その日も瀬良の家の畑の農作業の手伝いも終え、農作業を見守っていた水凪と一緒に神社に帰って来た。瀬良は何かと千代が水凪と一緒に居るところにくっついてくる。おそらくまだ、水凪が千代を乗っ取らないか、気にしているのだろう。千代は巫女として水凪を受け入れるつもりであったし、瀬良の心配は無用、と言いたいところだが、実は千代も、自分が水凪に対して何もしていないことから、まだ水凪を『迎えた』という気持ちになっておらず宙ぶらりんの状態であったから、瀬良の気遣いはありがたかった。

三人で鳥居の前を通り、家に向かおうとした時、神様の泉のほとりに誰か人の影を見つけた。あそこは聖域で、人が立ち入ってはいけない所だ。村人なら知っている筈だが、どうも後姿が見知った人ではない。千代は水凪に断って、注意をするために泉の方へ足を向けた。

「其処の人」

呼び掛けたが、返事はない。動く様子もないので、千代はその人に近づいていった。

「其処の方、その泉は神様の泉です。むやみに立ち入らないでください」

歩みながら呼び掛けると、既に膝まで水に入っていたその人が振り返った。

「……っ」

驚いた。やはりここらの人ではない。陽に焼けていない透き通った肌に、髪は括られた上に肩甲骨あたりまで伸びている。着物も小袴(こばかま)の裾を膝まで手繰った旅人風で、争いごとに巻き込まれたのか、隻眼の目は凜と切れ長に美しく、開いた瞳は奥深い漆黒だ。唇はぽってりとして厚く、言葉を発したらどんな甘い声が漏れ聞こえるのだろうと思わせる。水凪も美しい顔をしているが、この青年もかなり美しい顔だ。着ているものは粗末だが、その人物生来の美しさが龍神様の住まう泉の雰囲気に合っていた。