家に帰るとさっそく両親に、例の文字を書いて見せると、両親はそれを読み上げた。

「読めるの?」
「どうしてだ?」
「村長、読めなかったのよ」
「普段使っている文字だろう。読めないはずないさ」

 村長が朦朧としているんじゃないか、もう若くないんだから。と、父は笑った。
 優子は納得がいかず、唸って考え込む。
 日常で使う文字の区別がつかない村長ではない。加齢臭はするが、認知症は患っていない。
 暫く唸っていた優子だが、どれだけ考えてもさっぱり分からないので思考を止めた。
 文字が読めたから何なのだ、文字が読めないから何なのだ。
 来週には結婚が控えている。
 このことを深く考えたところで、嫁ぐことに変わりはない。
 やめたやめた。

「優子、食べたいものはない?」
「うーん、ない」
「それじゃあ、したいことは?」
「ないよ」
「…村長に行って、書庫に通うのを止めさせようか」
「別にいいって」

 来週には嫁ぐ。それは、両親から離れることを意味する。
 両親は優子の望むことを何でもしてあげたいと思っている。優子も、そんな両親の気持ちは理解している。
 来週には離ればなれになってしまう。
 寂しい、悲しい、との本心を隠しながら笑う両親は、どこから見ても隠せていない。
 優子はそんな両親を笑い、「大丈夫だよ」と一声かける。
 大丈夫。
 今まで凄く楽しかった。
 優子が外でやりたい放題していても、両親は咎めることをしなかった。
 生まれ落ちた場所がここでよかったと心から思う。

「白蛇と結婚するからって、そんなにへこんでないよ。落ち込んでもない。むしろ一発殴ってやろうと思う」
「やめなさい!仕返しされたらどうするんだ!」
「大丈夫、私には優秀な家来がいるから」
「け、家来?」

 書庫を這う白蛇は、優子の家来ではない。主人は優子の旦那となる蛇だ。
 しかし、これだけ長い間一緒にいるのだから、主人より優子を選んでくれてもいいはずだ。主人の味方をしたら許さん。
 嫁いだ先で味方が一匹もいなければ、その場で暴れまくって大喧嘩してやろうと企んでいる。
 日記を読む限り、黒髪は清楚で大人しい感じの女たちだ。
 自分は違うのだと見せつけてやる。

「ごめんなぁ。親なのに、何もしてやれなくて」

 それが本音なのだろう。
 両親は今にも泣きそうな顔で俯いている。
 葬儀のような雰囲気に、優子は慌てて明るい声を出す。

「別に気にしてないし!村の幼稚な男と結婚するより断然いいし!だって神みたいな存在でしょ?絶対に白蛇と結婚する方がいいわよ!」

 白蛇と結婚したいなんて気持ちはないが、村の男と結婚するよりいい。
 独身でいるのもいいけれど、黒髪として生まれた以上そうもいかない。
 運命は受け入れるべきだ。
 白蛇がどんな輩でも、気に入らなければ殴るのみ。それが原因で殺されることになっても悔いはない。
 黒髪を捧げた時点で白蛇は村を守らなければならないのだから、優子が無礼を働いたところで両親に被害が及ぶことはないだろう。

「せめて、書庫通いだけでも村長に言って…」
「大丈夫よ。書庫に行ったところで寛ぐくらいだし」
「く、寛ぐって...」
「書庫に籠ることで村の人からの攻撃からは守られるわけだしね」
「そ、それはそうかもしれないが」
「村長は臭いし嫌いだけど、書庫通いくらい別にいいわよ」

 初めて立ち入った時は独房に見えた書庫も、今では寛ぐ場所だ。
 白蛇と戯れ、飽きたら日記を読む。
 眠ったら白威に会ってしまうと構えていたのだが、睡魔に負けたある日、夢をみることはなかった。白威が約束を守ったのだ。優子から会わないと言ったくせに、心にぽっかり穴が空いたような感覚だった。

「だから本当に、大丈夫だって」

 微塵も気にしていない、と優子の顔が語っている。
 両親は相変わらずな娘にため息を吐いた。
 もっと悲しんでくれてもいいじゃないか。父と母は顔を見合わせて再度ため息を吐いた。