ところ変わって、魔王城の会議室にて。
いつもの位置に座った元帥たちは、それぞれがある一枚の書簡を手に持ち、いまいましげにそれを眺めていた。
その紙は、二代目魔王ロゼッタが魔王軍の全国民に宛てて書いた『檄文』だ。
すなわち、自ら王位の正当性を主張して元帥たちを糾弾し、民たちに賛同を求める書面である。
もはや魔王軍内での対立が避けられないと悟ったクロノは、すべての魔族を味方に取り込むべく、ロゼッタの名義で上記の書簡を作成した。
そしてそれを何千枚、何万枚もの紙に刷り、部下に指示して王都内の城下町でバラまかせた。
その部下たちは、城下にいた頃から付き合いがあった、信頼できる直属の者たち。
さらに加えて、フレイヤたち他の四天王の部下にもそれを行わせたため、その檄文は驚くべき拡散スピードで領土内を駆け巡ることとなった。
「……何だこのふざけた書簡は……!」
空魔元帥は檄文が書かれた紙をぐしゃぐしゃと丸めると、怒りに任せて床に叩きつけた。
「奴らめ、とうとう本格的に権限奪還に向けて動きだしおったわ」
海魔元帥は書簡を破ると、紙片が床に散らばるのも気にせず払い捨てる。
「いずれはこうなるだろうと思ってはいたが……意外に早かったな」
陸魔元帥は紙を裏返し、眉を寄せて背もたれに体を預けた。
いずれの元帥たちも声色から苛立ちを隠せず、会議室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
実際、ロゼッタがこうした行動に出たことで、元帥たちの立場は追い込まれつつあった。
今までは噂程度で見過ごされていたものが、事実であると判明し、それが白日のもとにさらされたのだ。
それは元帥側とロゼッタたちとの対立構造のみならず、三元帥が数々の汚職に手を染めていることも含まれており、檄文にはそれらの不正を弾劾する内容が記されていた。
また、この書簡はロゼッタが民に信を問うかたちで発されたものであり、そのことも元帥たちには不利に作用した。
つまり、否応なく全国民が巻き込まれる状況になり、そうであるなら正統な後継者たるロゼッタへと、自然と賛同が集まることになるからだ。
事実、その流れを受けて、中央の都からクロノの屋敷へ出立する魔族たちも続々とあらわれはじめていた。
「……どうするのだ。このままでは我々は魔王軍に楯突く反逆者となってしまうぞ」
「とにかく兵の流出を食い止めねばならん。賄賂を与えるなり、あるいは脅すなりして各将兵に働きかけるのだ」
「そんな悠長なことをしている場合か。ロゼッタのもとに下る輩の中には、我らの首を手土産にしようとする者がおるかもしれん。まずは身の回りの防護を固めることこそ肝要だ」
「そうだとしても、人材がいなくなれば結局最後にやり玉に挙げられるのは我々だぞ。ならばこちら側からも正規軍を立ち上げ、奴らこそが反逆者だと声明を出すべきではないか?」
「だが、軍の編成はどうする。こうしているうちにも、どんどん兵士どもがロゼッタのもとに流れてゆくぞ。真正面からぶつかって、我らに勝つ見込みがあるというのか?」
「ふん。いつも大言壮語ばかり吐いているくせに、なんと弱気な。情けない奴」
「なんだと!?」
「事実を言ったまでだろうが。それでそんなに怒るとは、まさか自覚でもあるのか?」
「貴様っ……」
「よさんか、馬鹿者どもが。今我らが争い合ってなんとする」
「そういう貴様こそ。何も案を出さずにいるなら我らと同じ、いや、それ以下だ。一人だけ冷静な振りをして賢しらぶるな」
「な、お前、私を愚弄する気かっ!」
焦りと各人のプライドが邪魔をして、会議は遅々として進まない。
クロノが着々と自軍の戦力を増強しているのとは対照的に、元帥たちの権勢には陰りが見え始めていた。
今はまだ半数以上の民が中央の都に留まっており、一見すれば均衡した状況にも見える。
しかし、現在の情勢を放置し続ければ、いずれすべての魔族たちがロゼッタのもとに参集するのは火を見るより明らかだった。
「うぬぅ……」
「おのれ……」
「ぐむぅ……」
苛立ちだけが三元帥の胸の内を支配する。
だが、すべてが行き詰まりかけたその時、それを打ち破るかのように会議室のドアがノックされる。
「失礼いたします。三元帥閣下に、お目通りを求めている方が来られておりますが……いかがいたしましょう」
「何だ。来客なんぞ許可しておらんぞ。追い返せ」
「い、いえ。それがその方、実はドラグニアの上級大将を名乗られておいででして……」
「……ドラグニアの上級大将だと!?」
秘書官の言葉に空魔元帥は思わずその単語を復唱する。
続いて、面会が許されていないにもかかわらず、秘書官の背後から一人の男が部屋に割り入ってきた。
その男の年齢は、人間に換算して二十代後半くらい。
中性的な長髪の容貌で、前髪の隙間からは爬虫類のような縦長の瞳孔の瞳をのぞかせている。
「お初にお目に掛かります。私はドラグニアの将帥、ラグナ・グレインと申す者。本日は魔王軍の真の支配者たる元帥閣下方に、助力を申し出に参りました。知恵者たる我々はお互いに手を組めると思うのですが……いかがかな」
不敵な笑みをたたえたその男は、ハシュバール戦でクロノが不審に思い、一人だけ戦線を離脱した黒い詰襟の兵士だった。