彼女は江鶴に色々なことを話した。
 白蛇のこと、黒髪のこと。村で知らない人はいないほど、有名な話ばかりを教えた。
 黒髪は白蛇に嫁ぐという話だが、それが本当かどうか分からない。
 黒髪が神社へ放り込まれると、忽然と姿を消す。その行方は誰も知らない。
 白蛇が殺したのか、黒髪が逃げ出したのか、或いは村の誰かがさらったのか。
 何一つ分からないのだ。
 だからきっと、嫁いだら江鶴もどこかへ消える。
 彼女は江鶴に言った。
 江鶴はその言葉を重く受け止めた。
 殺されるのか。逃げ出せるのか。もし逃げ出せたとしても、どこへ行けばいいのか。
 江鶴は毎日そのことを考え、十八歳になった日、村人が今日迎えに来るという内容だけを書き残し、本はそこで終わった。

「どうなったんだろう」

 江鶴は小屋にいて、毎日一食のみ与えられ、村人に監視される日々。
 どれほど苦痛だっただろうか。
 黒髪は村を守るために白蛇様へ嫁ぐ役割。村人は黒髪を物扱いした。
 会ったこともない江鶴だが、彼女を思うと、村人への怒りがこみあげてくる。
 どれほど怖かっただろう、寂しかっただろう、辛かっただろう。
 行きたい場所へも行けず、人権はなく、ただ白蛇という生物に嫁ぐだけの存在。
 殺される恐怖に怯え、人生に絶望し、意味もなく明日を待つ。
 江鶴の思いは痛い程分かる。
 江鶴に比べれば、優子の待遇など良い方だ。
 ここまで待遇に差があるのは、八十年の時を経て村人が穏やかになったのか。それとも優子の強気な性格か。
 江鶴が十歳の頃、小屋に閉じ込められた。
 優子が十歳の時は、やり返さないと気が済まない。誰だろうが噛みつく勢いだった。
 あの時もしも小屋に監禁されたら、何がなんでも出ようとしただろう。そうして大人から袋叩きに遭い、何度も何度も立ち向かっただろう。空腹でそんな気力がなくとも、何もせずに都合よく扱われるのは性に合わない。
 江鶴はそんな優子とは対照的に、絶望して諦めていたようだ。人生に悲観し、唯一話し相手になってくれる女を善い人と評し、それだけが救いであるように。

「黒髪でも、江鶴と私は性格が違うようね」

 哀れに思って話し相手になる女のどこがいいのか。
 哀れに思うのなら助け出してくれればいいのに、自分に害が及ぶのを拒み、ただの話し相手にしかならない。八方美人の自己満女だ。
 日記を読む限り、その女が食事を多く提供したことはない、新しい着物を与えてくれるわけでもない、髪を整えてくれることもない。本当に話し相手だけだ。そんな女を心の拠り所にし、待ち焦がれていた江鶴。
 同じ黒髪として可哀想だと思うが、そこだけは同調できない。

「江鶴も神社から姿を消したのかしら」

 十八歳になった日、「村人が迎えに来るだろう」で終わっている。
 江鶴がどうなったか、末路がない。

「白蛇に食べられていたりして」

 そう呟くと、白蛇は心外だと言わんばかりに尾を動かす。

「白蛇に食べられるか、黒髪が逃げ出したか、誰かが攫ったか。黒髪が姿を消す理由ってこれくらいよね」

 逃げ出さないよう、札を貼るらしい。その札というのは詳しく知らないので、逃げ出せるか逃げ出せないかも分からない。だが村人が大事な場面で使うくらいだから、何らかの力が込められた札なのだろう。
 白蛇に食べられる説は、白蛇が人間より大きくなければ成り立たない。優子の視界に映る白蛇がどれだけ口を大きく開けたところで、優子を丸のみにはできない。本殿に血が残っていたという話も聞かないので、黒髪の肉を食いちぎって食べたのではないはずだ。
 村人が攫った説が濃厚か。やはり神や白蛇なんかいないのだ。黒髪を求めていた人間が攫って行った。これが一番可能性が高い。
 と、結論を出してみるが、目の前にいる白蛇を見て可能性が低くなる。神だの白蛇だの禍だの、実際にはないと断言したいところだが、そうだとすると、優子の命令を聞くこの白蛇の存在や白威はどうなる。祀られる白蛇は、やはりいるのだ。

「はぁ、もう分からないわ。考えるのやーめた」

 日記を傍に置き、壁に寄りかかって白蛇の頭を撫でる。
 いくら考えたところで嫁ぐことには変わりない。その時になればこの前で確かめればいい。

「あんた、明日も来るの?」

 ちらっと白蛇を視界に入れると、満面の笑みで何度も頷いた。
 優子はその様子に思わず笑ってしまう。

「そんなに私に会いたいのね」

 ただの白蛇、ただの生き物。
 会いたいと思ってくれている。
 悪くない気分だった。

「来たいなら来てもいいわよ」

 来てほしい。
 そんな素直な言葉が口から飛び出ることはなく、可愛げのないことを言ってしまう。
 それでも白蛇は喜び、優子の腕に巻き付いた。