「お疲れさまでした」


ゆかは更衣室の椅子に力尽きたように、座り込んで大きなあくびをした。

時計を見ると、夜の10時をまわっていた。

アルバイトとしてホテルの清掃を始めたけれど、なかなかハードな仕事で、高校入学と同時にはじめたから、今年で2年目。

まだまだ未熟だけれど、後輩も何人かはできて「ゆかさん」って呼ばれるのが本当は嬉しい。


「ねぇ、ゆか。これからファミレス行かない? お腹すいたし」


隣にいたななみ先輩が私服に着替えながら、ゆかに尋ねてきた。

お腹など空いていなかったし、たとえ減っていたとしても、食べたくない。

ゆかは下を向いたまま、うまく理由をつけて断ろうと思ったけれど、なかなか言葉が思い浮かばない。


「あ、気にしないで。これ私が誘っているんだし、私の奢りだから。ね、だから行こう」

「はい・・・・・・」


お金の問題とかではなくて、本当に行きたくなかった。

だけど、先輩を前にするとどうしても嫌ですって言えなくて、結局行く流れになってしまうと、気持ちがどんどん不安定になっていく。

こんな状態だから、お父さんにもやられてしまうんだ、って自分を責めてしまいさらに落ち込む。


「ゆかも好きなの注文して。私はそうだなー。チーズハンバーグにしようかな」

メニューをパラパラとめくっているけれど、最初からそうするって決めていたみたいに、即決でななみ先輩がチーズハンバーグを指差した。


「私はー。うどんにします」

「ゆか、そんなので足りるの? せっかくの奢りなんだし好きなの頼んでいいんだよ?」

「いえ、大丈夫です。私うどんが好きなんで・・・・・・」

「ふーん。ならいいけど。じゃあ、ドリンクバーも追加ね」


そう言ってななみ先輩はタッチパネルで注文すると、そそくさとドリンクバーの方へと向かってしまった。

深いため息をついて、ゆかもドリンクを取りに向かった。


「そう言えばさ、ゆか最近病んでない? 様子おかしいよ。なんていうか、すごく暗い表情してるかと思えば、空元気みたいにテンション高い時もあるし」


先に口を開いたのは、メロンソーダをストローで飲んでいる、ななみ先輩だった。

ルイボスティーを口に運ぼうとしたゆかの手が、ぴくりと反応した。


「そうですか? そんなことないですよ。全然普通です」

「なんかさ、ここ数ヶ月で激痩せしてるし、やっぱりおかしいよ。友だち関係? それとも親?」

「いえ・・・・・・。特には・・・・・・」

「うちもさ、色々あるんだよね。両親は離婚してて金銭的に厳しいし、だから大学にも行かせてもらえなかったし。みんな人には言えない事情ってのがあるよねぇ」

「そうなんですね・・・・・・」


ななみ先輩の家庭の事情を聞いたのは、はじめて。

こんなに社交的で、明るくて、みんなから慕われるような、ななみ先輩にも悩みなどあったんだ、っていうのは意外だった。

だけど、ななみ先輩にも悩みがあるっていうことを知ったからなのか、今からごはんを食べないといけないということが不安なのか、本当は自分の話だって効いて欲しいからなのか、押さえ込んでいた心の蓋が弾き飛ばされたかのように、一気に涙が溢れ出てきた自分にはもっと驚いた。


「ちょっと、ゆか。どうしたの? 泣いてるの? 話聞くから、なんでも話してよ」

焦る様子のななみ先輩は花柄のハンカチで、ゆかの涙をぬぐい、そして静かに言った。


「ゆか。頑張りすぎ。1人で抱え込みすぎ。もう1人で悩まないでいいんだよ」


その言葉は真っ暗闇のトンネルを1人で彷徨い続けていたゆかの心に差し込んだ一筋の光のようだった。


「ななみ先輩。聞いてください。実は・・・・・・」


ゆかはゆっくりと、言葉を選びながら、慎重に父との出来事をななみ先輩に話した。

ななみ先輩は静かに頷きながら、反応に困っているような、驚いているような、なんとも言えない表情を浮かべたまま、ゆかの話を最後まで聞いてくれた。


「そっか・・・・・・。しんどかったね。よく我慢してたね」


長い沈黙の後、ななみ先輩の口から出た言葉は少なかったけれど、それでも聞いてもらえたことでゆかは少しだけ1人で闘わなくてもいいんだっていう気がした。