「今日は、仕事と結婚の間で揺れ動くキャリアウーマンのお客様です」

 アサトが予知する。あれ以来、何事もなかったかのように、夢香とアサトは接していた。夢香のアサトへの思いはまだ残っていたし、このままフェードアウトするわけにはいかなかった。

♢♢♢

 彼女は、人生の岐路になっている。これから、どうやって生きるのか、選択次第で大きく変わるだろう。大手一流企業と言われる会社に勤めている。結婚適齢期でもあるが、仕事も脂ののった時期に差し掛かっている。結婚するか、仕事一筋で行くか。もう少しあとに結婚するか、迷っていた。

 色々思い悩むと甘いものが食べたくなるものだ。こんなところに、いい感じのレストランができたのかな? ちょっと休憩しても大丈夫な時間帯だった。一息入れよう。そう思って、ビジネススーツに身を包んだ女性はお店に入った。まさか、普通ではない不思議なレストランだとも知らずに。

 今年30歳になる、バリバリ仕事をこなすキャリアウーマンだ。付き合っている彼から、恋人から夫婦に昇格しようなんていうビジネス感あふれるプロポーズをされた。しかし、仕事を恋人と思って生きてきた。今の時代、共働きで、育児休暇を取って働くことも可能だ。しかし、きっと今までのように全力で仕事に取り組むことはできなくなってしまう。不安でいっぱいだ。結婚というリスクに対して。もちろん彼も好きだし、家庭や結婚への憧れはある。子供を産むことができる年齢は限られている。どうすればいいのだろう。

 思い悩みながら不思議な雰囲気のレストランへ入った。心地いい鈴の音に呼ばれるかのようにここに足を踏み入れた。

「いらっしゃいませー」
 店員は二人とも高校生かな、若いなぁ。一人は小学生じゃない? きっとこんな悩みになんて無縁なんだわ。若い人たちには、絶対無縁だ。でも、奥の方に一人不気味な客がいるけれど、この店に不似合いだなぁ。

 なぜか飛び込んできたメニューがあった。とても気になる名前だった。
「かぐや姫の葛藤って何ですか? 珍しいスイーツですね」
「あんみつですが、白玉とマシュマロが混在しています。まるで今のあなたのように、おいしいもの二つに囲まれたあずきの上に、生クリームまで乗っていますよ。和も洋もよくばりたいお客様には、大人気です。ひとつに選ぶというのは難しい問題ですよね」

 若いくせに、この店員、心が読めるの? ちょっと鋭すぎて怖いかも。そう思っているうちに、あっという間に注文したあんみつが目の前に現れた。

「これで、100円なの?」
 メニュー表にオール100円と書いてあったので、確認してみた。

「もっちろん」
 小学生が答えた。女子高校生はバイトかな? そんなことを思いながら、あんみつを見つめてみた。たしかに、白玉の他にピンクや水色のマシュマロも入っていて、あんこも入っているけれど、生クリームも入っている。和洋折衷になっていた。いいところどりの塊のあんみつ。見た目も色鮮やかでとってもおいしそうだ。

「いただきます」
 ひとくち食べてみる。これは、なんともおいしいあんこだ。今まで食べた中で一番おいしいあんこではないだろうか? あんこマニアの彼女は、幸せな和洋折衷の世界にいざなわれる。

「こちらのメニューは、マシュマロと白玉、生クリームとあんこの融合でございます。マシュマロの色味は果実から着色していますので、香りはフルーティーなのです」

 竹に入ったデザートは確かに見た目も斬新で、普通のあんみつとは一線を画している。

「マシュマロのパステルカラーが華やかさを添えて、竹の入れ物は涼しげですね」
「竹から出るかぐや姫の葛藤がより一層味を際立たせております」
 何を言っているのかな? かぐや姫の葛藤?

「きっとかぐや姫も不本意だったのではないのでしょうか? 求婚者の一人と結婚したいという葛藤もあったはずです。しかし、月に戻るという仕事があったのですから、仕方ないのでしょうが」

「かぐや姫がどんなに美しくても、悩みがあったのかもしれないですね」
 なんとなく、適当に相槌を打ってみる。

「こちらのカフェはもしも、これからこうしたらどうなるか、という一例を体験できます。過去や未来に一時的に行くことができるのです」
「???」
 意味も分からず、目を丸くした。


 虹色ドリンクの説明文を渡された。
「虹色ドリンクって過去か未来を体験できてねがいもかなえられる不思議なドリンクって書いてありますが、お金はかかるのですか?」
「無料ですが、お代は記憶の一部です」
「不思議な名前ですね。七色でしょうか?」
「虹は七色といわれますが、実際はもっと細かく色は存在していて、七色にはならないのですがね。目で見ることができる色合いは限られますから、あえて虹色という名称にしております」

 若いのに落ち着きがあって、何か余裕すら感じるわね。
「じゃあドリンクを一杯ちょうだい。私、結婚と仕事のことで迷っているの。もしもの未来を見せてちょうだい」

「もしもの未来は、その時代で1度しか見ることができませんし、体験したことがその通りになるとは限りませんよ。人生はちょっとしたことで大幅に変わることもあるので、幸せになる未来とならない未来は紙一重なんです。体験した上でねがいを決めてください」

「結婚したバージョンをちょっと見てみたいなぁって。私、いじめられた子供時代の記憶がいらないのよね」
「了解しました。未来を体験してきてください」
 詐欺か何かだったりしないよね。とりあえず、ドリンクを注文しよう。
「虹色ドリンクください。いじめられた記憶なんていらないから、それで」
「かしこまりました。虹色ドリンク1杯」

 店員が言うと、小学生の女子が、
「虹色ドリンク1杯入りましたあ~」
 ちょっとかわいい声で確認していた。そして、女子高校生が作るのかぁ。バイトっぽいよね。というか、この店、めちゃくちゃ怪しいけど、100円スイーツは儲けものだわ。

 あっという間に虹色のえもいわれぬようなドリンクが目の前に置かれた。今まで、このようなドリンクは飲んだことも、見たこともなかった。初体験というのは少々緊張するなんて思いながら、一口、飲んでみた。

「あぁ、おいしい」
 そういいながら、あっという間にいらない記憶と共に異世界かどこかへいざなわれる感覚に襲われた。

 知らないマンションの一室にいた。これは、未来のもしもの夢? もしも、結婚したらの夢だ。相手は、現在の恋人のイッチーかな。イッチーの本名は一郎なんだけど。イッチーって呼んでいる。夢の中にいる女性の名前はニコという。

「ニコ、今日は俺が夕ご飯作ろうか? ニコは、普段、結婚前と変わらず仕事をしているんだし、分担している家事もいつもちゃんとしてくれるから、俺はとっても幸せ者だよ」

 新婚ほやほやのラブラブな二人の空間。悪くない。家事も手伝ってくれる夫、結婚後も優しい夫。理想じゃない? 結婚後のキャリアも変わらずなんて、迷うことなかった?

 ピンポーン、インターホンがなった。

「誰かな?」
「おふくろじゃないか? 俺のおふくろは家が近いのをいいことに、毎週末遊びに来るからな」

 結婚前はそんなことなかったのに、結婚って家と家の繋がりっていうけれど、ちょっとメンドクサイなぁ。

「こんにちは。ニコさん。今日も手作りの差し入れ。女の人も結婚しても仕事を続ける時代だけれど、女はねぇ、家を守るのも仕事よ。普段忙しくて、出来合いの総菜ですませてばかりだと体に良くないのよ。さぁ、無農薬野菜で作った手作りのおかずを食べてね」

「手作りのおいしいお料理はうれしいのですが、お義母さんに迷惑かけたくないので、こういったことは……」

「何? 迷惑だった?」
 途端に不機嫌そうな顔をするお義母さん。ちょっと怖い。

「いえ、迷惑ではないのですが……」
 それ以上何も言えなかった。

「そろそろ、子供を作らないとねぇ。孫の顔を見たいのよ」
「ちょっとおふくろ、そういうことは授かりものだしさ」

 イッチーは優しくたしなめた。

「育児休暇取れるんだし、今は妊活休暇も取れる会社もあるみたいだし、妊活しなさいよ」

 何? 命令口調? 面倒だなぁ。結婚って甘いことばかりじゃないとはわかっていたけれど、孫を期待されて、子供ができないと、プレッシャーだわ。

「今日は俺が夕食を作るんだ」
「何? 一郎にさせる気?」
「いえ、一郎さんが自分から今日は夕食を作ると言ってくれたので」
「一郎、こき使われていない?」

 心配そうなお義母さん。きっと嫁と姑というのは距離を間違えて、最後は関係が破綻するのかもしれない。ドラマの一場面を見ているみたいで、どこか客観的な自分がいた。これは、もしもの世界だと聞いていたからかもしれない。もし、現実だったら、それは、耐えられない怒りに満ちていただろう。

「こんなことだと思って、私ね、夕食作ってきたから。一郎は座っていなさい。精力つけないと。女性ホルモンにいいっていう大豆もたくさん使ったのよ」

 お義母さんのおせっかいな持ち込み手料理はまだまだ続く。うんざりしてきた。子供ができやすいと言われている食材で作ってきたとか。何を根拠に子供ができやすいのかもよくわからなかった。女性ホルモンにいいという大豆もふんだんにつかったらしい。ベテラン主婦だけあって、料理はおいしいのだが、プレシャーをかけられているようで、おいしく感じられない。体にいいヘルシーメニュー。独身のときには、イッチーのお義母さんのことは知らなかった。付き合いもなかったし、もっと気楽な二人で楽しむ時間だった。それが、結婚という呪縛によって、こうも介入されるとは。

 仕事を続けていることは、とてもいいことだと思う。むしろ、息抜きになりそうだ。でも、介護の問題、育児の問題が出てきたら、きっと仕事ばかりを優先できない時が来る。おひとりさまのさびしさよりも自由をとったほうが幸せなのか? 息苦しい義理の家族との関係をとることが幸せなのか? わからなくなった。もし、子供ができなかったらお義母さんからのプレッシャ―が半端ないのかな? でも、自分の時間はたっぷり持てるよね。でも、子供を生むことができる期間は決まっている。女性という生き物は結構大変だ。

 そんなことをぐるぐる考える。お義母さんの料理を前にして、急にイッチーが発した言葉に私は何も言えなかった。

「もしかして、ニコ、妊娠している可能性もあるんじゃない? ちゃんと検査してみたら」
 え……? お腹に別な生命がいるとでも? でも、妊娠していたらこの先どうなるのだろう? 生まれる子供は女の子? 男の子?


 そんなことを考えていると――気づくとここは、さっきのメルヘンなカフェ? ここに戻ってきたの?

「続きが気になるから、見せて!!」
「残念ながらその時代につき、1度しか見ることができないもしもなのです。でも、結婚したから必ずそうなるわけではありません。虹色程度のもしもは存在していますから。ねがいは何にしますか?」
「赤ちゃんがほしい!!」
「夢の続きは、この世界で体験してみてください。そんなに遠くない未来の話でしょう? 未来に本当に飛ぶことはできないと言いましたよね。では妊娠のねがいをかなえます」

「わかった。ありがとう。100円ここに置いておくから。もし、結婚したら、旦那とここにくるからね。ごちそうさまっ」

「おまちしておりまーす」

 まひるが元気いっぱいに笑顔で見送った。忙しいキャリアウーマンは急いで仕事に戻ったようだ。彼女は妊娠を望んでいる。結婚ではなく子供が欲しいというのがねがいなのだろうか。

「妊娠のねがいがかなえば、結婚も早まるのかな?」

 心から幸せを願う。

「妊娠にはタイミングがあり、今は産まないでほしいという男性もいますからね。妊娠することによって、結婚につながることもシングルマザーにつながることもあります。我々が干渉することはできないエリアですよね」

 アサトさんは冷静な分析だ。この人って欠点がないように思える。

「まひる、今のお客様、いじめの記憶を置いていきましたね」
「嫌な記憶は捨てたいって誰でも思うよね」
「でも、あの方は生涯で一度しかいじめられた経験がないようですね。いじめられる側の弱い心を知っているのと知らないとではだいぶ気持ちが変わるものですよ。弱者への配慮、仕事でもそういった部分がかけた人間にならなければいいのですが……人柄次第で結婚ができないとか結婚生活が破綻、なんてことにならないといいですね」

 それを聞いていた夢香は、アサトさんのやっていることが、本当に正しいことなのかどうかわからなくなっていた。もちろんねがいをかなえることは素晴らしいのだけれど、そんな不確実なねがいならばかなえる必要な無いような気がした。そんな考えを遮るように最近、しょっちゅうやってくる黒羽が言葉を発する。

「ぐはは……結婚とかマジで無理だよな。俺のデザートもよろしく」
 黒羽は意外と真面目で集中力が高く執筆は超スピードで進んでいるようだ。
「なんかさ、ウェブ小説のランキングっていうのがあってずっと1位なんだよね」
 腕組みしながら黒羽が変な座り方をしていた。

「出版社からオファーがくるかもしれませんね」
「ぐひひ、まぁ俺氏は今が楽しければそれでいいんだな。いただきっ!!」

 黒羽は出されたあんみつを一気に食べる。噛んでいないような感じだ。白玉は丸呑みしているようだったが、のどに引っかかって窒息する日が来るのではないかという余計な心配をしてしまう。黒羽には葛藤とか憂鬱とかの感情が欠落しているように思う。感情が人より少ない男がなぜ出来上がったのか、知りたいとも思わないのだが、少しばかり興味が湧いたりする。愛を知らない黒羽に愛を教えるのがあの女優なのだろうか。

※【マシュマロあんみつ】
 パステルカラーのマシュマロと白玉、生クリームとあんこの融合。竹の器に入った和洋折衷デザート。マシュマロには果汁で色をつけている。