「鶏肉と白菜をベシャメルソースで煮込んだもの、っていうことかな」

「はい。それです。そのはずなんです」

左門さんのおかげで答えにたどり着けた。
とはいえ、左門さんは本当に不思議な距離の詰め方をする人だ。
さっきはさすがに近すぎて、また頬が熱くなってしまいそうだった。

「そういうことなら話は早い。寧緒さんの思い出の料理、作ってくるから少し待っていてね」

左門さんはさっそく厨房へ戻っていく。

「なんだ、もう最初から答えは出てたってことか」

私たちの様子を見守っていた四ツ谷さんは、安心したようにまた徳利を手にしていた。

「ですね。まさか手がかりになりそうな食材をもう食べていたなんて、思いませんでしたよ」

ついさっき食べたスープと同じ具材だったとは。
どうりで引っかかっていたはずだ。
まさかそんなところに手がかりがあるなんて、考えもしていなかったのだから。

「左門さんって、不思議なお人ですね。左門さんみたいな美しい人にあんなに近づかれると、私、恥ずかしくて困ってしまいそうですよ」

てっきり私は、左門さんがいつもそういうことを自然にしているのだとばかり思ったのだが。

「ああ、あれ。別に左門は色好みな奴じゃないさ。お前さんだけにやってるんだよ」

「……冗談ですよね」

四ツ谷さんは酒を飲むばかりで、何も答えてくれなった。

特別好かれているだけなのか。
それとも、道端で倒れてしまうような私を心配してやけに距離が近くなってしまうのか。
一体何が正解なのか、その先は怖くて聞けない。
ただ一つ分かることは、左門さんに悪意は無いから余計にタチが悪いということだった。


しばらく四ツ谷さんとカウンターに並んで座って待っていれば、左門さんが戻ってくる。

「お待たせ。ベシャメルソースと、さっきの鶏肉と白菜を合わせてみたよ。どうぞ、召し上がれ」

「わぁ……!」

具材自体は最初に食べたスープと変わりは無い。
けれど、ソースと合わさったことで全く別の料理のようで、こちらもとても美味しそうだ。

「おっ、美味そうじゃないか。たまにゃこういうハイカラなのもいいよなぁ」

「では、いただきます!」

四ツ谷さんの分も用意してくれたようで、最初と同じように私たちは二人で並んで食べ始める。

「……っ、これは!」

一口食べて、すぐ分かった。
初めて見る料理のはずなのに、ずっと前に食べたことのあるような、既視感をとても覚える。多分、父も予め先程のスープのように鶏と野菜を煮込んでいたのではないだろうか。それこそが、答えだろう。

「よかった。正解だったみたいだね」

具材にはスープの味が染み込んでいて、それがベシャメルソースと上手く合わさっている。
よく煮込まれているため、ほろほろと口の中でとろけるような柔らかい食感もたまらない。
多分、父も予め先程のスープのように鶏と野菜を煮込んでいたのではないだろうか。
先程ソースを食べた時に感じた物足りなさが埋められている。

「美味しいです……!とっても!」

四ツ谷さんも大きく頷いている。

「ベシャメルソースは煮込み料理にもよく使われるからね。具材は二つだけだけど、それだけで十分美味しくできるんだ」

左門さんの優しい眼差しに、私の記憶がまたしても紐解けた気がする。

あったかいね、美味しいね。
そう言って、私に微笑みかけてくれた両親を思い出した。
確かに私の過去には、もう二度と戻らない幸せがあったのだ。
忘れたくないものだったのに、いつから取りこぼしてしまっていたのだろうか。
私はあっという間に料理を完食してしまった。

「私、今日ここへ来られてよかったです。こんなに素敵な思い出がもらえたんですから」

今は、過去だけじゃない。
この長月堂で出会った二人と過ごした時間も、かけがえのない思い出だ。
見ず知らずの私の為を助けてくれたばかりか、あやふやな記憶を探り起こして、思い出の料理を取り戻してくれた。
こんなに幸福なことがあるだろうか。

「両親はとっても優しい人でした。お父さんもお母さんも、私のことを大切にしてくれていました。それで、私によくこう言っていたんです。『寧緒の人生は寧緒の自由な様に。誰のものでもない新しい道を選んで欲しい』って」

祖父母からは酷い親だと何度も言われていた。
二人に関する思い出もどんどん消えていくばかりで、手元に残るものは何も無くなっていく。
両親は、どうして私にこの名をつけたのか。
私にどんな人になって欲しいのか。
それを知っていたはずなのに、自分自身でその記憶に蓋をしてしまっていた。

「ネオとは、ギリシアの言葉で新しいを意味する。昔、どっかでそんなことを聞いたぜ」

四ツ谷さんがぽつりと、そんなことを言った。

「新しい……だから、両親は私にこの名前を……」

新しい道を。私の人生を。
初めて両親がこの名を付けた意図を知った。
祖母からは嫌われ、園井さんからは派手なのは名前だけだと笑われたこの名前。
ようやく、好きになれそうだ。

「今の寧緒さん、とってもいい顔をしてるよ」

「ほんとですか?」

「本当だよ。とっても素敵だ。もう道に迷うことなんて、二度と無いはずだよ」

「記憶も取り戻したことだし、そろそろ帰ろうか。僕が送っていくから大丈夫だよ」

「あ、そうだ、お代は……」

「お代はいい。もう貰ったから」

「え?でも私、まだ何も」

「行き先は社員寮で良かったよね。あんまり遅くなっちゃうと、帰れなくなるから行こうか」

「そうだな。気ぃつけて帰れよ」

名残惜しいが、また心配させるわけにはいかない。

「また来ます。今度はちゃんとお代は払いますから」

そう言うと、左門さんは少し私から視線を逸らしたあと、優しく微笑んでくれた。

「……じゃあ、また会えることを楽しみにしておくね」

はい。
そう、元気よく頷いたのが最後の記憶だ。











「あれ」

気づいたら社員寮の自分の部屋で、布団に横たわっていた。
着ていたはずの銘仙じゃなくて、寝巻きになっている。
結っていた髪も下ろして、いつも寝る時と変わりない姿だ。

「私、いつの間に帰ってきたんだっけ……」

住所も告げていないのに、左門さんにどうやって送ってきて貰ったのかも覚えていない。
着替えた記憶も、布団を敷いた記憶もない。
というか、そもそも私は左門さんに社員寮に住んでいると言っただろうか。

「……まあ、いいや」

しばらく考えたが、覚えていないものは仕方がない。
カーテンの隙間から差し込む日光を見ていると、なんでもよく思えてきた。
今度またお店に行った時に聞けばいいだろう。
ああそうだ、狭間がどこなのかも忘れずに調べておかないといけない。

布団から起き上がり、身支度を整えようとする。

ふと、机の上に置きっぱなしだった祖父母からの手紙が目に入った。
私はそれを丸めて屑籠に捨てた。

「こんなことするの、初めてだなぁ……」

やってしまった、という後悔と、もっと早くからこうしておけば良かった、という気持ちが入り交じる。
あれほど重かった肩は、すっかり軽くなっていた。

「園井さんにも、さよならしなきゃ」

あんなに園井さんが怖かったはずなのに、今はもう、不思議となんともない。
むしろ、どうして園井さんをあんなに好きに思っていたのかがおかしくてたまらないぐらいだ。

寝巻きを脱ぎ、銘仙を身につける。
帯を締め、髪を結い、衣服を整えていく。
今日から私は、新しい道を歩いていく。