なんだったんだろう、あれは……。どきんどきんと嫌な汗が千代の背を伝った。今見た行いが『お迎え』に当たるなら、『郷に神さまをお迎えする』千代は、永遠に神様をその身に宿して乗り移られていないといけない。

さっきの祖母の、祖母じゃない様子が脳裏に思い起こされる。あの時祖母は、確かに別の人間だった。祖母たちは、千代に、別の人間になってしまえ、と言っているのだろうか? 千代なんて、居なくてもいいのだろうか?

その日の夕餉の席で、千代は昼間ののぞき見を指摘された。

「お行儀が悪いね、千代。あれは神さまや亡くなった人の声を聴くための、巫女の仕事やで」

やっぱり、そうだったんだ。じゃあやっぱり、『郷に神さまをお迎え』するために、千代はこの世から居なくなってしまうんだ。ぞっとした。にこにこと親しく笑みを向けてくれていた村人たちが、みんな千代のことを使い捨てるようにするのだと感じた。

(わたし、要らない子なの?)

幼い千代にとって、未来はきらきらと果てしなく続くものだった。それが途中で暗闇の崖っぷちでぷつっと途切れてしまうような感覚。怖かった。

少し物事が分かるようになれば、村人たちが千代に掛ける思いの理由も分かるようになった。十五年前に起こった大飢饉。村は旱(ひでり)に苦しみ、幾人もの村人が飢えで死んだ。その時の記憶があるから、村人は永遠の水を欲するのだ。龍神様を我が郷に。それは村人の口癖だった。村には細く頼りない川と、よどんだ沼しかない。作物を育てるにはどうしたって水が要る。農村では、自分の食べるものは自分で作らなければならない。水を欲するのは、つまり、生きていくうえで欠かせないからなのだ。

千代の家族も、その飢饉で死んだ。千代の母親と千代を何とか生かそうとした父親は、飢えで弱った体を押して山へ狩りに行き、狩りの途中で熊に襲われて死んだ。父親という働き手が居なくなった母親は、ご神託のあった千代を守るために自らの少ない食糧を千代に与え続けたために餓死した。