ショコラを見送った後。
クリムはその背中が見えなくなるまで見届けてから、城門の方に歩いて行った。
そして城壁に背中を預けて、ショコラを待つことにする。
その最中、近衛師団の師団長ムース・ブルエがやって来て、同じく城壁に背を預けた。
見ると、何やらニヤついた様子でクリムのことを窺っている。
何が言いたいのかは容易に想像がついた。
「で、お二人はどういう関係なのかなぁ?」
「別に、ただの幼馴染ってだけですよ。ムースさんが求めてるような面白い間柄じゃありません」
「へぇ〜……」
いまだにニヤついた笑みは消えず、意味深な視線を送ってくる。
こっちとしても、さすがに先ほどのは露骨すぎだったと内心で反省した。
案の定、あの時のことをムースにつつかれてしまう。
「俺のことを止めた時、ただ幼馴染を守っただけって感じしなかったけどなぁ……? それに今まで手伝いを取らなかったクリム君が、突然連れて来たとなったらそれは勘繰りたくもなるってもんでしょ」
「本当になんでもないんですって。ていうかむしろ、仲がいいどころかお互いに嫌ってるくらいですから」
「嫌い?」
クリムはこくりとムースに頷きを返す。
昔は確かに仲が良かったかもしれない。
しかしあの日を境に自分とショコラは疎遠になり、完全に縁を切ることになったのだ。
「……何があったのかは、聞いてもいいのかな?」
「聞いてもつまんないと思いますよ」
「そんなことはないさ。少なくとも俺が退屈を忘れるくらいの話にはなると思うけどね」
「……仕事に戻ってくださいよ」
これで近衛師団の師団長だというのだから誠に驚きだ。
まあ、近衛師団は正直他の師団に比べてやることが極端に少ないので、師団長が手隙になっているのも仕方がないが。
半ば呆れてムースのことを見ていると、彼が手で促してきたのでクリムは仕方なく話し始めた。
「長くなるので簡単に言いますけど、昔あいつと大喧嘩して、今も仲違いしたままってだけの話です。僕はあいつにムカついてるし、あいつも僕のやったことを今でも許してない。だからお互いに嫌ってる状態なんですよ」
「嫌ってる、ねぇ……」
ムースは白い頬に浮かべた笑みを静かに深めて、こちらに意味ありげな視線を向けてきた。
「少なくとも俺には、どっちもそんなこと思ってないように見えたけどなぁ。特にクリム君の方は」
「……」
「本当はあの子と仲直りしたいって思ってるんじゃないの? それかもしくは、罪悪感があって“謝りたい”とか……」
……変なところで鋭い人だ。
確かに少しの罪悪感もないと言えば嘘になる。
その気持ちが僅かにでもあったから、もしかしたら自分はショコラをアトリエに誘ったのかもしれない。
しかし許せないという気持ちがあるのもまた事実。
だから何も答えずにいると、ムースはなぜか満足そうな顔をして城壁から背を離した。
「とりあえず、クリム君のアトリエに遊びに行くの、これからは控えるようにしとくから」
「……余計なお世話ですよ」
手をひらひらと振りながら去って行くムースを見送りながら、クリムは人知れずため息をこぼした。
――――
宮廷錬成師の手伝いになるために錬成試験を受けることになり、私はブールの森までやって来た。
指定された錬成物は『清涼の粘液』。溶液の粘液を素材にした傷薬だ。
その素材は三種類。
摂取すれば寿命が伸びると言われているほど栄養たっぷりな薬草――『長寿草』。
逆さ笠に雨水を溜めて特殊なひだと管を通じて柄に綺麗な水を送るきのこ――『雨漏茸』。
そして低級種の魔物である溶液を討伐することで得られる素材――『溶液の粘液』。
それぞれ素材の数は、長寿草と雨漏茸が九本、溶液の粘液が三体分。
傷薬を三つ作るのにぴったりの数となっている。
「本当にこれだけでいいのかな……?」
いつもはこれとは比べ物にならないほどの素材を採りに行かされていたから違和感がすごい。
どの素材もこのブールの森で簡単に採取することができるし、かなり早く採取試験を終わらせられそうだ。
まあ、渡された紙にもそう書いてあるし、指定されたものだけ拾ってさっさと帰ることにしよう。
そう思いながら溶液を探して探索を続けていると……
「あっ、また長寿草」
いつの間にか長寿草と雨漏茸が目標数に到達していた。
あとは溶液の粘液だけ。
もう素材採取が終わってしまいそうで、なんだかやっぱり違和感がすごいな。
森まで素材採取に来て、こんなに疲れないまま帰ってしまっていいのだろうか。
今まで過酷な環境に置かれていたせいで、そんな罪悪感すら湧いてきてしまう。
「あっ、甘露草もあるじゃん。これ、お菓子のいい材料になるんだよねぇ」
時間に余裕があるため、つい関係のないものまで拾って素材採取を楽しんでしまう。
素材採取を楽しいと感じるなんていったいいつぶりだろうか。
そういえば大好きなお菓子作りもあのアトリエに入ってからまったくできてなかったなぁ。
お菓子作りが得意なお母さんがいたため、私は根っからのお菓子好き。
幼い頃は甘いものを抜くとすぐにぐずってしまう子だったらしく、その度にお母さんがお菓子を作ってくれたものだ。
錬成術で作れるお菓子もあって、お母さんに教えてもらったことがあるから、暇を見つけたらそれを作ろうと思っていたんだけど……
あのアトリエではそんな余裕もなかったなぁ。
まあ、今はこうしてババロアのアトリエからも解放されて時間にも余裕があるし、お菓子作りの錬成もぼちぼち練習していくことにしよう。
私はいつか、お母さんに語った『食べても減らないケーキ』とか『無限にお菓子を取り出せる袋』を錬成するのが夢なんだ。
「キュルル」
そんな子供じみたことを考えていると、傍らの茂みから不意に何かが這い出て来た。
半液体状の薄緑色の生き物。
触れている草木をじわじわと溶かしながら近づいてくるそいつこそ、討伐対象の魔物の『溶液』である。
見ると茂みの中からは他に二体の溶液が出て来て、これで目標数の三体分に届く。
例に漏れず奴らは魔物として、人間である私を襲うべく近づいて来ている。
魔物は邪神が魔界から送り込んでいるとされている人類の天敵と言われている。
そして魔力を宿しており、それを使って種族ごとの超常的な能力を行使してくる。
溶液の場合は体から射出される厄介な溶解液で、まともに食らったらひとたまりもない。
「キュルッ!」
私を射程に捉えた溶液は、体をもごもごと動かして玉のような溶解液を吐き出した。
立て続けに他の二体も液玉を飛ばして来る。
私はそれを危なげなく回避して、奴らに向けて右手を構えた。
「【鋭利な旋風――反逆の魂を――すべて切り裂け】――【風刃】!」
瞬間、右手の平に魔法陣が展開されて、そこから凄まじい旋風が吹き荒れた。
風属性魔法――【風刃】。
その風は溶液の一体だけでなく、近くにいたもう二体をも一斉に巻き込んだ。
溶液の体が引き裂かれる音がいくつも重なり、辺りに半液体状の欠片が飛び散る。
やがてそれが終わると、溶液たちの姿はもうなく、地面には僅かな粘液のみが残されていた。
魔物討伐を何度もやらされていたから、もう随分と魔力の方も上昇したものだ。
魔力は魔物を討伐することで成長していくので、今ではここらの森にいる魔物なら一撃で倒すことができる。
一説によると、天界から下界を見守っている神様が、魔物討伐の功績を祝して魔力を成長させてくれているらしい。
ただ、最近は魔力が上がりすぎたせいで、せっかくの魔物素材もまとめて吹き飛ばしてしまうことがあるけど。
「魔法についてももう少し勉強したいなぁ」
私は落ちている粘液を丁寧に瓶に移しながら、人知れずそうぼやく。
魔力を消費して扱うことができる超常的な現象――『魔法』。
定められた式句を詠唱することで発動が可能になっている。
だからもっと色んな式句を覚えて、採取に役立つような魔法をたくさん習得したいものだ。
これも一説だが、式句詠唱で神様に語りかけて、魔力と引き換えに超常的な現象を引き起こしてもらっているとされている。
「よしっ、これで採取おーわり」
三体分の溶液の粘液を瓶に入れ終わった私は、それをリュックに仕舞って出口に向かい始めた。
魔物は倒すと、体の一部だけを残して消滅する。
またまた一説だけど、魔物の死骸を人間側に利用されないように、死んだ魔物の体は邪神が回収していると言われている。
そして人間側についている神様が、僅かにでも有益になる素材を残すために、魔物をその場に留めようとしてくれているみたいだ。
その結果、体の一部だけが現世に残されると言われている。
もちろんどこまでが本当かはわからないけど。
ただそのおかげで、魔物討伐後は面倒な死骸の処理をしなくて済み、私たち素材採取者たちは大いに助かったりしている。
「本当にもう、帰っちゃっていいのかな……?」
早々と素材採取を終えてしまったので、やはりなんだか妙な罪悪感を覚えてしまう。
いや、たぶん、今までが少しおかしかったのだ。
これの十倍近くの素材を、たった一人で集めに行かされて、夜遅くに戻れば何かしらの文句を言われる。
あれが普通だと思ってはいけない。
私はもう、ブラックなアトリエから解放されたのだ。
まったく体が疲れていないことに、やはり多大な違和感を覚えながら、私は幼馴染の待つ王都に向けて走り出した。