叔母とあやめは宮森家からの贈り物が届いたことで一気に機嫌がよくなった。些細な事にも八重に対して難癖をつけていたのが嘘のように、この三日間を過ごした。八重は買い物に出ることを許され、家を出た。……公園に近づくにつれ動悸が激しくなるのは、気の所為ではない。公園の通りへ抜ける角からすらりとした体躯の洋装の男性が、公園の長椅子に座っているのが見える。八重は角を曲がらず、公園の通りの一本裏……、つまり今歩いている道をまっすぐ行くべきだった。
(ああ、でも、お会い出来るのも、これが最後かもしれない……)
もう会わないと、そう言わなければいけない。そう思うと、角を曲がらないという選択肢はなかった。八重はおずおずと公園の入り口に立ち、浅黄に向かって頭を下げた。浅黄は冬の空気が春になってぬるむように表情を変え、椅子から立ち上がってこちらへやって来た。
「やあ、八重さん。来てくれたということは、おうちに許可を貰えたのかな」
「はい。奥さまは大層喜ばれておりました」
謝意として、頭を下げる。浅黄はうずうずした様子で言葉を継いだ。
「君は? 君は喜んでくれなかったのかい?」
浅黄の常識を欠いた発想を残念に思う。どうして八重があんな高価な着物を受け取れると思ったのだろう。斎藤家にはあやめが居るのに。
「あやめさんが受け取られました。私は斎藤家に奉公に上がっている身ですし、たとえ宛て名が私でも、受け取れるはずがございません」
「何故だい? 君に似合うように桜の花の柄を選んだのに」
浅黄は気分を害したように眉間にしわを寄せた。よく考えればわかることなのに、何故この人には分かってもらえないのだろう。
「私は身分も何もない奉公人です。そんな人間が侯爵家のご子息からの贈り物など、受け取れるはずがございません」
「君は読書を嗜める教養もあるし、立ち振る舞いも粗野ではない。なにか事情があるのであれば聞くが」
そんなことを知って、どうしようというのだろう。八重が叔父や叔母を頼らないと住む場所もないことは変えられないのに。
「事情などございません。私、今日は浅黄さまにお別れを言いに参ったのです。私は斎藤の使用人で、本来でしたら、浅黄さまとお話出来るような立場のものではございません。たびたび家を抜けることも、難しくなるでしょう。もうこの公園にも来ません。今までありがとうございました。私のこれからには楽しいこともなくなりますが、浅黄さまはどうか素敵な時をお過ごしください」
失礼します。そう言って八重はその場を離れようとした。その八重の手頸を浅黄が握って止める。大きい手に握られて、手首がどくどくと脈を打っているのが分かる。
「じゃあ、尚更あの着物は君が受け取ってくれないか。僕だって誰彼構わずあのようなことをしているわけではない。君が困っていたから、助けたくてそうしたんだ。君が着物を受け取ってくれたら、僕はもう何も言わない」
浅黄の言うことは難しいと思う。あの家であの着物が八重のものだと信じている人は、使用人も含めて誰も居ない。そんな中、着物を取り返すなんて、できっこない。でも浅黄に納得してもらうために、八重は首肯した。
「……あやめさまに話をしてみます。それでいいでしょうか……」
「ああ。僕は君にあの着物を受け取ってもらいたいんだからね」
まるで着物を取り返せる未来があるかのように、浅黄が言う。出来ないんです、とは言わずに、八重は浅黄と約束をして、公園を出た。