水凪が千臣を許しても、郷の人たちが千臣の無礼を許さなかった。もともと山奥の小さな集落で、身を寄せ合うようにして暮らしてきた郷の人たちである。自分たちの神さまに対する無礼に対し、一人が憤りを見せると、それはあっという間に郷全体の意思となった。そうなると、光裳や璃子にも千臣を庇う術はない。千代に至っては言わずもがなである。

「そもそも千臣殿は、水凪様がまだ時期ではあらへんと言った水路を引く案も、半ば水凪様を遣り込めるようにして通しはった。自分の功績を上げたかったのか!? 神さまへの敬意がたりん!」

「その上、神さまの手を払うような真似を! これ以上郷にとどまって、俺たちの神さまに何するつもりや!」

求められる土地で、求められることをする為に旅しているというなら、今この郷は千臣を求めていない。水路も完成し、水凪は千代を嫁に取りいよいよ郷に根付く。これ以上は千臣にとって辛いばかりになる。それなのに、出立を決めない千臣に、千代は説得を試みた。

「千臣さん。もう傷は癒えたかと思います。千臣さん発案の水路も、水凪様の逆水流の水のおかげで潤っとる。千臣さんを求めるもんは、もうこの郷にはない筈です。これ以上留まると、郷の人が千臣さんに憎悪を抱いてまう。そうなる前に、出立されるべきでは……」

光裳の家を追い出されて、ぼんやりと渇きの大桜の根元に佇んでいたところを捕まえて、千代は千臣に旅立ちを促した。すると千臣は切なそうに目を細めて、唇を噛んだ。

「俺には……、まだこの土地ですべきことがある……」

まだ、すべきことが……?

「で、では、それを早く片付けましょう。今、この郷は、水凪様への信仰心が最高潮に達しとります。その神さまへ不敬を働いた千臣さんは、木にくくられて、酷く罰された後、神様への供物にされてまうかもしれへん」

千臣がそんな目にあうことが怖かった。それを避けたくて千代が何度も促すのに、千臣は切ない目をしたままだ。

「千代……。そもそも俺が、何故この郷に来たと思う」

何故、……とは。

「あてどない旅の途中……、やったんじゃないんですか?」

「違う。俺は千代に会いに来た」

千臣ははっきりと、千代の目をまっすぐに見てそう言った。

会いに……? でも、千代は千臣のことを知らない。もしかして、旅の途中で神を迎える巫女がいるという話を聞いたのだろうか。

「何故、私に……」

そう問うと、千臣の口許が悲しそうに口がゆがむ。

「覚えてないか……? 俺は確かに片目も潰れ、あの頃と成りは随分変わったが、あの頃からいっときだってお前のことを忘れたことはなかった……。お前も、俺のことを覚えていてくれるから、その首飾りをしていてくれたのではなかったのか……?」

首飾り、と言われて、千代は無意識に着物の袷に手を這わせた。……指先に当たる、硬質な感触……。

「これは……、……子供の頃に、……みっちゃんに貰った首飾り……」

「その『みっちゃん』が、俺だ。覚えてないか、千代。いや、『ちーちゃん』」

『ちーちゃん』。その呼び名は『みっちゃん』と瀬良しか呼ばない呼び名だった。だとしたら……?