「頼まれてたデータはこのメモリに入れてあります」
「ああ、そのマニュアルなら共有ファイルにありますよ」
「その件、先方に連絡しておきますね」

ぺり、とディスプレイに貼られた付箋を剥がしてゴミ箱へ。液晶のデコレーションかと思うレベルで集中線を描いていたそれらもだいぶ数が少なくなった。
ふう、と息をついてマグカップに口をつける。温くなったそれは渋くて苦い。
淹れたのがコーヒーだったか紅茶だったかも思い出せない色と不味さに小さく眉をひそめて、給湯室に向かった。

「あら望月(もちづき)さん、お疲れ様」
「……お疲れ様です」

給湯室に入るなり、華やいだ声に一瞬気圧される。瞬きが多くなった。
それを隠すように俯いて流しへと真っ直ぐ進む。マグカップをざっと洗い流して水気を拭い、給茶機にセットした。
今はコーヒーの気分じゃない。緑茶も渋いから嫌だ。紅茶にミルクでも垂らそうか。
紅茶のボタンを押すと旧型のマシンは大袈裟な音を立てて動き出す。
休んでいたかったのに働かせようだなんて。そんな文句が聞こえてきてもおかしくない程に勿体をつけているマシンを眺めていると、やり過ごした気配が近づいてきた。

「急な話で悪かったって思ってるのよ。でも私もキャリアアップの機会を逃したくは無いし。部長もOKしてくれたんだから、良いわよね?」
「…………はい」
「私だってプロジェクトを途中で放り出すなんて無責任だって思ってる。でも組織って個人プレーより集団で成果を出せるかでしょう? なら貴方に任せたって大丈夫だと思ったのよ。何せ望月さんは後輩集団からイチ抜けたパーフェクト・ムーンだもの」

つらつらと言い訳だか当て擦りだかわからない話が続いた締めに、その単語がトドメのようにのしかかった。
ぐ、と唸りかけた喉に力を込めて止める。幸い給茶機がどっこいしょと言わんばかりに紅茶を注ぎ始めたタイミングだった。

「あらやだ。お喋りが過ぎたわ。こっちに参加するには今のお仕事もある程度カタをつけなきゃいけないのよね。私もできるだけ引き継ぎはするから。後は望月さんのやりたいようにやってちょうだい」

彼女は手にしていた紙コップを潰す。無地の紙コップに彼女の爪は毒々しく映えた。
じゃあね、とひらりと手を振った彼女に会釈をする。
紅茶は注がれ終わっていた。