今朝のニュースはやけに熱を帯びたものだった。
『どうやらですね!!ラブマップが、アップデートを始めるみたいなんですよね。SNSでは、どんなアップデートになるのか!?はたまた、どんな新機能が追加されるのか!?大注目されておりまして!!』
ラブマップ。現代の恋愛、生活において、必要不可欠なアプリだ。確か二十年ほど前に、リリースされ、当時は物議を醸したものだったらしいが、今や浸透しきっている。
私はそっとラブマップを起動してみた。ラブマップには三種類のマップがある。一種類目は、カメラ機能を使って実際に見るもの。これはレンズの範囲内かつ、十m以内の人にしか機能しない。二種類目は、四百分の一の縮尺の地図に対象者が現れるとピンが表示されるもの。三種類目は、世界地図が現れ、対象者の数が表示されるもの。
そう、一種、二種類目は『アプリ起動者を現在好きな人』を表し、三種類目は『アプリ起動者を好きになる可能性がある人』の数を表している。
これがまだ進化するのか。漠然と私は、技術力に感嘆していた。
「遥。もう学校行かないと、今日は日直なんでしょ?」
「あ、ごめんなさい。ありがとうございます」
私が慌てて身支度を整えて、玄関に向かうと、おばさんはくったいのない笑みを浮かべ、私に笑いかけた。
「そんなに急いだら、転んじゃうわよ」
「大丈夫です!」
「そうそう、実花は朝練でもう学校に行ってるから、お弁当渡しておいて貰ってもいいかな?」
「任せてください!」
私が満面の笑みでお弁当を受け取ると、おばさんは嬉しそうに笑ってくれる。この笑顔があるだけで、私の生活は充分だった。充分に幸せを感じられた。
いってきます!と大きな声で、私は玄関の扉を開けて、学校に向かう。おばさんの「傘持っていってね」という声が聞こえたので、念の為に大きな傘と折りたたみ傘を手に持っていた。

季節は梅雨。道端の紫陽花が、青だったり赤だったり色とりどりに咲き誇っており、朝露がより眩しく、そして綺麗に輝かせていた。
この季節は嫌いじゃない。そこかしこに美しいものが、散りばめられている。雨上がりの静けさや、朝露のキラメキ、綺麗な植物に、そして虹。少し湿度が煩わしい時もあるが、それにしたって、美しい季節だと思う。
ピロン。
ふと、電子音がなった。私の晴れやかな朝が終わりをむかえてしまった。というより、何故アプリを切り忘れたと、私は自己嫌悪した。だが、鳴ってしまったものは仕方がない。私は意を決して、振り返った。
「た、橘先輩、朝早いですね。朝、会うの初めてですよね」
「うん。渡辺さんも、朝早いね。」
愛想笑い。二人で愛想笑いをした。どうしたものかと、私は次の話題を探していると、彼は今にも泣き出しそうな目を向けながら、私を真っ直ぐに見た。
「橘先輩。ラブマップのカメラで、俺を見てください。」
告白だ。そう言われてしまえば、この時代の人間は向けざる得なかった。私はマナーに則って、彼にラブマップを起動させ、スマホを向けた。
ピロン。間抜けな電子音が辺りに響いた。私はどうにか笑顔を保てるように努め、そして彼を眺めた。彼は心底嬉しそうな表情をしており、そして満足気であった。
「好きです。橘先輩の好きを証明したくて、今日告白してしまいました。」
「ごめんね。」
私は次の言葉を聞く前に、遮るように言葉を述べた。
「気持ちは嬉しい。でも渡辺くんのこと、可愛い後輩としか見れないの。後輩のままじゃ、ダメかな?」
彼のためにも、早くケリを付けてあげなければいけない。あと5分したら、この通学路に生徒が増え始める。学生において告白というものは、最大の武器にもなり弱点にもなる。彼の勇気を弱点にしなくはなかった。
私は彼にできるだけ、真剣に向き合って、その後少しだけ困ったように微笑んだ。すると彼は、はたと何かに気が付いた様で、視線を泳がせながら涙を堪え私に笑顔を向けた。
「へへ、伝えられて良かったです。可愛い後輩で居られるように、しますね!それじゃ!」
パタパタと彼は駆け出した。私は彼の背中が小さくなるまで、せめてもの償いとして見続けた。
”ラブマップ”は残酷だ。渡辺くんは私のラブマップを鳴らしたが、私は渡辺くんのラブマップを鳴らさなかった。その時点で告白の結果は、当人間で知られてしまっているのだ。
私はそっとラブマップを切り、マナーモードにした。愛なんて気が付かなくていいのだ。愛に気が付くと、いずれ切なくなるから。いずれ、悲しくなるから。けれど、私はラブマップを消去することは出来なかった。私のことを好いてくれる人がいると、何かに証明して欲しかったから。だから、私はアプリを入れ続ける。
「朝からモテますね〜!」
とんっと背中を押された。
「実花!」
「おはよ!遥!」
私はやっと呼吸ができた心地だった。実花は茶髪のポニーテールを揺らしながら、白い歯を見せながら笑った。そして、額から落ちる汗をTシャツの襟ぐりで脱ぐうもんだから、健康的に日焼けしたおへそが見えていた。
「おばさんがね。お弁当渡してくれたよ。後で渡しに行くね。」
「まじ!?今日5限目、板書当たってるから、購買行かなくていいの助かる〜!」
「ふふ、良かった。おばさん、実花の助けになって。」
私が笑うと実花も嬉しそうに笑った。実花は私の手を握り、グッと引っ張った。
「ほら!一緒に学校行こう!」
実花に手を引かれ、私は足をバタつかせながら一生懸命走った。
「ま、待ってっ!陸上部エースについてけないよ!」
「遥ならいける!」
あはは、と実花は笑った。その実花の笑顔を見て、私は救われた気がするのだ。実花が私を受け入れてくれたから、私は恩返しができているのだ。いつだって、実花は私の大切な希望だ。大切な家族で、大切な友達で、大切な存在だ。
「あ、遥、今日暇?」
「実花が暇にしてって言うなら、暇だよ」
「今日さ。部活終わりに、友達と遊びに行くんだけど、遥も行かない?」
「実花の友達に、悪いし、いいよ。楽しんでおいで」
陸上エースの実花がいくら手加減してくれたとはいえ、あまり運動が得意では無い私がついて行くのは少し厳しいものがあった。息を整えるのに必死だ。いつの間にか学校に着いていたらしく、日直の仕事も余裕でできそうである。
「やだやだ!遥とも遊びたいんだよ!高校生になってから、全然遊んでくれないしさ!ぼやぼやしてたらいつの間にか、お互い2年でしょ!?遊んでお願いします!」
「それは、活動範囲が違うからでしょ。仕方ないじゃん。」
駄々っ子の実花を眺めて、私は可愛いなぁと素直に感じた。実花のこう言う無邪気なところに私は甘いのだ。
私は良いよと言おうとした。その言葉が出そうになった時、ドンと背中を押されて実花の方に倒れ込んでしまった。実花の反射神経のおかげで、抱き止められたので幸い怪我は無い。なんだろうと視線をあげると、怒った剣幕の実花がいる。
「ちょっと!玲央!!」
「そこに突っ立てるのが悪い」
「悪くないし!あ、まって!建が玲央を躾ないとダメでしょ!」
「二人ともごめん!」
「ちょっと!」
大きな声で実花は彼を呼び止めるが、”玲央”と”建”の姿は見えなくなっていた。実花は二人に向かって、文句をこぼしていたが、私は正直どうでもよかった。
平穏に暮らしたいのなら、彼らと関わるべきじゃない。私は実花をなだめつつ、日直の仕事に向かうことにした。