アストリアは、氷魔族という種族の出身だ。
 彼らは魔王軍領の北方に住み、氷を操る魔法に長けている。

 魔族は皆が同じ生態というわけじゃない。
 さまざまな種族ごとに細分化されれいる。
 それぞれが異なった社会を持ち、彼らは独自の規律によってコミュニティの秩序を保っていた。

 氷魔族もそんな種族の一つで、魔王軍内ではかなりの割合を占める大派閥だ。

 アストリアは四天王でありながら、その部族の長でもある。
 氷魔族は力あるものが上に立つ、実力主義の社会。
 若くして抜きんでた強さを持つ彼女は、満場一致で長の職責を拝命することとなった。

 しかし、そんな実力主義の氷魔族だったが、一つだけ時代にそぐわない掟があった。

 部族の長は男でなければならない──氷魔族は、男系社会だったのである。

 もともとそれは、男の方が魔力も体力も勝っていることから生まれた規律だった。
 だが、皮肉なことに、当代においてもっとも強い魔力を持つアストリアは女として生まれてしまう。

 一族の中から何としても長を輩出しようと考えた彼女の両親は、アストリアの性別を偽り、男として彼女を育てた。

 そして、不運なことにその秘密は、海魔元帥の知るところとなる。

 海魔元帥はアストリアを脅迫した。
 「女であることを明かされたくなければ、クロノを始末し、魔王ロゼッタを取り戻して来い」と。

 それが明るみに出れば、彼女は長の地位を下ろされるだけでなく、最悪の場合、家ごと取り潰しになってしまう。

 アストリアはその秘密をバラされたくない一方で、俺たちを裏切ることもできず、自らが斬られる覚悟で屋敷にやって来たのだった。



「えーと……それって……そんなに深刻なことなんですか?」

 アストリアの話を聞き終えたロゼッタは、よくわからないと言った様子で俺に尋ねた。

「……どういう意味かな」

 俺が問うと、彼女は「だって」と、不満げに唇を尖らす。

「だって、すべての魔族のトップである私は、女なんですよ? 魔王の私が女でもいいのに、アストリアが女だったらいけないなんて、おかしいじゃないですか。それなら私が氷魔族の領地に行って、彼らに認めさせれば済むことだと思うんですけど。『アストリアが女で、何の問題がある』って」

「いや、待て」

 と、俺は腰を上げかけたロゼッタを止める。

「事はそう単純じゃないんだよ。氷魔族には氷魔族の流儀がある。いくら魔王でもそこに介入することは、彼らの文化を否定する越権行為だ」

 まあ、いよいよとなれば強権を発動することもやぶさかではないだろうが、それはあくまで最終手段として取っておくべきだと思った。

 ただ、そうはいっても、このまま放置するわけにもいかない。
 アストリアは大切な仲間だし、氷魔族の間に亀裂が生じるのも避けるべきだ。

 だが、彼女の性別が明かされてしまうことは、もはや避けられないだろう。
 問題はそのうえで、どうやって同族の者たちにアストリアの立場を認めさせるかだが……。

「なぁ、アストリア。何かないのか? 女でも正式に長として認められるような方法って」

「あ、あの、クロノさん」

 アストリアはそこで、戸惑ったように声をうわずらせた。

「ロゼッタ様も……どうして僕を助けるような話になってるんですか? 僕はクロノさんを斬ろうとしたんですよ。てっきり僕は、お二人に断罪されるものとばかり思っていたんですけど……」

 おずおずとそう尋ねる彼女の言葉に、ロゼッタはきょとんとしてアストリアを見る。
 多分、俺も似たような顔をしていたに違いない。
 ロゼッタはこちらに目をやった後、意を得たりというような表情になり、右手で手刀の形を作ってアストリアのおでこに当てた。

「えいっ」

「って、あ、あの」

「そんなに裁かれたいなら、今のが私からの罰です。それともう一つ。何でもいいからあなたが当主として正式に認められる方法を探しなさい。私たちの力が必要なら手を貸しますから。それがかなうまでは他のことをするのを許しません。いいですね?」

「え……」

 腰に手を当て、精一杯の尊大さを保つようにしてロゼッタは言った。
 その仕草がどこか微笑ましくて、俺はクスリと笑みを漏らす。

「ま、要するにそういうわけだ。俺たちは全面的にお前に協力する。ていうか、ここでお前を断罪とかしたら、俺を嫌ってる元帥たちの思うつぼだからな。わざわざこっちの仲間を切り捨てるわけがないだろ」

 俺は彼女の両肩に手を置き、力を伝えるように重みをかけて言った。

「俺たちのことは気にするな。それよりちゃんと長になって、誰からも異議がないようにすることだ。悪いと思うならそれが一番の償いになる。同族の奴らに認めさせるのは大変だろうが……負けるなよ、アストリア」

 正直、長としての重圧だとか、性別を偽っていたことの後ろめたさなんて、俺には理解できない種類の悩みだ。
 それでも、そんなことのためにアストリアが潰れてしまうのは惜しいと思ったし、俺に斬りかかったことも、追い詰められた彼女の心情を思えば、とがめる理由にはならなかった。

「クロノさん……ロゼッタ様……。ありがとうございます……僕、頑張ります……!」

 俺たちの言葉にアストリアは声を震わせ、大きく頭を下げた。


 ──それで何というか、ちょっと拍子抜けする話なのだが、彼女が一族の長として認められる方法は、すぐに見つかることになる。
 というか、アストリア自身がそれを知っていた。

 その方法というのは、『決闘によって他の候補者を打ち倒すこと』。
 圧倒的な実力を見せつけることで、同族の者たちに自らの正当性を認めさせる。
 実力主義の氷魔族においては、そんな慣習が古くからまかり通っていた。

 ……であれば、随一の魔力を持つアストリアならそんなことは容易かと思えるのだが、そう簡単にはいかない。
 というのは、その決闘にすら男社会の縛りが及んでいたからである。

 氷魔族の女性が決闘によって己の正当性を主張する場合、男の代理人を立てる必要がある。
 その代理人が勝てば良し。しかし負ければ、アストリアの存在は彼らの社会の中で永遠に汚名を着せられることになる。

 だから、重要になってくるのは、誰を決闘の代理人にするか。
 氷魔族で一番強い魔力を持つのはアストリアなので、彼女に賛同する同族がいたとしても、それより劣る者になってしまうのだが……。

「それだったら、ぴったりの人がいるじゃないですか」

 と、ロゼッタがまるで心配ない口調で言った。

 あれ、ロゼッタってそんなに氷魔族に詳しかったっけ、と疑問に思い、俺は「そんな奴いるのかよ」と尋ねる。
 すると、ロゼッタの人差し指がスッとこちらに向けられた。

「って、まさか……俺かよ!?」

「そう。我らが礫帝、クロノ・ディアマット。これ以上の人選はいませんよ」

 驚いて声を裏返らせる俺に、彼女はにっこりと微笑んでうなずいたのだった。