翌朝。
 クリムが一人、アトリエで作業をしていると、とある騎士がそこを訪れて来た。

「やっほー、クリム君」

 近衛師団の師団長ムース・ブルエである。
 クリムは彼が来たことに気付いて軽く会釈をすると、対してムースはアトリエ内を見渡して首を傾げた。

「あれっ、ショコラちゃんは?」

「ついさっき素材採取に行きましたよ」

「へぇ、今日は随分と早いんだね? ショコラちゃん宛ての依頼書を持って来てあげたんだけど」

 そのついでにサボりに来たのだとクリムは密かに悟る。
 そしてショコラの代わりに依頼書を受け取ると、その時にムースに問いかけられた。

「こんなに朝早くから出ないと集められない素材を採取しに行ったとか?」

「いいえ、別にそういうわけでは……」

 確かにこの時間から素材採取に行くのは珍しい。
 いつもはもう少し日が高くなってから宮廷を出るので、それを知っているムースが疑問に思うのも無理はない。

「昨日は錬成の調子があまり良くなくて、その遅れを取り戻すために今朝は気合いが入っていたみたいです」

「あぁ、なんか昨日は色々と頑張ってたもんねぇ」

 そう、昨日は武器錬成があまり上手くいっておらず、仕事がほとんど進んでいなかった。
 だからその遅れを取り返すために早めに素材採取を終わらせようと、早朝にアトリエを出たのである。
 ここ約一ヶ月、一緒に活動をしてきたが、ショコラがこのように調子を崩すのは初めてだ。
 だからクリムは密かに疑問に思っていた。

「ムースさん、何か知りませんか?」

「えっ、何が?」

「ショコラの調子が悪かった原因とか」

「うーん、いや、特に何も思い当たらないけど。ていうか、いつも一緒にいるクリム君が知らないのに、俺が知るわけないだろ」

 ムースは心底おかしそうに笑う。
 自分も言った後で、『いったい何聞いてるんだろう』と思わず呆れてしまった。
 一緒にいる時間が長いのはこちらの方なので、自分が知らなければ他の人が知らないのも当然である。
 ただ、昨日のショコラは少し様子がおかしかった気もするので、そこら辺が調子の悪さに起因しているような気がした。

「ショコラちゃん自身には聞いてないのかい?」

「聞きましたけど、なんか調子が出ないとしか……」

「なら本当にそうなんじゃないかな」

「……」

 ムースの言う通り、本当にそれだけなのかもしれない。
 錬成術の調子が狂うことなんて一流の錬成師でもあることだし、何より本人が言っていることなのだから。
 しかしクリムはそれだけで納得し切れずに、頭に引っかかりを覚えていた。

「それに今朝は気合いが入ってたんでしょ? ならそれでいいんじゃないかな?」

「まあ、それもそうなんですけど、気合いが入りすぎて空回りしないかどうか……」

「ふぅーん……」

「……な、なんですか?」

「いや、なんだかんだ言っても、やっぱりショコラちゃんのことは色々と心配してるんだなって思ってさ」

 ムースに意味ありげな視線を向けられる。
 その視線から逃れるように目を逸らしながら、クリムは何かを誤魔化すように返した。

「……まあ、手伝いがいなくなったら面倒ですから」

「ははっ、素直じゃないな」

 やはりこの人と話していると調子が狂うとクリムは思う。
 なんだか上手いように色々と誘導されて、言わなくていいことまで言わされてしまうのだ。
 それでもそこまで悪い気もしないので、本当にずるい人だと密かに毒吐く。

「その様子じゃ、まだショコラちゃんとは仲直りできてないのかな?」

「……」

 ムースにそう問いかけられて、以前の会話が脳裏をよぎる。

『本当はあの子と仲直りしたいって思ってるんじゃないの? それかもしくは、罪悪感があって“謝りたい”とか……』

 ショコラを手伝いとして雇うことになった時、ムースに疑われてそう尋ねられた。
 その時は肯定も否定もしなかったけれど、ムースはいまだにそう思っているらしい。

「どうして僕が仲直りしたがってるって決めつけるんですか?」

「でも、そうなんだろ?」

「……」

 まあ、あながち間違いではない。
 しかし純粋に仲直りしたいというわけでもないので、やはりクリムは首を縦にも横にも振ることはしなかった。

「そもそも手伝いを雇うだけだったら、ショコラちゃんじゃなくてもいいのにさ、それでもわざわざ嫌ってるって公言してるショコラちゃんをアトリエに招いた。それって、困ってるあの子に手を貸したいって思ったからじゃないの?」

「……」

「喧嘩してる相手に優しくする理由なんて、『仲直りしたいから』以外に考えられないでしょ。それかもしくは罪悪感があるから、それを拭うために助けてあげたんじゃないかなって俺は思ったんだ」

「……だからあの時、ああ言ったんですか」

 何も考えていないように見えて、実は裏で色々と考えていたようだ。
 罪悪感があるから助けてあげたい。
 改めてそれを言葉にされて、クリムは思わずハッとさせられる。

「まあ、あんまり深くは聞かないし、気持ちを伝えるタイミングはクリム君の自由だから、俺がとやかく言える筋合いはないけど……」

 ムースは扉に手を掛けて、それをゆっくりと開けながら続けた。

「ただ、言いたいことは言える時に言っておいた方がいいよ。その人がいつまでも、自分の近くにいてくれるとは限らないんだから」

「……」

 そう言い残して、ムースはアトリエを去って行った。
 一人残されたクリムは、静まり返ったアトリエで考える。
 謝りたいと思っているのは事実だ。
 ただ、反対に謝りたくないと思っている自分もいる。
 そんな風に気持ちがチグハグになっているから、結果として今日まで仲違いを解消できていない。
 このままではいけないとは思っているけれど、前に踏み出すきっかけが見つからないのだ。

『錬成術は自分のためじゃなくて、誰かのためを思って起こす奇跡なの』

 大切な人の言葉を頭の奥で響かせながら、クリムは誰に言うでもなく呟いた。

「言いたいことは言える時に、か……」