その後も毎日、練習を続けた。続けているからか、文字の形は横広がりや、縦長から、だんだん配置よく書けるようになってきて、それを毎日千臣に見せるのが、千代の楽しみになっていた。

「千臣さん。この『ね』は今までで一番形よく収まっているような気がします」

地面に書いた『つねんらむ』の一行を指し示して千臣に見せると、千臣は顎に手を当てて、ふむ、と頷き、千代を褒めた。

「そうだな、かなりまとまりが良い。しかし『む』が、まだ横広がりだな。まだまだ練習が必要だ」

「はい、頑張ります」

返事をして、また地面にいろは歌を書いていく。千臣がやさしい瞳で千代を見ていた。

「千代は勉強熱心だな。文字を覚えたらどうだと提案したのは俺だが、郷で役立つかどうか分からない知識に対して、こんなに熱心に取り組むとは思わなかった」

「そうですか? 千臣さんの教え方がやさしいから、出来が悪いなりにやる気になります。せやって、どんな文字を書いても、いっちゃん最初に褒めてくれるやないですか」

それが嬉しくて、とふふっと笑ったら、千臣も嬉しそうに笑った。

「俺は、千代が自由に時間を生きているのを見るのが嬉しい」

千臣は常に、千代に自由を与えたいようだった。何故、旅先で会っただけの千代にそこまで思ってくれるんだろう。

「……私、そないに不幸に見えましたか……?」

神様に人生を預けることが、そんなに不幸だろうか。郷の人に喜ばれ、命も長らえた今、千代は不幸なんかじゃない。なのに、千臣の目に映る千代は、何処か不幸を帯びた娘であるような気がする。

「水凪様やって、おやさしいですよ。こうして千臣さんに文字を教わることを許してくらはったし、他にも、横暴にされたことはありません」

微笑んで言うと、千臣は静かに千代に問うた。

「水凪殿が、そんなに好きか」

真剣な声でそう聞こえて、千代は地面に向けていた顔を上げ、真っすぐに千臣を見た。千臣はひたと千代を見つめており、漆黒の奥深い隻眼が千代の心の奥を見透かすような色だ。