「あ。いらっしゃいませ、一名様ですか?」

 明るい声で出迎えてくれたのは、モノトーンでシックなメイドさんのような装いの、ひらひらとしたエプロンをつけた可愛らしい女の子だった。
 にっこりと微笑む彼女に対し、現実離れした光景に一瞬ぽかんとしてしまう。

「は、はい。あの……すみません、ここ、何のお店なんですか? その……メイドカフェとか?」
「いえいえ、これはただの趣味です!」
「しゅ、趣味……」
「ふふ。レトロなお店にクラシカルメイド、ときめきますよね! ちなみにここは紅茶店になります」
「紅茶……屋さん?」
「はいっ、ケーキやスコーン、クッキーも焼きたてです。店内飲食も可能ですよ!」

 店員さんの言葉に、思わず店内を見回す。充満する焼きたての香ばしい甘い香りと、他にお客さんの居ない、三つしか席のない小さなお店。
 夜道からでも目が眩まない程度の薄暗い照明もあり、隠れ家的な雰囲気で落ち着く。

 そして不意に、カウンターに何度も想像したシルバーのケーキスタンドがあるのに気づく。段になっていて、あれにケーキやスコーンの皿を乗せて運ぶのだ。

「……あ、アフタヌーンティーの……」
「ああ、ハイティーセットになさいますか?」
「ハイティー……?」
「はい。えーと、アフタヌーンティーって、文字通り午後の……一般的に、貴族が夕食までの間に楽しむおやつ的な立ち位置だったんですよ。ローティーとも呼ばれますね」
「ハイティーと、ローティー……」
「ハイティーは貴族よりは労働者のお茶時間……主に夕飯として夜に食べるものでした」
「労働者……わたしみたい」
「まあ、この店ではがっつりご飯っていうよりは、お洒落なアフタヌーンティーを仕事終わりの夜に出しちゃおうってコンセプトなんですけど。なのでお店の名前も、午前零時を過ぎても解けない魔法をイメージして『硝子の靴』です!」
「……」

 時間も、内容も、まさにわたしにぴったりな理想のお店に、思わず固まってしまう。これは電車の中で見ている夢の続きなのだろうか。

「あ、もしかして、紅茶苦手でした? それならコーヒーもご用意できますけど……」
「いいえ! 紅茶、好きです……! アフタ……えっと、ハイティーセット、ください!」
「はいっ! それでは、お席にご案内しますね」

 たった数歩の移動で済む狭い店内の隅っこの、一人用の席に案内されて、わたしは改めてメニューを確認する。
 勢いで値段も確認せず注文してしまったものの、メニューに記載されているのは、散々調べたアフタヌーンティーの価格と然して変わりなかった。

 ぼったくりの類いでないことにひとまず安心していると、店員さんがスカートの裾を揺らしながらお冷やとカトラリーを運んでくる。

「ハイティーセットは、サンドイッチ、ケーキ、スコーン、紅茶の種類をお選びいただけます。当店自慢のクッキーは別料金でお付けできますよ」
「あ……えっと、……」

 ずっと画面で眺めていただけのお洒落なセットの内容を、自分で選ぶ。改めてやってくる緊張に、目の前のメニューの文字の羅列を上手く認識できない。
 必死に目で追うのに、中々イメージ出来ずに頭は真っ白になった。

「えと……その……」

 やっぱり保留になんかせずに、こういうお店にはまず六花ちゃんと一緒に来ればよかった。
 彼女が居たなら、ひとくち食べたいからだとか、映えるからだとか言って、わたしの分も選んでくれるのだ。

 何も口に出来ずにいると、不意に店員さんはわたしの横に並んで、一緒にメニューを覗き込むようにして微笑む。

「ふふ。今はお客様しか居ませんし、ゆっくりお選びください。イメージしにくかったら、良ければご説明いたしますよ」
「え……あ……ありがとうございます。わたし、こういうお店……はじめてで」
「そうなんですね! はじめてのティータイムをお手伝い出来て嬉しいです!」

 答えを急かしたりすることなく、無理矢理決めるのでもなく、同じ目線になって一緒に選んでくれる。
 そのことにひどく安心して、わたしは改めてメニューの項目ひとつひとつに視線を落とす。
 店員さんの優しい声と、落ち着いたお陰で、今度は文字列がすんなりと頭の中に入ってきた。

 サンドイッチはハムチーズも捨てがたかったけれど、お店のこだわりだというふわふわたまごをチョイス。サンドイッチは、食べる時に塩を少しかけると美味しいらしい。

 スコーンは恒常メニューのプレーンやレーズンやチーズ、季節によって桜や蜜柑なんかもあるらしい。別添えのジャムとクロテッドクリームをお好みで。

 ケーキはショーケースの中から現物を見てひとつだけ選べる。ふわふわシフォンにつやつやフルーツタルト、定番のショートケーキやチーズケーキ。注文を受けてから表面に焦げ目をつけるクレームブリュレなんかもあって、つい目移りしてしまう。

「……え、選べない……どれも美味しそう……」
「ありがとうございます。どれも自慢の一品ですよ! ……でも、こうやってあれでもないこれでもないって悩むのは、結構楽しいでしょう?」
「……はい。楽しい……すごい。こうやって決められずに悩むのって、楽しいんですね」

 悩むのが楽しいなんて、それこそはじめての経験だった。

 今まで、選択肢を目の前に提示されると、いつもどれが正解なのかわからず途方に暮れた。
 選んだ先を悪く想像して踏み出すのを躊躇ったり、決めるのが遅いと呆れられたり責められるような気がして、周りの視線が気になって、優柔不断な自分が嫌になった。

 自分で決めるのが怖くて、多数決なり偉い人の判断なり、あらかじめ何でも決めてくれれば楽なのにと、責任の重い決断からは逃げるようにしてきた。

 そんな性分のせいで、辞めるなんて決断も出来ないまま、ずるずると身も心もすり減ってばかりの『ブラック』といわれるような仕事を続けているのだ。

 人より考えがちで悩んでばかりの人生で、悩む時間が楽しいなんて思える日が来るとは思わなかった。

「そうですよ。ときめくものを選ぶのって、楽しいんです!」
「ときめく……もの?」
「ええ、ときめきは心の栄養なのです! 見てください、ここにある物のひとつひとつが、どれもときめきに満ちてると思いませんか?」

 店員さんが両手を広げて楽しげに笑うのを見て、わたしは改めて店内を見渡した。

 棚に飾られて、インテリアのように見映えする色とりどりの紅茶缶。店の雰囲気にぴったりな、アンティーク調のインテリア。
 会話を邪魔しない程度にかけられた、オルゴールのBGM。紅茶に合わせて選ばれる、何組ものティーカップとソーサー。店の奥に飾られた、綺麗な輝きの硝子の靴。

 そして硝子ケースの中に宝石のように並べられた、店自慢のケーキたち。そこからお気に入りをひとつ選ぶわくわくは、何ものにも代えがたい。

 目の前のテーブルの上には、綺麗な刺繍の施されたクロス。備え付けのシュガーポットの中には、純白の煌めきが閉じ込められている。
 照明を受けて輝くシルバーのスプーンやナイフに、見ているだけでテンションの上がるケーキスタンド。

 そしてまだ選べていない紅茶だって、どれも素敵なものに違いない。きっと、運ばれてきた紅茶をカップに注ぐ瞬間の温かく芳しい湯気の揺らめきは、ずっと見ていたくなる蜃気楼のように美しいのだろう。

「……本当だ。ときめきしかないです」
「ふふ、でしょう? このお店のもの全部、私のお気に入りですから。どれを選んでも後悔させません! でも……その中でも、お客様が選んだお客様のお気に入りが見付かったら、もっと嬉しいです」
「……わたしが選んだ、お気に入り……。はい、見つけたいです。わたしだけの、特別なときめき」

 そうしてわたしは、ゆっくり時間をかけて自ら選んだお気に入りたちを注文した。店員さんは注文を受けて、満足そうに頷いてキッチンへと向かう。

 出来上がりまでの時間、わたしは疲れや眠気なんて忘れて、まるで遊園地に向かう子供のようにそわそわとした。


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