残業を早めに切り上げると私は駅から真っ直ぐに紺の食堂へと向かった。暖簾をくぐり引き戸を開ければ、今日もお出汁と油揚げの匂いが鼻を掠める。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

紺は切れ長の瞳を細めると掌でカウンターの席を指し示した。私はジャケットを脱いで椅子に掛けると直ぐに紺がワインを注ぎ入れた。

「どうぞ。琴さんの好きな赤ワインでお祝いしましょう」

「え……どうして赤ワイン好きって……あとお祝いって」

紺がクスクスと笑った。

「暖簾をくぐって入ってきた琴さんをみて直ぐに気づいてしました。表情が明るく姿勢も真っすぐで僕が見た限り、何か嬉しい出来事があって瞳も心も笑っているように見えたので」

「あの、えっと……」

「あれ?僕間違ってますか?」

私は慌てて首を振った。

「びっくりしちゃって……その図星です。実は今日大きな仕事が決まって……ずっと営業成績万年最下位の私が今日の受注で、今年一番の営業成績間違いなしで、信じられなくて。その、きっとこの間のご縁を結ぶんでくれる紺さんのお料理のおかげかと……」

「それは琴さんの実力ですよ」

「え、いやでもこんなタイミングよく……」

「ふふ、ご縁なんてそんなものですよ」

「そうでしょうか……なんだか自分の力じゃないような」

紺がクスクスと笑った。

「本当、琴さんは謙虚で心が綺麗な人ですね」

「え……そ、そんなことないですっ。心が綺麗だなんて……どっちかと言えばすぐに人に嫉妬しちゃうし、羨ましくて哀しくなるし、心が綺麗などころか濁ってるんです」

「それは濁ってるんじゃなくて素直な証拠ですよ。先日も言いましたがもっと自信をもってください。琴さんは優しくて真っ直ぐで正直で……人間が忘れてはならない大切なものをたくさん持っていますから……」

紺はそういうとふわりと笑う。紺の穏やかで優しい笑顔につられて私も思わず笑顔になる。