瀬良が千代の誕生日を祝ってくれた、村の丘の大きな桜の木の許まで来た。ここの桜は葉が生い茂っている。木漏れ日に照らされながら、千代は休憩の為に千臣とその場に座った。千臣が自らの傍らに突いてきた杖を置いた。

「だいぶ歩きましたね。脚の具合は如何ですか?」

気遣う千代に千臣は大丈夫だ、と微笑った。

「良い運動になるな。千代の世話になってから、ずっと家に居ただろう。流石に鈍(なま)るところだった。連れ出してくれて、ありがとう」

穏やかなまなざしで微笑まれると、美しい顔だけに千代はどきどきしてしまう。そういう意味では、千代も璃子たちと同じだった。彼女の言葉を否定することは出来ない。

(あかん……。璃子たちを遠ざけて私と一緒に居てくらはるのは、私が色目を遣わないと思ってはるからやわ……)

だとしたら千臣の思い通り、千臣の前ではつつましやかな巫女で居なければならない。千代は高鳴る胸の鼓動を押し殺して、千臣に笑顔を向けた。

「璃子は村の娘の中では一番の器量よしなのに、千臣さんの審美眼には敵わないんですね。都か、郷里にか、想い人でもおらはるんですか?」

美しい顔立ちからは想像できないくらいに鍛えられた体躯に、千臣を色恋よりも旅に掻き立てるものがあるのだと信じて言葉を向けていた。しかし千臣は、千代の思いに反して零れる木漏れ日のように穏やかに微笑むと、そうだな、と呟いた。それが。

どうしようもなく切なくて。こんな人に穏やかに微笑まれながら想われる女性は、どんな素敵な人だろうと思った。

さわさわと風が流れる。静かな丘の上で、風の音と葉の音以外に何も聞こえなくて、そんな沈黙が堪らなく辛くて千代は口を開いた。

「わ……、私も、……忘れられない人が、居るんです、……よ……」

何を、言っているのだろう。千臣は千代のことを色恋に関係ない人だと思っているのに。

「小さい頃、この村からおらんくなってもうた、大事な友達……。もう、名前も顔も、想い出せへんのですけど、……忘れられへんのです……。……とても、……大事な、友達やったんで……」

そう言って、着物の首元から首飾りを出して見せた。あの子が千代に残してくれた、大事な勾玉……。

「あの子がどこかへ行ってまう前に貰ったものです……。……私の宝物です……」

そう言って、指先で勾玉を撫でる。……不思議と気持ちが落ち着いてくるのが分かった。きっと、あの子が支えてくれている。そう思えた。

穏やかな風が流れる。千代の思い出話に千臣は何を思っただろう。桜の大木の枝の間から、午後の日差しが差し込んでいた。