「八重! 仕事をさぼってどこに行っていたの!」

帰るなり、八重は叔母に見つかって頬を叩かれた。廊下に倒れ伏したはずみで袂から饅頭が飛び出て、更に叔母の疑心を買った。

「なんです、この饅頭は。まさかお前、物乞いでもしたんじゃないでしょうね!? 我が家の品位を落とすつもりですか!」

「と、とんでもございません。これは昨日、傘をお貸しした方から、傘のお礼に頂いたので……」

です、まで言い切れない。言い訳だとして腹を蹴られた。

「お前のぼろ傘に千疋屋の菓子を返そうなどと思う人が居ますか! 昨日食事を抜いた私への嫌味ですか! ええい、自分の非を認めずに他人様(わたし)の所為にしようというその根性が曲がっている! お義兄(にい)さんの遺産もさしてなかったお前がそのような行いをするから、我が家はよそから笑われるのよ!」

廊下に倒れ伏したままの八重を足で踏みつけ、木の棒で殴る叔母に、八重は抵抗も出来ない。父の遺産は子爵の家に相応しく有ったと思うが、そんなことも言い出せなかった。養ってもらっていることは事実だし、みすぼらしい格好で世間の嘲笑の的になっているのも知っているからだ。

「申し訳ございません、申し訳ございません……」

そんな中、浅黄は八重の身なりに頓着することなく、本まで貸してくれて、次の約束もくれた。彼がくれたやさしさがあれば、実らぬ淡い思いとは言え、何でも耐えられると思った。ぎゅっと胸の所で手を握り、叔母の暴力に必死で耐える。気が済むまで八重に暴力をふるい終わると、叔母は全く勝手な娘で困る、と愚痴を言いながら奥へ消えて行った。袂に隠した本の存在を気取られなくて良かったと、八重は安堵の息を漏らした。

(夜、寝る前に少しずつ読もう……)

読んだ暁には浅黄と感想を共有できる楽しみがある。今ならどんな仕打ちも耐えられそうだと思った。




一週間の間、八重は毎夜寝る前の楽しみとして、借りた文庫を読みふけった。身分差のある主人公たちの恋の行方に心をきしませながらも、限りある逢瀬に幸せを感じるヒロインたちに、自分を重ねた。

(こんな都合のいいことがあるわけはないけれど)

眠る前に、浅黄に貰った桜で作った栞を文庫に挟む。

(夢を見ることくらいは、きっと自由の筈)

目をつむると、浅黄の朗らかな笑顔を思い出す。彼と話をしていた時、八重は確かに、少女だった。