怪我が癒えてからの千臣は、千代たちと一緒に食事を囲んでいた。今朝も祖母や千臣はいつも通りだったが、千代は昨日の一件を忘れられないでいた。
自分を見つめる千臣の瞳に、明らかに気持ちが傾いたことを自覚した。文字を習って楽しかったのも、千臣の教えがやさしいと嬉しくなったことも、全てその気持ちがあったからなのだと、自覚した。

(雑念を払わな……。私は神さまに仕える巫女やもん……)

何度唱えたか分からない言葉を、今日も胸の中で唱える。千代は意を決して口を開いた。

「おばあさま。水凪様を郷にお迎えしてから、もうふた月が経ちます。水凪様が私を嫁にとお求めになられたのに対して、私は何かしなくてもいいのでしょうか」

千代自ら通ってくれ、等とは言いにくいが、歌の通り何か儀式が必要なら、それを奏上しても良いと思う。それを千臣のいる前で言う事にも、勇気は要ったが意味はある。つまり自分と千臣の間には、怪我人とその看病をしたもの、もしくは文字の教え手と学び手という以外ないのだと、自らに言い聞かせるために。視界の端で、千臣が目をつむったのが分かった。祖母が口を開く。

「巫女であるお前が龍神様に何かを申し上げるんやったら、今一度奉納の舞をしてはどうや。神さまはお前の気持ちを汲んでくださるに違いないと思うが」

やはり奉納の儀が必要なのだ。千代は手はずを整え、水凪を前に、舞を捧げることにした。水凪に伝えた。

儀式の件はあっという間に村中に広まり、当日は神社の前に人が群がった。……当然だ。郷の人たちは、水凪が千代を嫁に迎えることを心待ちにしていたのである。千代の意思を尊重して無理強いをしなかった水凪は、村人に賞賛されるも、その一方で郷に降りてから一度も雨を降らせなかったことに、やきもきしていたらしい。千代が自ら水凪に対して舞を舞うことを決めたと聞いて、喜ぶ村人が多かった。

拝殿の前で、神楽鈴を手に静かに構える。境内には水凪を前に舞う千代を見ようと、村人が群がっている。千臣もその中の一人として佇んでおり、彼の目の前で水凪に舞を捧げるのだと思ったら、身震いするくらい緊張した。