに
地平も同じに
<了>