「千代」

「は、はい!」

「お前に免じて、水路へ水を満たそう。だが、俺は力仕事はやらんぞ。水は引くが、水路は自分たちで作れ」

漸く水凪が頷いてくれて、千代は飛び上がった。

「は、はい! 精いっぱい頑張ります!」

満面の笑みになった千代の頭を、水凪が撫でる。

「すまないな。お前がこいつに肩入れしたのかと邪推した。お前は郷のことを考える、良き巫女だな」

水凪はそう微笑んだ。千代の足の裏から背筋にすうっと水の気配が通ったのが分かった。

「い、いえ……! でも、みんなが喜びます! ありがとうございます!」

よかった。これで郷が水に困ることはなくなる。

「千臣さんも怪我が治ったら手伝ってくれるそうです。若い方の力が増えるのは心強いですね」

「そうだな、千代の看病も効くだろう。よく世話をしてやることだ」

「はい!」

元気よく頷いたら、水凪が口の端(は)を曲げた。ずいっと顔を千代に近づけると、千代の長い髪を掬い、口許に寄せた。美しいかんばせを目の前にして、千代は一瞬息を忘れる。

「しかしお前は俺の嫁だということを忘れるな。お前を貰う喜びを得るからこそ、俺はこうして郷の為に働くのだからな」

甘い吐息に載せるような睦言を平気な顔そしていう水凪は、いわゆる手練れ、なのだろう。こういうさりげない仕草に千代が対応できないことを、分かってやっているような気がする。現に水凪の目は、千代を見て美しい曲線で笑っている。

「み、水凪様、からかわないでください!」

「はは。千代がかわいくてな」

水凪は目を細めて笑うと、もう一度ぽんぽんと千代の頭を撫でた。巫女の継承儀式も済ませたし、子供ではないと思うのに、水凪は千代をまるで子供にするみたいにからかう。五百年以上生きてる神様から見たら、人間はみんな子供みたいなものなのかもしれない。それが分かっていても、からかわれて恥ずかしいと思う気持ちはなくならないが。

「わ、私、みんなに知らせてきます! きっと水凪様のご好意を喜んでくれると思います!」

千代はそう言って水凪の許から駆けだした。あのまま水凪の隣に居たら、幼稚な自分が情けなくなりそうだったからだ。

(人間が神さまに太刀打ちできるなんてあらへんのに……)

そこまで考えて、もやもやしてしまいそうだったから千代は自分で頬を叩いた。人間を神さまと比べようなんておこがましい。

(私は、水凪様を郷にお迎えするためだけの、巫女)

それ以上でも、それ以下でもない。

今日も呪文のようにそう唱える。表に出て鳥居の周囲にたむろして事の成り行きを見守っていた郷の人たちに水凪が許可をくれたことを報告した。わっと湧く村人の近くを、瀬良が通りかかって声をかけてきた。