神社で白蛇と出会ってから数日が経った。
 優子は毎日のように神社に通った。白蛇に会いたいというわけではなく、調教しようと思い通っていた。
 今から躾けたら、もし自分が嫁に行くことがあったとしても上手くやっていくことができるかもしれない。そんなことを考えた上での行動だった。
 神社の中は砂だらけであったので家から箒を持って掃除をした。神社の近くにある池で布を濡らし、床や壁を拭いた。
 初めて入った時よりは綺麗になり、臭いも気にならなくなった。
 特にすることもないのでマシになった神社の床に寝転び、白蛇を眺めていた。

「ねぇ、なんで今までの黒髪たちは神社から消えたの?神隠しって言うんだっけ?それともあんたが食べたの?どうなの?」
「あんたがあの白蛇様なの?じゃあ今度、私がその辺の男の子を湖に突き落とすからその子を救ってみなさいよ。村人を守るのがあんたの仕事なんでしょ?」
「なんで喋れないの?私がずっと話しているばかりでつまんない。なんとか言いなさいよ」
「結婚後も黙ったままでいるつもり?そういうのってリコンの原因になるらしいよ。近所のおばさんたちが話していたわ」

 白蛇に聞きたいことはたくさんあったが、優子の質問に返答はない。
 終始優子の独り言である。

「はぁ、なんだかお腹が空いた。ちょっと、食べ物を持って来なさいよ」

 しっし、と追い払う仕草をすると、白蛇は本殿から出て行った。
 これで食料を持ってきたら言葉の通じる白蛇だ。
 期待せずに待っていると、そのうち瞼が重くなり眠りについた。

 優子は辺り一面真っ白な空間に立っていた。
 扉はない、壁もない、ただ白の世界に佇んでいた。
 ここはどこだろう。村ではない、神社でもない。見覚えのない場所。
 自分は本当に目を開けているのかさえ分からなくなってくる。
 濁りのない白は優子を不安にさせた。

「…どこ?」

 心細いが表には出したくない。唇をきゅっと結んで眉間にしわを寄せることで不安をかき消す。
 前も、右も、左も、何もない。
 後ろはどうだろう。振り返ってみると、そこには気怠そうな表情をした白髪の男の子が立っていた。

「ひっ!」

 思わず声が出てしまい、慌てて口を閉ざす。
 身長は優子と同じくらいで、髪の長さは優子より短い。手櫛で梳いたらなら一度も引っかかることがないような艶のある柔らかそうな白髪。宝石のように輝く朱の瞳。陶器のような肌は優子よりも優子の母よりも綺麗だった。
 思わず見惚れてしまう。

「あんた誰よ」

 我に返ると、綺麗だと思ってしまった心を隠すように不貞腐れて言い放つ。
 雪のように白い肌と髪、朱に輝く瞳。まるで白蛇だ。

「…」
「何か言いなさいよ」
「…」
「あんた喋れないの?」
「…」
「私の白蛇と一緒ね」

 一言も返さない少年を見て、喋ることができないのだと推測した。
 病気で話せなくなる人や、生まれつき話すことができない人だって存在する。父が以前そう言っていた。

「ここは何?帰りたいんだけど」

 そう言うが、喋れない少年は口を開かない。
 じっと優子を見つめるだけで、動くこともしない。

「何をそんなに見つめているのよ。もしかして私のことが好きなの?やめてよね、私、子どもは嫌いなの」

 背伸びをしたい年頃で大人風を吹かせているが、優子も七歳の子どもである。

「それに、私は白蛇の嫁になるんだから」
「…嫁」
「あんた喋れるんじゃない!最初から喋りなさいよこの馬鹿!」

 騙されたと憤慨する。
 少年は、表情豊かな優子を瞳に映して再度「嫁」と呟いた。

「そうよ、嫁よ。何か文句ある?私だって好きで嫁になるんじゃないわよ」
「…村人のため?」
「はぁ?寝言は寝て言いなさい。どうして私があんな人間のために嫁になるのよ、ふざけんじゃないわよ」
「じゃあ、何」
「お母さんとお父さんのためよ。それ以外何があるっていうのよ。断じて村のためじゃないわ、絶対にね」

 村に住む父と母のため。
 白蛇の嫁にならなければ村に禍が降りかかる。そうすれば父と母も被害に遭ってしまう。
 村人がどうなろうと優子には関係ないが、父と母だけは守りたかった。

「白蛇の、嫁にはなるんだ…」
「仕方ないでしょう!別にいいわよ、別にね!」
「…本当は、嫌?」

 優子の本心を探るように、少年の瞳は優子を射抜く。

「嫌、かは自分でも分からないけど。嫁なんて言われても何をするのか分からないし、本当に嫁になるのかも分からないし、今までの黒髪たちがどこへ消えたのかも分からないし。分からないことだらけよ」

 想像ができないので、嫌なのか良いのか自分でも分からない。
 結婚だの嫁だのと言われても、しっくりこない。
 ただ、逃げ出そうとは思わない。父と母のためである。良いだの嫌だのと、そういう次元ではないのだ。ただ、白蛇と結婚をしなくていい、と言わられたら両手を挙げて喜ぶ自信はある。

「名前」
「何?」
「名前、は?」
「人に名前を聞く前に、自分の名前を言いなさいよ」
「…白威」
「びゃくい?」

 変な名前。
 外見も、名前も、村にはいない。
 こんな容姿をしていれば村では有名になっているはずだ。名前だって珍しい。村人でないなら、やはり白蛇なのか。

「…名前」

 優子が考え込んでいると、白威は名前を教えるよう催促する。
 しかし、優子は鼻を鳴らして腕を組み、答えた。

「教えるなんて、言ってないけど?」
「…」
「村の人じゃないでしょ。なら、白蛇?人間に化けて私の前に現れて、何するつもり?」
「…」
「白蛇じゃないなら、他の村の子?じゃあここは一体どこなのよ」

 名前を教えないと言ったからか、白威は黙り込んだまま朱色の瞳に優子を映す。
 明らかに不審な少年に自分の名前を言うつもりはない。何も喋らなくなった白威に、優子は眉をぴくぴくと動かす。

「ふん、都合が悪くなったら黙るのね」

 男のくせに、と続けようとしたが途端に目がまわった。
 ぐるぐると白威がまわっているのか自分がまわっているのか、判別もできないまま足はふらつき、白の世界が黒く染まった。