私、ロゼッタ・アグレアスがクロノの屋敷に来てから、およそ一月が経った。
ここは人里離れた農村ではあるものの、ダンジョンの探索など、意外と退屈しない日々が続いている。
最近では四天王のクラウディアと娘のドロシーまでやって来て、屋敷は一段とにぎやかさが増した。
クロノと二人きりでなくなったのは、ちょっと残念ではあるけれど……。
でも、だからといって、クラウディアに出て行けなんて言うつもりはない。
幼い娘を連れた母親を元帥たちのもとに送り返すほど、私は冷酷な魔王ではないのだ。
それに、新たな魔王軍を作る際、彼女の力は必要になる。
現魔王軍の上層部と違って、クロノを含めた四天王は誰もが信用に足る人物だ。
クラウディアだけでなく、アストリアやフレイヤも。
彼らはクロノの友人だし、私が言えばきっとこちらについてくれるはず。
そして、新魔王軍が樹立された暁には、私は魔王の座をクロノへと譲り渡す。
彼を中心とした政権へと移行して、私自身は彼を裏から支える役に回る。
王都を飛び出して以降、私はおぼろげながらも、ずっとそんなことを考えていた。
……そう、私はクロノに魔王になって欲しいと思っていた。
どうしてこんなにも彼に惹かれるのだろう。
きっとそれは、私がまだ物心ついたばかりの頃、彼に助けられた『あの日』がきっかけだったように思う。
先代魔王の一人娘として生まれた私は、幼い頃、城から出ることを許されなかった。
まさに箱入りという感じで、いつも魔王城の奥で過ごしていた。
母の顔は知らない。私が生まれた時に亡くなったからだ。
でも、寂しくはなかった。
お父様、オセ・アグレアスはとても優しかったし、私の隣にはいつもクロノがいた。
私より少し年上の少年、クロノ・ディアマット。
先代魔王であるお父様に見出され、人間の村から移り住んできた男の子。
最初の頃は敵の種族の子供ということで、私の方が少し怖がっていた。
けれど、クロノは物怖じすることなく、気さくに私へと話しかけてくれた。
後で聞いた話によると、歳の近い子供に会うのは初めてで、いつも以上にはしゃいでしまったらしい。
その出会いは功を奏し、私たちはすぐに仲良くなった。
事件が起きたのは、私たちが知り合って数日が経ったある日のこと。
その日、城の離れに閉じ込めてられていた竜族の捕虜が、牢を破って脱走した。
その竜は看守を殺害して、最奥にある私たちの居住区画へと入り込んだ。
逃げ出した竜は大人の二十倍ほどの大きさがあり、手負いということもあって、手が付けられなかった。
狂暴化して、所狭しと城内を暴れまわる。
竜族の者は人間形態にも変化できるのだけど、その個体は痛みでそれすら忘れたのか、竜の姿のまま居住区の人々を傷つけていった。
騒ぎが起こった時、運の悪いことに私は近くの棟にいた。
しかも逃げ遅れて、真正面から竜に遭遇してしまう。
皆がパニックで逃げまどい、いくら私が魔王の娘でも、身を挺して助けようとする者は一人もいなかった。
その時、小さな影が私をかばうように竜の前へと立ちはだかった。
クロノだ。
「ロゼッタ、僕の手を握って!」
クロノは恐怖に怯むことなく、凛々しい声で私に指示した。
考える暇もなく、私は言われた通りに彼の手を握る。
すると、私たちの魔導回路は連結して、こちらの魔力が彼へと流れ込んだ。
「くらえ、デカブツ!」
クロノは私の魔力を取り込み、それを自らの力に変えて竜へと撃ち込んだ。
純粋な魔力のエネルギーが竜の頭部に直撃し、硬い鱗ごと焼き尽くしていく。
数秒の後、巨体がぐらりと傾くと、竜は頭から崩れて息絶えた。
その魔力の連結現象は、魔力の波長が安定しない子供時代にのみできることだった。
他者の体に触れ、魔導回路をつなげることで他人と魔力を共有する。
私の魔力が人よりも多いことを知っていたクロノは、とっさの思い付きでそれを実行し、見事に竜を仕留めたのだ。
そのことで皆がクロノの才覚を認めるようになり、彼は四天王への道を歩んでいくことになる。
人間の生まれであるにもかかわらず、そうやってクロノは多くの魔族の心をつかんでいった。
そしてそれは、私の心も。
元帥たちのように、彼を人間だからと見下す者もいたけど、クロノ自身はそんなことを気にした様子もなく、魔王軍になじんでいった。
彼を差別する者はいても、彼は誰も差別しなかった。
私は、そんなクロノのことが大好きだった。
魔法の才能だけじゃない。その心こそが何よりも彼の魅力なのだ。
危険を顧みず、私を助けてくれたその勇気、優しさ。
もし可能なら、次の魔王を継ぐのは彼こそがふさわしいと私は思うようになっていった。
──だから、クロノに魔王になって欲しいと思っているこの気持ちは、決して軽い思い付きなんかじゃない。
これは本気の思いだ。
さらに言えば、先日交わした契約魔法も、少しでもクロノの役に立ちたいという気持ちからのもの。
幸いなことに、クラウディアを脅した諜報部員たちを手をかけた後も、契約の罰としての痛みが私に生じることはなかった。
それどころか、実を言うとその前提となるクロノへの痛みも、兆候となる魔力の波立ちすら起こらなかった。
つまり、クロノも私も『魔王軍に逆らってはならない』という契約に反していないことが証明されたのだ。
魔王軍とは魔王あっての組織。だから、魔王である私の意に反しなければ、元帥たちと対立しようが何の問題もないということ。
そして、私が結んだ契約によって、図らずも幼い頃のように私の魔力をクロノへと与えることができるようになった。
彼には言っていないけど、このことは本当に嬉しかった。
人間のクロノは素の状態では四天王の中で一番魔力が低い。
彼はそれを契約魔法でドーピングしていたのだけど、私の契約でそれをさらに底上げすることができたのだ。
彼の強さに私が貢献しているという、その事実がとても誇らしかった。
クロノが魔王になる下地は着々と整ってきているのだと、その夜、私は屋敷の自室で頬を緩ませたのだった。
……あとは、クロノが魔王になれた時……私が王妃さまになれればいいなあ、なんて思うのだけど……。それはちょっと望みすぎ……かな。