「ローズマリー、貴様との婚約を破棄する」
王都の王立劇場を借りて行われている、魔法学校の卒業パーティー。
その催しの最中、私は婚約者であるマーシュ・ウィザーから婚約破棄を告げられた。
「ど、どうしてでしょうか?」
「貴様が俺の婚約者として相応しくないからだ」
相応しくない……?
唐突に告げられたその言葉に、私は理解が追いつかずに放心する。
周りにいる同学年の卒業生たちも、不穏な空気を感じ取ってこちらを窺っていた。
その視線も構わず、マーシュ様は続ける。
「貴様は名門の王立エルブ英才魔法学校で首席の座を独占し続けた。そして首席のまま卒業し、歴代の首席卒業者の名簿にその名を刻んだ」
「そ、それが何か、いけないことなのでしょうか……?」
王立エルブ英才魔法学校。
ソイル王国で随一と言われている名門魔法学校。
最新鋭の環境で行われる教育は非常に厳しく、進級試験も相応の課題が用意されている。
そのため六年の教育課程を修了できずに退学となる者が後を絶たない。
卒業が叶っただけでも大変名誉なこととされており、その中で首席での卒業を果たした者たちはもはや英雄に近い扱いをされている。
かくいう私――ローズマリー・ガーニッシュも、そんなエルブ魔法学校を首席で卒業した。
しかしマーシュ様からの視線は氷のように冷たい。
その意味を、私は今さらながら思い知ることになる。
「女のくせに魔法ばかりにうつつを抜かしおって、侯爵夫人となる自覚がまるで足りていないのだ貴様は!」
「えっ……?」
「ろくに花嫁修行の一つもせず、魔法の自主訓練と魔物討伐ばかり……。そんなことでこの俺の妻が務まるとでも思っているのか!? エルブの首席をとったくらいで図に乗っているようだがな、貴様は花嫁として失格なのだ!」
花嫁、失格……
頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。
私はこれでも、花嫁修行の方も抜かりなく積んでいた。
卒業後はマーシュ様の妻としてウィザー侯爵家に嫁ぐことになっていたので、妻としての務めを全うできるように必死にスキルを磨いてきた。
けどその努力は、マーシュ様には届いていなかったみたいだ。
「そもそも俺を含め、他の者たちは家督の責務で勉学に勤しみ、満足に魔法の修行ができていなかったんだ。だというのに貴様だけ婚約者としての責務を放って首席の座を攫っていくとは。それでよく調子に乗れたものだな」
「わ、私は別に、調子になんて……」
私はただ、大好きな魔法にひたすら没頭していただけだ。
別に首席の座だって狙ってとったわけではないし、婚約者としての責務だってちゃんと果たしてきた。
それなのにどうしてこんな言われようをされなきゃいけないんだ……
そこで私は、遅まきながら察する。
周りの生徒たちからも、マーシュ様と同じように冷たい視線を向けられていた。
「ハッ、ざまぁねえなあいつ」
「女のくせに首席で卒業しやがって」
「出しゃばりすぎなんだよ」
……あぁ、そういうことか。
私はどうやら取り返しのつかないことをしてしまったらしい。
誰も、私が首席で卒業したことに好感を持っている人はいない。
むしろ批判的な視線を送ってきている人がほとんどだった。
その理由はおそらく、私が“女性”だから。
男尊女卑で男を立てる時代。
能力のありすぎる女性は男性から嫌悪される。
結婚でも不利になるので、教養を身につけすぎないように大学進学をさせない家庭が多い。
女性は男性の後ろをついて歩くのが美徳とされ、目立つような行いはすぐに叩かれてしまう。
だから名門の魔法学校を首席で卒業した私は、まさに男尊の思いを忘れた“生意気な女”ということになるのだ。
爵位が上で旦那としての立場もあるマーシュ様は、そんな私が許せないでいるのだろう。
私は意図せず、婚約者のマーシュ様の尊厳を踏みにじってしまっていたのだ。
だから“花嫁修行が足りないから”というのは、あくまで婚約破棄するためのただの口実。
「すでに界隈には貴様の汚名が知られている。『花嫁修行を怠った愚女』や『自分勝手な魔法バカ』だとな」
「だから、婚約は破棄ということですか」
「そんな間抜けな妻を持っているというだけで、俺とウィザー家の悪評にも繋がってくるからな。婚約は取り消させてもらうぞ」
マーシュ様は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
著名な資産家の一つであるウィザー侯爵家。
その跡取り息子であるマーシュ様とは、幼い頃に婚約者同士になった。
やや資金面で苦難している我が家は、そのウィザー家との繋がりを今は頼りにしている。
だからもしここで私が婚約破棄されたら、家族や領民たちにさらに苦労をかけることになる。
そのことをマーシュ様もわかっていて、圧倒的に優位な立場から私を陥れようとしていることが伝わってきた。
「わ、私は、ただ……」
「なんだ? 何か反論でもあるのか?」
「私は、ただ、大好きな魔法に熱を入れていただけで、首席の座をとるつもりなんて……」
「――っ!」
故意に首席をとったわけではない、と主張しようとすると……
パリンッ! とグラスが割れる音が響いた。
それはたった今、マーシュ様が地面に叩きつけたものだった。
「熱を入れていた“だけ”だと! まるで俺たちの実力がその情熱に劣っていただけだと言いたげだな!」
「そ、そのようなことを言うつもりは……!」
悪い意味に捉えられてしまい、マーシュ様は憤りを迸らせた。
その怒りが伝染するように、周りで見ていた他の卒業生たちも罵声を浴びせてくる。
「狙ってなくても首席をとれましたってか!」
「そもそも女に魔術師など務まるはずがない!」
「どうせ体でも売って教員の何人かを買収でもしたんだろ!」
周りまで味方につけられて、さらには根も葉もない疑いまで掛けられてしまい、私は針のむしろだった。
そもそも私を含めても、生徒の女子率は全体の一割ほど。
男子生徒が大半を占める中で、女性の私がエルブ魔法学校の首席をとってしまったのだ。
快く思っていない生徒が多いのは当然だろう。
でも私だって、周りの男子たちの尊厳を踏みにじるために首席になったわけではない。
本当に、ただ大好きな魔法に打ち込んでいただけなのに……
「まあ、一度だけチャンスをやらんこともないがな」
「チャ、チャンス……?」
「入学以来、首席の座を独占し続けるなど明らかに不自然だ。何かしらの不正を働いて評定を操作していたのだろう? その罪を今この場で認め、両膝を突いて卒業生全員に対し謝罪をするんだ」
「……」
不正なんて、私は一切していない。
私は実力だけで首席での卒業を叶えたんだ。
おそらく不正を働いたということにして、私の首席卒業を取り消そうという魂胆だろう。
ここで言うことを聞かなければ、ウィザー侯爵家との繋がりが失われてしまう。
そうなったらきっと、金銭面で苦しんでいる実家を助けることができなくなってしまう。
周囲のこの反応からしても、今の私が別の婚約者を見つけるというのはまず無理。
培った魔法技術を生かして、魔術師として自立するというのも難しいと思う。
能力ある女性は男性から嫌悪される傾向が強く、女性の社会的進出や活躍に対する世間の風当たりは厳しいから。
そうでなくとも魔術師は高貴な職業とされているため、女性魔術師というのはほとんど見かけない。
だから、私がここで取るべき選択肢は、一つしか残されていないのだが……
「どうした? 謝罪しなければ今日限りで婚約関係を断ち切り、ガーニッシュ家の事業への資金提供も白紙にするぞ」
大好きな魔法に関しては、嘘を吐きたくない。
私は不正なんか一つもしていないし、大好きな魔法に目一杯の思いをぶつけていただけだ。
それでどうしてこんなに責められなければいけないのだろうか。
私が女性だから? そういう社会だから? そんなので納得できるはずがない。
「さっさとしろこの愚図が! この俺の言うことが聞けないというのか!」
「――っ!」
それでも窮地であることに変わりはなく、私は不可視の圧力に押し潰されるように膝を曲げていった。
その時――
「謝る必要はないよ、ローズマリー」
「えっ?」
突然、卒業パーティーの会場に優しげな声が響いた。
皆の視線がそちらに殺到する。
そこには観衆を押し退けて、騒ぎの中心に歩み寄って来る一人の男子生徒がいた。
目元に僅かに掛かるほどの黒髪。その隙間から覗く鮮やかな緋色の瞳。
見慣れた顔のその生徒は……
「彼女は不正なんかしていない。実力だけで首席の座に居座り続けた。それは僕が断言するよ」
「……ディ、ディル?」
私の好敵手と呼んでも差し支えのない、この五十四期生の中で次席にて卒業を果たした、ソイル王国の第二王子ディル・マリナードだった。
ディルの第一印象は最悪だった。
『ローズマリー! 次の試験では絶対に僕が勝つ!』
エルブ英才魔法学校に入学したその日のこと。
いきなり背中をどつきながら、一方的にこんなことを言って来たのが当時十二歳のディルだった。
聞けば第二王子様ということらしく、幼い頃から神童と呼ばれている逸材だそうだ。
首席で入学した私に新入生代表の挨拶を取られて、気に食わなかったということらしい。
下手に問題を起こさないように、なるべく関わり合いにならないようにしようと思った。
しかしディルは、いつも何かにつけて私に噛み付いて来た。
『次の中間試験で勝負だ!』
『魔法訓練の課題、絶対に僕が先に終わらせてみせる!』
そして勝負に負けると、毎回のように私をどついて捨て台詞と共に去っていった。
それ以外にも、廊下ですれ違う時もわざと肩をぶつけて来るし、図書館で自習をしている時も『勝負勝負』と言って邪魔をして来たし。
次第に私も、こんな失礼な奴に大好きな魔法で負けてなるものかと気持ちを燃やすようになっていた。
『あんたなんかに絶対に負けないから……!』
そんな私たちの戦いは入学から六年続き、結果として私はディルに一度の勝利も許さなかった。
やがて最後の卒業試験を終えて、六年続いた喧嘩にようやくの終止符が打たれた。
と思ったが……
『これで勝った気になるなよ。僕たちの勝負はまだ終わっていない。勝ち逃げなんて絶対にさせないからな』
卒業試験の結果発表直後に、ディルからそんな宣言をされてしまった。
いまだに敵対関係が続いている間柄。まさに私たちは犬猿の仲である。
そんなディルが、非難を浴びている私を庇うように、間に割り込んで来た。
「ディル殿下、なぜあなたがこの愚女を庇うのでしょうか?」
その彼に、マーシュ様は怒りの眼差しを向ける。
しかしディルは特に気分を害する様子もなく、余裕そうに返した。
「僕は別にローズマリーを庇ったつもりはないよ。ただ事実を口にしただけだ」
「事実?」
「彼女は不正なんかしていない。魔術師としての実力だけで首席の座についたんだ。それは他の誰でもない、次席卒業者の僕が一番よく知っている」
まさかディルが庇ってくれるとは思わず、私は放心する。
周囲の観衆たちも、私たちの関係を知っている者が多いので驚いた様子で固まっていた。
予想外の難敵を前に、マーシュ様は鬱陶しそうに顔をしかめる。
「この女が試験で不正をしていなかった確かな証拠でもあるというのですか?」
「そんなもの必要ないよ。ローズマリーが不正なく首席での卒業を叶えたのは、彼女の実力そのものが何よりも色濃く証明しているんだから。何なら君自身が模擬戦でも仕掛けて確かめてみればいいじゃないか?」
「……っ!」
マーシュ様は唇を噛み締める。
実際に模擬戦をした場合、十中八九私が勝つと思う。
それをマーシュ様もわかっているから、直接的な戦いは仕掛けて来ないのだ。
「彼女の実力は君だってよく知っているだろう。でも君は素直に彼女を認めることができなかった。格下の婚約者に負けたという事実を受け入れることができなかった。だから親の爵位を笠に着て、皆の前で婚約破棄することで自分の優位性を示そうとしたんだろう? みっともないことこの上ないね」
「な、なんだと!」
「花嫁修行が足りないからなんて下手な口実まで用意してさ。はっきり言えばいいじゃないか、『自分よりも才能があるのが気に食わないから婚約破棄する』とね」
ディルは私が思っていたことをズバズバと言い放っていく。
あまりに遠慮なくぶちかましていくので、聞いているこちらの方がハラハラさせられてしまった。
次いでディルは、私も知らないような事実を皆の前で明かす。
「第一、君はいつも遊び呆けてばかりだったじゃないか」
「――っ!」
「放課後、ローズマリーは自主的に訓練と勉強に励み、ひたすらに魔法に打ち込んでいた。しかし君はそんな中、授業が終われば学外へ出て、親しい令嬢たちと共に遊び歩いていたそうじゃないか。婚約者がいる身でよくやるね」
「な、なぜそのことを……!?」
「そんな君が、努力家のローズマリーに勝てるわけがないだろ」
親しい令嬢たちと、遊び歩いていた……
そんなの全然知らなかった。
マーシュ様とは婚約者同士でありながら、あまり親しい付き合いはしてこなかったから。
そもそも入学当時、マーシュ様の方から『俺に構うな』と言われた。
それでも私はマーシュ様から何か要望があれば、すぐにそれに応えるつもりでいたけれど、まさか裏で別の令嬢と仲良くしていたなんて。
「周りで喚いていた連中もそうだ。『女のくせに生意気』とか『女に魔術師は務まらない』とか、『体を売った』なんてくだらない疑いまで掛けて……。ローズマリーが首席であることに納得がいっていないのなら、君たちも実力で覆せばいいじゃないか」
「「「……」」」
誰も何も言い返すことができない中、ディルは周囲を見渡しながら続ける。
「それができないから、根も葉もない不正の疑いまで掛けたんだろう。彼女に魔術師として敵わないと思ったから、徒党を組んで貶めようとしたんだろう。本当にくだらない」
ディルがため息交じりにそう言うと、マーシュ様が開き直ったように声を荒げた。
「あぁそうさ! こいつは女のくせに生意気なんだよ! 夫となるこの俺よりもいい成績をとりやがって……! 男を立てられん妻など不要なのだ!」
偽りのないマーシュ様の本音。
改めてそれを聞かされて、私はやはり取り返しのつかないことをしてしまったと後悔する。
自惚れかもしれないけれど、私はもっと周りのこともちゃんと見て、大好きな魔法と向き合うべきだったんだ。
「ディル殿下が何と言おうと、この女の悪名はすでに界隈に知れ渡っている! 女のくせに生意気にも首席卒業生の名簿に名を刻んだとな! その女はこの先誰にも娶られることはない。ガーニッシュ伯爵家も完全に終わりだ!」
「そうか。じゃあ代わりに僕がもらおうかな」
「…………はっ?」
素っ頓狂な声を上げたのは、私だった。
代わりに僕がもらう?
一瞬、聞き間違いかと思ったが、ディルは私の目の前まで来て言い直した。
「ローズマリー、僕と“結婚”してくれないかな」
「は、はあっ!? なに言ってんのよディル? なんでいきなりそんな話に……」
「お互い悪い話じゃないと思うんだ。僕たちが結婚すれば、君は王家との繋がりが出来て実家を立て直すことができる。そして僕は、ライバルの君にいつでも勝負を仕掛けることができるようになる」
この期に及んで、まだ勝負って……
僕たちの勝負はまだ終わっていないってあの言葉、本気だったんだ。
私としては、王家との繋がりが出来るのは大変助かるんだけど、ディルは本当にそれでいいのかな?
私なんて一介の伯爵令嬢の一人なのに。
「それと僕は近々、第二王子として王国魔術師団の第二師団の団長を任されることになっている。そこに新しい人員を加えようと思っていたから、ローズマリーには是非、僕の婚約者としてその師団に入ってもらいたいんだ」
「お、王国魔術師団だと!?」
驚愕の反応を示したのはマーシュ様だった。
「王国魔術師はすべての魔術師が焦がれる栄誉ある存在だ! 治癒活動や研究活動を主にする第四、第五師団への入団ならともかく、新天地開拓を任された実力派の第二師団に女の魔術師が入団だと!? 前代未聞だ!」
「エルブ出身の首席卒業者も数名在籍している。彼女を勧誘するのは別におかしいことじゃないだろう? そもそも団長は僕になるんだし」
と言っても、マーシュ様は納得した様子をまるで見せない。
「たとえ殿下が第二師団の団長を任されているとしても、他の魔術師たちが認めるはずがない! いくらエルブ首席だからと言って、女の魔術師が王国魔術師団の第二師団に入団するなど……!」
「確かに師団の中にも女性の社会的進出を快く思わない人間は多くいる。過去には女性魔術師の入団による統率の乱れを主張されて、入団が見送られたことがあるくらいだからね」
直後、ディルは私の肩を掴んで抱き寄せると、高らかに宣言した。
「だから彼女を、僕の婚約者として第二師団に入団させるんだ。僕の婚約者兼補佐として第二師団に入団させるなら、誰も文句を言えないはずだからね」
「くっ……!」
同じ魔法学校の卒業生。
というわけではなく、王子の婚約者兼補佐として入団するなら、確かに説得力は増すと思う。
すでに決まった相手がいるなら、女性魔術師の入団による統率の乱れを懸念されることもないだろうし。
でも、私が王国魔術師になるなんて……
「言っただろ、勝ち逃げはさせないって。これからは同じ王国魔術師団の魔術師として勝負しよう、ローズマリー」
「……」
ディルはその後、呆気にとられる私の手をとって、会場の出口に歩いて行った。
そしてマーシュ様の横を通り過ぎさまに、低い声で彼に言葉を掛ける。
「それじゃあね、マーシュ・ウィザー氏。君が彼女を手放してくれて、本当によかったって思っているよ」
「――っ!?」
「いずれ彼女は、王国魔術師団の一員として輝かしい功績を残すことになる。そして現代の曲がった思想に一石を投じる偉大な存在になると、僕は信じて疑っていない。それを陰で聞きながら、とんでもない逸材を手放してしまったと深く後悔するといい」
そう伝えるや、ディルは観衆たちがあけた道を堂々と突き進んで行く。
その最中、後ろを振り返ってみると、マーシュ様は怒りと悔しさを滲ませた顔で私たちを見据えていた。
卒業パーティーの会場を後にすると、ディルは宮廷に向けてその足を進めて行く。
「ね、ねえ、私たち本当に結婚するの? あの場を収めるための方便とかじゃ……」
「冗談のように聞こえたのかい? ならもう一度言い直そうか?」
「――っ!」
私はぶんぶんと激しくかぶりを振る。
ディルからあんな恥ずかしい告白を受けるなんてもう勘弁だ。
「……私、本当にディルと結婚するんだ。ていうかディルは、私なんかで本当にいいの?」
「どうして?」
「どうしてって、私はもう『男を立てられない愚女』って知れ渡ってるんだよ? 不正してたなんて噂も流れてるだろうし。そもそも私たちずっといがみ合ってたのに……」
私は一度の勝利も許すことなく、ディルを負かし続けた。
ディルはそんな私に、執拗に勝負を仕掛けて来ていた。
だから私のことが嫌いで、てっきり恨みとか持っているんじゃないかって思ってたんだけど。
「噂なんて僕は気にしないよ。それと、今でも君のことを倒すべき相手だと思っているから、勝ち逃げされないように自分の手元に置いておこうと思ったんだ」
「ど、どんだけ負けず嫌いなのよ……」
そんな理由で結婚を申し込んで来るなんて……
でも、おかげで私は窮地を脱することができた。
それに対するお礼はきちんと伝えておこうと思い、私は手を引いてくれているディルの背に声を掛ける。
「た、助けてくれて、ありがとう」
「別にいいよ、これくらい。代わりに君にはこれから、王国魔術師としてきびきびと働いてもらうから」
それからディルは、勝負を仕掛けて来る時のいつもの得意げな顔をこちらに向けて、強気に宣言した。
「それと引き続き、僕とも勝負をしてもらう。それでいつか絶対に君を負かしてみせるから、その時が来ることを覚悟しておくんだね」
いつまで経っても変わらないその姿勢に、私はどこか安心感のようなものを覚えた。
女のくせに生意気という理由で婚約破棄されて、一時はどうなることかと思ったけど……
代わりにもらってくれたのは、入学からずっと首席争いをしていた次席のライバル王子でした。
ディル・マリナードは、生まれながらにして神童と呼ばれていた。
かつて魔法の力により魔物に占領された魔占領域を切り開いたマリナード一族。
その末裔に相応しく、彼は生まれながらに魔法の源となる『魔素』を莫大に宿していた。
また魔素を行使する力――『魔力』に関しても天賦の才を有していた。
通常であれば血の滲むような修練を経て発動が可能になる高等魔法も、才能のみで即習得。
どれだけ魔素消費の激しい魔法も、莫大な魔素量のおかげで連続発動が可能。
生まれながらに現役魔術師を凌駕する逸材。
そんなディルが物心をつく頃には、すっかり王家の子息らしく自信にも満ち溢れていた。
現国王の父と、歳の離れた兄からも多大な期待を寄せられて、自分が特別だと信じて疑わなかった。
それが災いしたせいか、当時の彼は少し自惚れていた。
周囲にも高圧的な態度を取り、子供ながらに我儘をぶち撒け、思い通りにならなければすぐに誰かに怒りをぶつける。
自分を中心に世界が回っていると信じていて、そんなディルを周りの人間は咎めることができなかった。
それらの横暴が許されるほどに、ディルの才能は光り輝いていたから。
しかし、そんな彼の心を、初めて打ち砕く人物が現れた。
『王立エルブ英才魔法学校、第五十四期生、新入生代表――首席入学者ローズマリー・ガーニッシュ』
名門の魔法学校の入学式の日。
ディルは入学試験にて、首席の座をものにしたと信じて疑っていなかった。
周りの新入生たちも噂の神童の名が呼ばれると思っている中、耳を打ったのはまるで違う人物の名前だった。
特に魔術師の家系というわけでもない、貧乏伯爵家の一介の令嬢。
ディルは初めて自尊心をへし折られた。
『ローズマリー、絶対に許さない!』
ディル・マリナード、当時十二歳。
今まで誰にも負けたことがなかった彼が、初めて黒星をつけられた。
とんでもない敗北感と屈辱を味わい、その怒りを直接ローズマリーにぶつけた。
『ローズマリー! 次の試験では絶対に僕が勝つ!』
それからというもの、試験や課題がある度にローズマリーに勝負を仕掛けた。
自分が負けるなんて絶対にありえない。何かの間違いだと証明するために。
しかし毎回見事に負かされた。
どれだけ勉学と訓練を積んでも、ローズマリーにはあと一歩だけ届かなかった。
そして力を付けていくほどに、ディルは痛感させられることになる。
ローズマリーがどれほどの逸材かということを。
ローズマリーは決して、魔法の才能に恵まれているというわけではなかった。
自分のように生まれながらに莫大な魔素を宿しているわけではない。
凄まじい魔力を有しているわけでもない。
彼女はただ、魔法が好きなだけだった。
魔法を使うのが好き、魔法を見るのが好き、魔法を調べるのが好き。
その好きを原動力にして、ローズマリーは無自覚に超人的な速度で成長を遂げていた。
天賦の才に恵まれている者を凌駕するほどの、恐ろしい成長の早さ。
自分が類稀なる天才だと自覚しているからこそ、ディルはローズマリーの凄さに打ちのめされた。
好きというだけでここまで成長できる人間がいることに、心の底から驚かされた。
『ローズマリー、君はいったいどこまで強く……』
そんな彼女の背中を追い続けて、早くも三年が経過。
ディルはいつしか、彼女に恋心を抱くようになっていた。
周りの目も顧みず、ひたすらに好きなことに打ち込む純真さ。
大好きな魔法を満面の笑みで楽しむ姿。
それらに心を奪われて、ディルは初めて人を好きになった。
だからディルは、いつかローズマリーを追い越したその時に、この気持ちを伝えようと思った。
婚約者がいるから、決して自分の元には来ないとわかってはいた。
それでも思いの丈だけでもぶつけようと考えて、そのために彼はますます修行に励んだ。
高慢だった性格も気が付けば丸くなっていて、目標を見つけたことで彼の人生は一層色づいた。
しかし、その願いも叶わず、早くも卒業の時。
最後の卒業試験でもローズマリーを追い抜くことができなかったが、ディルの気持ちは変わらないままだった。
『これで勝った気になるなよ。僕たちの勝負はまだ終わっていない。勝ち逃げなんて絶対にさせないからな』
彼にとってこの言葉は、ある種の告白のようなもの。
まだ諦めてはいないという意思表示。
いつか必ず追い越して愛を伝えるという強い覚悟。
その思いが実を結んだかのように、紆余曲折あって彼女と結婚する運びになったが、まだ本心は伝えないようにしようと思った。
やはりこの気持ちは、ローズマリーを追い越して、初めて白星を掴んだその時に告白しようと。
「引き続き、僕とも勝負をしてもらう。それでいつか絶対に君を負かしてみせるから、その時が来ることを覚悟しておくんだね」
ディル・マリナードは、好きというその一言を伝えるために、愛するローズマリーの背中を追い続けていくのだった。