『──ねぇクロノ、これってもう向こうと繋がってるんですよね? じゃあ、さっさと原稿読み上げた方がいいですよね?』
真っ青な空の上に、魔王軍では知らないものがいないであろう一人の少女が映っていた。
ロゼッタ・アグレアス魔王陛下。
ついこの間、二代目魔王を襲名されたばかりの、我らの頂点に立つお方だ。
「ま、魔王様だ……」
「な、何でこんなところに……?」
それが何故、映像になっていきなり王都の上空にあらわれたのか。
俺もジューガも、近くにいた他の兵士も、皆あぜんとして映し出された彼女を見上げる。
『あー……えーと、ロゼッタ。そんなに緊張しなくて大丈夫だ。まだ通信のスイッチは入って……いや、うん、入ってないから。それより伝えておきたいことがあるから、そっちを先に聞いてくれないかな』
と、魔王様の隣に別の人影が映り込んで言う。
それは黒髪で、いかにもひ弱そうな人間の男だった。
おそらくあれが魔王様をそそのかしたとかいう人間なんだろう。
クロノと呼ばれたその男は、原稿を要求する魔王様の手を拒み、馴れ馴れしくもタメ口で何事かを上申し始めた。
『先に報告があった元帥側の兵に配られている竜鱗のことだけど……俺が思うに、このまま放置しておくべきだと思うんだ』
『何ですって!? ど、どうして?』
『ここ数週間で、俺たちの側に降る兵士もかなり増えてきたけど、全魔族がこちら側についてくれるというのはさすがに難しいと思う。だったら、味方にならない奴には竜鱗の呪いを受けさせて、弱体化させてしまった方が良いと思うんだよ』
『え……な、何を言っているの、クロノ……?』
魔王様は驚愕の様相でクロノを見た。
あなたがそんなことを言うなんて信じられない、そんな感じの表情だ。
一方クロノは、魔王様の様子を気にも留めず、淡々とした口調で答えていく。
『確かに、竜鱗は魔法を跳ね返すやっかいな素材だ。けど、身に付ければ精神に異常をきたす危険なものでもある。なら、元帥側の兵にそれらを装備させることで統制を乱してしまえば、より楽に勝てるようになるんじゃないかな、と』
『ちょ、ちょっと待って下さい、クロノ! 昨日までと言ってることがまるで逆じゃないですか! クロノ自身が言ったんですよ!? 『魔族の仲間たちを一人でも多く助けたい』って! それなのに、どうして今日になってそんな仲間を切り捨てるようなことを言うんですか!?』
『確かに、理想を言えばそうかもしれない……でも、そんな甘っちょろい考えじゃ、救えるものも救えなくなる。それに俺たちは仲良しこよしのお友達集団じゃない。魔王軍なんだ。こちらに付こうとしない奴らは敵とみなして利用できるものはしてしまう。それくらいの割り切りも、戦いには必要になってくるんだよ』
『く、クロノ……!』
魔王様の顔が泣きそうなくらい悲痛なものに変わる。
その儚げな表情は美しくさえ見える。
ただ、クロノという人間の言うことも一理あるように思う。
竜鱗の甲冑が今言った通りヤバいものなら、新魔王軍はそれを利用しない手はないからだ。
戦とはそういうもの。勝てる要素を排除して、自軍を不利に追いやる者は指揮官失格といっていい。
しかし、ロゼッタ様はそんなことは納得できないとばかりに唇を真一文字に結ぶと、クロノから少しばかり距離を置いて言った。
『……ダメです。許容できません』
『何だって?』
『いくらクロノの申し出でも、それだけは許可できません。私たちは魔王軍……数多の魔族が集まってできた共同体です。私にはその魔族を守り、導いていく責務があります。戦いに勝つためとはいえ、救える命を救わないことは、その任を放棄するに等しいこと。それをやったら私は……魔王ではなくなってしまう』
『……』
『いくら戦いを有利に導くためでも、外道にまで落ちるつもりはありません。あなたが本気でそんなことを言うのなら……クロノ、私はあなたと袂を分かつことになります』
『……そうか』
最後には強く言い放つと、ロゼッタ様は凛然たる視線をクロノに向ける。
一方、クロノはロゼッタ様の気迫に圧された様子もなく、確認するように再度同じことを尋ねた。
『……では、君は魔王として、あくまで竜鱗の呪いを利用すべきではないと。自軍に降るか否かに関わらず、すべての魔族を助けたいと。そう言うわけだな』
『そうです』
『その言葉、魔王として二言はないな?』
『ええ、ありません!』
『……それでこそロゼッタだ』
そこで何故かクロノは安堵したようにフッと笑みを漏らす。
そして、魔石の方に目線を移すと、今度は見ている俺たちに話しかけるように声高に叫んだ。
『──中央の都に残っている魔族たちよ! 今の魔王様のお言葉を聞いたか! これこそが、我らが主たるロゼッタ様のお心である! ロゼッタ様はどちらに付くかなど関係なく、すべての魔族たちを思っていらっしゃる! その御心を今こそ知るがいい!』
『……えっ』
『聞け、魔族たちよ! 三元帥は竜族の国家ドラグニアと同盟を結んだ! だが、竜が支給した甲冑には、精神に異常をきたす魔素が含まれている! このままそれらを身に付ければ、お前たちはいずれ竜族の操り人形となり果てるであろう! 今からでも遅くはない、竜鱗を捨て、我らのもとへ馳せ参じよ!』
あらかじめ用意していたかのように、長い口上が高らかに述べられた。
その時、俺はハッとなって気付く。
そう、この状況は本当にあらかじめ用意されていたのだ。
この映像は俺たち中央の兵に呼び掛けるためのもの。
竜鱗の危険性を告発し、新魔王軍に加わるようにアジテーションする。そのための一部始終だったのだ。
ただし、魔王様はそのことを──すでに通信がつながっていることを、あえて知らされていなかった。
それは、今の会話を聞いていればわかる。
そして、だからこそ、魔王様が本心から俺たち末端の魔族まで思いやっていてくれることを知ることが出来た。
そこまで考えて、クロノは今の会話を流したのだ。
『悪い、ロゼッタ。実は今までの会話は全部王都に流れっぱなしだったんだ。通信がつながってないってのは嘘だ。ただの演説じゃない、お前の心からの言葉を皆に聞かせたくて、わざと逆の方針を提案したんだ。混乱させてすまなかった』
『えっ、えっ……ええっ!?』
ロゼッタ様は赤面してわたわたと慌てる。
その様子は年相応で、さっきまでの凛々しい彼女とのギャップもあって、なんだかすごく可愛らしい。
『じゃっ、じゃあ……竜鱗を放置するっていうのも、味方にならない魔族を利用するっていうのも……全部嘘なんですね?』
『ああ。すでに四天王直属の部下たちが竜鱗を密かに回収し始めている。できる限りのことはするつもりだ』
『……良かったぁ……』
ほっと脱力するロゼッタ様。
一方、クロノは再び魔石目線になると、中央の魔族たち──つまり俺たちに、王都脱出の手引きを説明した。
すでに支援部隊が王都の近くまでやって来ているとのことであり、都を出ればその部隊が脱都者たちを保護してくれるらしい。
合流地点や到着予定時刻、部隊の規模などが大まかに説明される。
そしてクロノはこの後自らも中央に向かうと述べ、以下のようにして説明を締めくくった。
『同じ魔王軍として、俺たち四天王が皆を必ず守ってみせる。だから、どうかロゼッタ様を信じて欲しい』と。
(この人間の男……こいつは……やるヤツだ)
俺は素直に感嘆した。
魔王様の本音を引き出した手腕といい、この男、かなり切れる。
心意気もだけど、その実力も信用していいんじゃないだろうか。
そう思って周りを見渡すと、付近の魔族も俺と同じ思いなのか、希望に満ちたまなざしで空中の映像を見上げていた。
「きっ、貴様らあっ! 何をやっておるかあっ! あんなものに惑わされるな! さっさと兵舎に戻っておれっ!」
そこから間もなくして、上官が慌てた様子でやって来て、俺たちを怒鳴りつけて映像を遮ろうとする。
きっとおそらく、今のメッセージもロゼッタ様の本心ではないとして、なかったことにされるのだろう。
──だが、これからどうするか。俺も含めた全兵士の心は、申し合わせるまでもなく、すでに決まっていたのだった。