「さあさ、お待ちかねの映しプレートでございます。熱いので火傷にはお気をつけくださいね」

調理場から出てきた雲居さんが差し出したトレイを一目見て、わあ、と声が漏れた。幼い子ども染みた歓声に唇を噛むが、もうこの人には腹の虫大合唱を散々聞かれているのだ。ここで多少恥が増えたところで変わるまいと腹を括った。
そのくらい美味しそうなプレートだったのだから。
ツヤツヤの白米がきゅっと三角に握られたおむすびふたつの隣には、ふんわりと品良く添えられただし巻き玉子。
プレートのくぼみにちょこんとセットされた木目の椀からほかほかと湯気を立てるのは、具沢山のお味噌汁。
そして真ん中にどんと景気よく主張するハンバーグの上には、おろしポン酢が乗せられていた。

「わ、お、美味しそ……!」
「はは、目がキラッキラしてますね。嬉しい限りです」

笑いながら雲居さんはもうひとつ同じプレートを持ってくると、ひとつ空けた隣の席に置いて椅子を引いた。

「あれ?」
「ボクも夕飯まだなもので。お相伴させてください」

そういえば店に入る時にそんなことを言っていた気がする。
ああお腹空いたと大袈裟に項垂れた彼だが、すぐさま背筋を伸ばすと手を合わせた。

「いただきます」

長い指先が味噌汁茶碗に添えられる。中性的な顔立ちだが、節くれた指の関節は男性のものだ。きちんと切りそろえられた爪は平たくて大きい。
ひとくち味見した口角が上がる。

「上々の出来です。さ、ボクの毒味を確かめながらで構わないので貴方も召し上がってください」
「え!」

毒味って。指先に見とれていたのをそう判断されたとは……

「す、すみません」
「いいんですよ。強引にお誘いしたのはこちらですしね。今の世の中、警戒心が強すぎるくらいの方が丁度いい。ご婦人なら尚のことです」

ご婦人、って。時代がかった言い回しをする人だなあと思いつつ、彼に倣ってまずは味噌汁を頂く。
まろやかな口当たりが鼻に抜けて肩が下がった。

「お口に合いますでしょうか」
「なんだか……ほっとします」
「そう。それは良かった」

深く頷いた彼の笑顔は、先程調理場に立っていたものと同一人物とは思えないほど柔和だ。
それ以上は味についてコメントを求めることもなく食事に戻った彼を見て、私も箸を進めた。
ハンバーグを切り分けると中にごぼうや人参が覗く。

「お野菜のハンバーグですか」
「ええ。忙しいと野菜不足になりがちでしょう。けれどサラダでは体を冷やしてしまいます。お客様にはエネルギーが必要なのでハンバーグにしてみました」
「あ、ありがとうございます……」

腹の虫の大合唱を汲んでくれた心遣いごとハンバーグを噛み締める。歯ごたえが良く、しっかり噛んで食べられた。

「よく噛んで食べるって大事ですよね」
「そうですねえ」
「忙しいと効率よく時間を使うことばかり考えて、食事というより栄養補給の面が強くなってしまうので……こうやって、ひとつひとつのメニューを楽しむって久しぶりです」

おむすびを頬張るとお米の甘みを感じる。
糖質だのカロリーだのばかりに気を取られて、味を楽しむことをおざなりにしていた。
ぽつりぽつりとそんなことを話していると、雲居さんがふとこちらを向いた。
真顔で見つめられてぎよっとする。

「美味しいですか?」
「え?」
「ボクのご飯、美味しいですか?」
「……は、はい」
「ご飯を食べる時は分析も反省もしなくて大丈夫です。ただ味わってくださったらそれで充分」

そこでひと息置いた雲居さんは人さし指で宙に円を描いて、その輪郭を弾いてみせる。

「今の鏡みたいに、なんでもくっきりはっきり見えて当たり前が続くのもしんどいものでしょう。たまにはぼんやりとしたものを眺めて、ハテこれは何だろうとあれこれ無為に考えてみる時間も楽しいものですよ」

──そのお時間にボクの料理がお役に立てていたなら、こんなに嬉しいことはありません。

そう結んだ彼は席を立つとカウンターに入る。小さな器をトレイに乗せて戻ってくると、それをプレートの側にコトリと寄せた。

「お説教みたいなことを申し上げましたね。これはお詫びと、来てくださったことへのお礼です」

ぽってりとした卵型の器の蓋を開けると優しい黄色が顔を出した。

「サービスの豆乳プリンです」
「えっ。そんな、却ってお気を遣わせてしまったようで……」
「お気になさらず。美味しいお食事は美味しいデザートで締めてこそ、ですよ」