お会計を済ませると、改めてお礼を言わねばという気持ちにさせられた。
こんなにほっとできた食事は久しぶりだ。
いつもあれこれと次にこなすべきことや過去の振り返りばかり考えていて、今、此処にある食事を楽しんでいなかったと気づかせてくれたのは他でもない雲居さんのおかげなのだから。

「本当に、ご馳走様でした」
「いえいえ、ボクの方こそ、お誘いに乗ってくださりありがとうございます。誰かと食卓を囲むことも久しぶりでしたので、不調法がございましたらご容赦を」
「そんな! あの……また、来てもいいですか。とても美味しかったので……」

おずおずと切り出した私に雲居さんは優しく微笑む。

「──もちろん。望月様ならいつでも歓迎致します」

深みのある声で肯定されて、社交辞令だろうとその答えに頬が緩んだ。

「こちらは昼間も営業されているんですか?」
「ええ。ですが、入店できるかはその時次第ですね」

思わせぶりな言い回しに好奇心が疼く。

「その時って……雲居さんの気分次第とか?」
「ううん……ボクというより鏡次第ですね」

そう言うと、彼はレジ横にある鏡を見せてくれた。顔くらいの大きさをしたそれを覗き込む。

「うん。いらした時よりお元気そうです」
「そう……ですかね?」
「ええ。鏡は真実しか映しませんから。自信を持ってください。そうだ、背筋を伸ばしましょう!」

雲居さんがぱっと鏡を掲げたので、自然とそれを追った視線は上を向く。
背骨を中心に芯が通って、ぴたりと息が整う感覚がピリリと気持ちを奮い立たせてくれた。何かが自分の中で落ち着いたように思える。

「解けた気持ちの糸を結び直しました。夜道はお気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

雲居さんと鏡に見送られて店を出る。
曲がり角にさしかかる前に振り返ると、ドアの奥で何かが優しく瞬いた。