「いらっしゃいませ」
 ボランティア1日目、カランカランという優しい鈴と共にここには不似合いな男が入ってきた。

「ぐひひっ、未来にいくことができるって本当?」

 店に入るとすぐに男はすがるように聞いてきた。猫背で背は低めで、長い前髪で目が隠れた不気味な男だった。身なりも部屋着のまま歩いているようだし、髪の毛をとかしたり整えた形跡は全くなさそうだ。起きたばかりの姿のままここへ来たようだ。

「本当ですよ。未来を体験できます」
「マジか? ぐひひ……ねがいもかなえられるって本当か?」

 若干暗い雰囲気を漂わせる男は髪の毛もぼさぼさしていてやぼったい印象だ。18歳から20歳くらいだろうか、年齢も不詳だ。いちいち「ぐひひ」とかいう謎の声を発するあたりも気味が悪い。

「本当ですよ、代償は記憶の一部ですが」
「ぐひひ、俺氏は作家になりたいんだよね。それで生計を立てたいからさ。未来でヒットしている作品を読んでさ、過去に戻って書けばヒット確実だよな、ぐひひひ……」

 上下黒いジャージだが、どう見ても運動をしているスポーツマンという風貌ではない。部屋着として楽だから着用しているといったオーラ―が出ている。筋トレとは無縁といったやせ細った男の体型を見れば、特殊能力がなくても正直誰にでもわかる。俺氏と自分を呼ぶあたりも変な人だ。

「それ、盗作になりますよね?」

「なりませんよ。事実これから書くのは目の前の男性。未来を見た事実は誰も知りませんし」
 アサトさんは涼しい顔をして答える。

「それじゃあ罪に問われないのですか?」
 確認する。

「もちろん。未来に行って盗作したといったことに関する法律は現在の日本にはないですよね。時空移動したという証拠もないし、時の国でもそういったことを禁止した法律はないので」

「ずるくないですか?」
 私は楽して名誉を手に入れようというずる賢い男の良心を少しでもよび起こそうと言葉をかける。

「俺氏……ひきこもり予備軍なんだよね。ぐひひ……会社勤めとか人間とのコミュニケーションは絶対無理だし。今、定時制高校の4年生だから来年卒業だし、一発当てて印税生活したいんだよね」
 やっぱりか。そんな感じがする。こういった独り者は友達を作るという願いのほうがいいのではないだろうか、と思ってしまう。

「いいですよ。あなたがそれでいいのならば。ただし、未来の本を持ってくることやコピーやメモも持ち込めませんよ」
 アサトさんは優しく説明する。

「ぐひひ……かまわない、どういった内容かがわかればいいんだよ。じゃあヒット作品を読みに俺氏を未来に飛ばしてちょ!!」
 調子に乗ったひきこもり気味の男が少し明るい表情をみせる。と言っても口元が大きく開き、にやけたということしか確認はできないが。鼻筋は通っていて高めの鼻しか見えないのが不気味さを増殖させる。

「とりあえず何か食べ物を注文しませんか?」
「じゃあ、納豆ごはん、たまごかけで」
「了解です」
「納豆ご飯もあるんですか?」
 私は材料の幅に驚く。普通このような洋風なレストランに納豆はないだろう。
「僕たちの台所は何でも手に入る、そういう便利な空間だから」

 何でも手に入る台所、本当に無敵だ。
 目の前の上機嫌なひきこもり男はどこか不気味な雰囲気だった。暗い性格の中の野望を垣間見せる男はプロの作家になって何をしたいのだろう? 文章で何かを伝えたいのか? はたまた何かを表現したいのか? 社会的地位が欲しいのだろうか? 

 正直割に合わない仕事のような気がする。書くことが苦手な人間にとっては文章を考え出し、面白いストーリーを生み出すことは苦難の業だ。それを好き好んで仕事にしようと思うのは奇特な人種のような気がする。時間を書くことに費やし、それを発表しても誰も認めてくれない、読んでくれないほうが多いのが現実だ。正直目の前の男は見た目も髪型も奇特だ。道端で会ったら、絶対関わりたくないタイプだが、今日はお客様なので笑顔で対応する。

 まひるが心を込めてごはんを器に盛りつける。普通の納豆ご飯がここのレストランの手にかかるとあっという間に美しい料理になる。ごはんのつやがいいのはもちろんだが、生たまごの色と形もよく光っている。納豆も上品に盛り付けられていて、品がいいという一言に尽きる。

「眠り姫の納豆ご飯たまごがけでーす」
 まひるが優しく器を机に置いた。
「いただきっ!! うまそうだな、ぐひひ……。なんで眠り姫なんてネーミング?」
 まるで麺でもたべるかのような音で男はあっという間に平らげた。痩せの大食いとはこのことだろうか。納豆のねばねばが口のまわりについているのだが、男はそんなことも気に留めてもいないようだ。上品な食べ物が一気に下品な分類に変化したのを私は見逃さなかった。

 アサトさんは平等な笑顔で丁寧に説明をする。
「あなたは今まで社会的に眠っていたけれど、これから活躍する人ですよね。ごはんを炊くときに艶出し効果でオリーブオイルを少し加えています。僕は食材にもこだわりを持って栄養価を計算してメニューを考案しています。成功の秘訣は健康ですよ」
「俺氏の境遇を料理にしたってことか、ぐひひ……おもしろいねぇ、ねむりの王子ってか、俺氏、不健康に見られがちだけど、こう見えてめっちゃ健康だし。ぐひひ……」
 自分で王子って言っているけれど、正直王子ではない、と私は冷たい視線を投げかけた。アサトさんは冷ややかな視線を投げかけている私のことはお構いなしに説明を始めた。
「眠り姫の物語ですが、なぜ王子はひとめ見た女性にキスをしたのでしょうか? 眠りから覚めると知っていたのでしょうか? 王子のように、人に惹かれることに理屈はありません。いばらの垣根は朝の光、姫は夜、王子は昼を象徴しています。この場合、あなたが夜ですね。眠り姫のいばらを海藻で表現してみました。そして、たまごは太陽を表し、納豆は眠っている才能、すなわちあなたの秘めた才能を表現しています。あなたの場合、いばらは自分が無意識に張っているパーソナルスペースの壁ではないでしょうか。あなたもいずれ誰かの口づけで目が覚める、そんな朝が来るかもしれませんね」

 正直納豆まみれの唇の本人を目の前に想像すると、口づけのロマンチックさがゼロになってしまう。アサトさん、そんな奴にメルヘンな料理は必要ないし。心の中で突っ込む。

「いらない記憶はありませんか?」
「小学校とか中学校生活の記憶は小説のネタになるから、あげられないなぁ。じゃあ小さい時に俺氏を捨てた親の記憶はいらないな」
「親の記憶はとっておいたほうがいいですよ」
「ぐひひ……思い出すと吐き気がするんだっけ、だからいらない」

 この男になにがあったのかは知る由もないが、きっと嫌なことがありトラウマになったのかもしれない。彼の話し方や奇行もそんな悲しい過去がそうさせているのかもしれない。彼の謎に満ちた生い立ちや不思議な存在感が彼のミステリアスな部分を照らし出すような気がした。一見、ただの根暗男だけれど、きっとそうなったのには原因がある。彼は被害者なのかもしれない。

「虹色ドリンクできましたー、おにいさんにしあわせが訪れますように」

 まひるが明るい声を出し、にこりとほほ笑む。まひるも誰にでも平等な愛想を振りまく。

「これが、虹色ドリンクか、ぐひひ……飲み干してやるぞ」

 男が確認するように笑い気味に低い声を発した。生唾を飲み込み唇をベロで舐めながらコップを丁寧に持つ。コップの持ち方すらも個性的だ。飲むというより、この男の場合まずはベロをコップに入れて舐める。やはり飲み方も変わっている。飲み方がまず特殊だが、とても興味深そうに見つめているまなざしは前髪に隠れて確認することはできない。マナーやしつけを身につけずに大人になったさびしい人なのかもしれないし、奇行に関しては目をつぶろうと思った。

「夢のような味ですね、俺氏、これ飲んで天下取っちゃいますから、ぐひひ……」

 気が弱そうな男だが、この言葉には自信と勝利を確信したような力強さが感じられた。未来の作品を盗作して天下を取ると主張する男は馬鹿としか言いようがないが、証拠があるわけでもなく盗作された作家が気の毒な話だと思われた。男はズズズ―――と不気味な音を立ててドリンクを飲む。ラーメンのスープを飲み干すときのようだ。この男、行動が何もかもが変わっている。たしかに社会生活が容易ではなさそうだし、コミュ力があるとも思い難い。

「ううっ」

 不気味な声を出しながら男は眠りについたようだ。正確に言えば未来の世界に行ってしまったのだ。もちろん未来の世界に居続けることはできないので、戻ってくることにはなるのだが、ねがいは小説家になることなのだろうか。アサトさんが用意したモニターで確認する。男が大手書店をうろうろしている。一見不審者にしか見えないのが変人奇人のこの男だ。

 レストランではモニター越しに彼を見守る。

「ここは、本屋かあ。ケケケ……ベストセラーをまずは見学するぞ、ぐひひっ」
 大きな書店の一番目立つ場所に置いてあるベストセラーの本を手に取った。
「おっ、これは知らない名前だな。ぐははっ、黒羽さなぎと書いてある。今はまだデビューもしていない新人だろうか? まあいいや」

 独り言を言いながら、俺氏はその本を手に取った。その本はどちらかというと俺氏が好きなジャンルで、こういった物語が書きたいと思っているような内容だった。ホラー要素のある頭脳戦を展開する物語は、コミカライズ化、アニメ化、映画化、フィギュア化までしており、幅広い年齢層に好かれている作品ということが表紙に書いてある。ぐはは……作品に興味を持ったので、黒羽さなぎのプロフィールを見てみると本名非公開。新人賞を取り、瞬く間に大ヒット。国民的な小説家になると書かれている。たしかに、さなぎはこれから成虫になるのだから、いいペンネームだな。ぐひひ……そんなことを思い、本を読んでみた。

 異空間に閉じ込められた主人公たちが頭脳戦でそこからの脱出方法を考える。それまでのドキドキの展開とアクションやバトルもみずみずしい文体で描かれている。文字なのに映像で見える、そんな「ぐひひ」な作品だ。「ぐひひ」という意味は俺氏の中では様々な意味で使われる。例えば、感嘆語、擬音語、擬態語、うれしさ、驚きもすべて「ぐひひ」で片づけてしまう。便利な言葉であり、くせになって使っているという理由もある。この超絶ぐひひな物語を舐めるように読む。閉じ込めた組織の解明や対決の様子も後半にはだいぶ面白く練りこまれていた。この作者は頭がいいのだろう。ぐひひという言葉も発せずその本を読みふけっていた。何時間たったのだろうか。集中しすぎて時がたつのを忘れていた。読み終わり、内容を頭にインプットした後、いつのまにか俺氏は先程の不思議なレストランに戻っていた。

「おかえりなさい」
「ぐひひ、めちゃくちゃ面白い作品があってさ。もう少し読んでいたかったんだけどさ」
「盗作できそうですか?」
 ずるいことが嫌いだから、わざといじわるな言い方をしてみる。

「ひととおり読んだし、ストーリーは把握したけど。正直コピーして持ってくるか盗んできたい気持ちになる傑作だったけどな、ぐひひ」
「未来から物を持ち出せない決まりになってましてね」
 アサトさんが念を押す。

「仕方ない、ねがいはベストセラー作家になって成功でいいかな。とりあえず100円置いておくよ、ぐひひ……またくるぜい、ごっちそうさん!!」
 男は不気味に歯を出しながら笑う。歯がやたら白くきれいなので目が見えない顔に白い歯が光り、不気味さが漂う。男はスキップ気味な足取りで帰宅した。ため息が出た。

「お待ちしておりますよ。あなたは福の神の能力を持っているようですね。商売繁盛の神オーラがあふれていますよ」
「そうか、じゃあ、また来たいときは電波送るからさ、食べにくるよ……ぐひひ」

 不気味な微笑みで店を去る男。電波を出す発言も不思議だ。電波なんて出せるのだろうか? そもそもここは石がないと普通の人は入れないし、アサトさんに選ばれないと来ることなんてできない。

「アサトさんあの人、いいんですか? 簡単にベストセラー作家になるなんて世の中舐めすぎです。ありえないですよ」
「彼は本当に才能のある男ですよ。もし、才能がなければ、1発屋で終わるだろうけれど、彼は終わらないだろうね」
「なんでそんなことが言えるのですか?」
「彼の才能は本物さ。彼が見てきた未来は自分の作品なのだから」
「もしかして黒羽さなぎって今の不気味な男?」

「そう、本名は黒羽なぎさ。彼は文才もひらめきも時代を先取りするセンスも持ち合わせているますよ。もし、本当に他人の作品を盗むとしてもあの短時間で読んだくらいでは人気作は書けないだろうしね。表現力文章能力がなければ読者はついてこないでしょう。仮に盗作された作家がいたとしよう。その人の実力が本物ならばもっといい作品を何作だって書くことができるでしょう」

「あの人、見た目は気持ち悪いけど、将来性はあるんですよね。人は見た目で判断してはいけないとはこのことですか」
「それに、彼は実写映画で主演した女優と結婚するんですよね」
「そんなことまでわかるんですか?」
「彼、前髪あげると男前なのです。奇才だから変人気味なのかもしれないけど、才能に惚れる女性って割といますよね。嫌な親の記憶を捨てたことで結婚へのふんぎりがつくのかもしれません。我々は幸せのお手伝いをしているだけなので」

 アサトさんがモニターを指さす。風に吹かれておでこ全開の男は、たしかに男前だった。切れ長な瞳の鼻筋が通った端正な顔立ちだ。くまがあり、顔色も色白で顔色がいいとは言い難いが、それはそれで守りたくなる存在になるのかもしれない。日陰男は近いうちにさなぎから成虫になり光を浴びることになる。これは決定している事実なのだ。

 未来のベストセラー作家はぐひひという言葉を端々で発する目を隠した猫背ジャージ男だった。ある意味奇才という点ではあの奇行は納得できなくもない、変に納得してしまった。人はどこに惚れるかわからないものだ、変な悟りを開いてしまった。そして、男が本物ならば近いうちにその名が耳に入ることとなるだろう。今はまだ、彼は原石なのだ。

 ※【眠り姫の納豆ご飯】
 ごはん、納豆、生卵、海藻。炊飯時にオリーブオイルを少々混ぜて艶をだす。