「水凪様! 雨はまだですか!?」

「おお、そうや。水路は完成したが、雨を賜っておらん」

口々に問う村人に、水凪は機嫌良さそうに応えた。

「急くな。今、婚姻の儀を取り交わしたばかりだ。俺と千代の絆が完全たれば、雨はおのずと落ちてこよう」

水凪の言葉に、郷の人たちの視線が一斉に千代に向けられた。

「千代! 何としてでも雨を賜るんやぞ!」

「この郷の悲願や!」

「神さまに仕える巫女なんやったら、分かっとるやろうな!?」

口々に叫ばれる言葉たちが、千代の背に刺さる。自分に自由はなく、ああ、もとよりそういう存在だった、と千代は自分を顧みた。こんな自分に、千臣はなんの自由を見出したのだろうか。歌の意味を覚え、文字を覚えることで、幾ばくかの楽しみを見出してしまった千代が今突き付けられているのは、絶対服従以外の何ものでもない。自由を手にすることのなかった過去ならば漫然と受け入れられたそれを今、受け入れがたく思うのは、明らかに千臣と過ごした時間があるからだ。

(アカン……。もう私は水凪様の嫁……、過去は捨てな……。これからは生かされて、従っていくのみなんやわ…)

暗澹(あんたん)たる思いで水凪の隣を歩いていく。人生が輝けば輝くほど、その先に延びる影が暗く濃くなるのを、どうしてあの時気づけなかったのか。視界の先に、千臣と、それを追う璃子の姿があった。

「千臣さん。千代はもう水凪様に嫁いだんやから、千臣さんが千代の家にいるのはおかしいわ。うちへいらっしゃいな。父も歓迎します」

「ありがとう。居をどうすべきか考えていた。感謝する」

「お招き出来て嬉しいわ」

千臣の言葉に、璃子が嬉しそうに腕を絡めた。ざわりと腹の底からのぼってくる熱い塊を、千代はゆっくり息をすることで封じた。出来るだけ二人の姿を目に移さないよう、視線を逸らす。それに気づいた水凪が千代の名を呼んだ。

「何でもありません。すこし日が眩しかったんです」

「そうか。ならいいが」

やさし気に見つめてくる水凪に微笑み返す。迎えの巫女として神様をお迎えできたことは、これ以上ない幸せだ。千代は水凪に寄り添って歩いて行った。

郷の中をくまなく回り、水凪が畑に水を与えていって、家に帰ったのは夕方だった。千臣は入れ違いに璃子の家に移ったらしく、世話になった礼の伝言を祖母から聞かされた。水凪の手前、落胆するわけにもいかず、短く頷いただけだった。

「水凪殿。今夜は留まられるか」

祖母が水凪に聞いた。水凪はいつも夕方に郷から姿を消して、朝方戻ってくる。しかし婚儀を交わしたこともあり、人間のしきたりに倣うのか、と問うているのだった。

「俺にはお前たちの言う男女の仲になる、という概念はないが、今日はめでたい日でもあるし、一日、とどまっても良いな」

「では、食事を……」

用意いたします。そう言う前に、祖母が水凪に口を開いた。

「おお、そうですか。であれば水凪殿。ひとつ、頼まれてはくれませぬか」

千代はにっこりという祖母の言葉を、ぽかんと聞いていた。