「いらっしゃいませー」
 夕暮れ時、営業用の笑顔で時羽が出迎える。そろそろ夕食を食べに来る客がやってくる多忙な時間帯だ。
 スピードと誠実な接客が大切だ。ぽうっと喫茶店のランプが灯る。
 ランプに導かれたかのように一人の少年がやってきた。
 入ってきた男性客はとても暗い表情だった。絶望という表情はまさにこのことだろう。

「あの……ここって寿命を取り引きしているんですよね?」
「しておりますが」

 メニュー表を時羽がもってこようとすると、高校生くらいの少年は申し訳なさそうに確認を取る。少年は一生懸命ネットなどで情報収集をしてこの喫茶店にたどりついたらしい。その答えに少しばかり安堵の表情を見せた。

「実は、寿命を譲渡したいのですが、手数料はどの程度かかりますか?」
「寿命譲渡のお客様ですね。少々お待ちください譲渡申込書をお持ちします」

 譲渡が可能ということに少年の頬は緩むが、手数料がどの程度なのかとても不安に感じていた。少年はまだ17歳だった。高校生が払うことができる金額はしれている。

「ここに名前を書いてください」
 譲渡希望申込書という紙を時羽が持ってきた。

「手数料はかかりますか?」
「ここのコーヒーを1杯注文をすればそれ以上のお金はとりません」
「本当ですか?」
 少年の表情は明るくなった。
「あと、ひとつ何かお食事でもいかがですか?」
 少し考えてサンドウィッチを指さした。

「俺、名前は森沢といいます。同じ高校の女子と付き合っているんですけど、彼女命がもう長くなくって。医学がダメなら俺の寿命を譲るしかないと思って」
「お客様は一途で優しい方なんですね」
「彼女とずっと一緒にいたいと思っています。結婚して、子供を育てて――」
「じゃあかなり寿命を譲らないといけないですね」
「そうですよね。俺、なるべく同じくらい生きていたいんです。今どれくらい寿命が残っているかわかりますか?」
「本当は積極的に教えることはしておりませんが、今回の場合は同じくらい長く生きたいという希望ですので、特別持ち寿命を教えます」

 パソコンで何やらデータを確認したあと、時羽は森沢の隣に座って説明をはじめた。

「あなたは97歳まで生きますね。比較的長生きですね」
「あと、80年生きるってことは40年彼女に寿命を譲れば俺たちは57歳で死ぬってことですか?」
「40年も寿命を譲るのはどうかと思うので、せめて20年くらいにしたらいかがですか?」
「そしたら、彼女は37歳で死ぬことになるじゃないですか。俺は寿命を40年譲渡したいんです」
 真剣な申し出だ。

 ボールペンを取り出すと森沢は静かに名前を書いていた。森沢豊は川瀬えりに40年分の寿命を譲渡すると名前を記入して、最後にサインをした。少年は満足気な顔をした。若さゆえの一途な思いなのかもしれない。死ぬ時期がわかっていてもそれでも彼女と一緒にいたいという熱い思いは尊敬にすら値するものだった。

 満足な表情で注文したコーヒーを砂糖とミルクを多めに入れて飲む少年の顔はまだ幼い部分と大人の部分が合い混じった表情だった。そして、シャキシャキレタスとたまごのサンドウィッチを頬張る。

「一途な人は好きよ。でも、愛って永遠とは限らないのにね」
 時羽の妹が水をつぎ足しながら少年に問いかける。とても小学生とは思えない。

「俺たちは永遠だと思うんだ。これは直感だよ」
 少年のまなざしには迷いがなかった。少年はコーヒーを飲み終わるとすっきりした顔をしてにこやかに帰宅していく。

「恋は盲目ってことかな」
 時羽は皮肉めいた表情をした。

「あの少年は、彼女と別れることになることも知らずに寿命を譲渡するなんて、ボランティア精神豊富よね」
 妹のアリスがため息をつく。

「若い時は特に一途で熱い想いを抱えている人が多いんだよ。それが人間さ」

 明日のことなんて誰にもわからない。だから、命は大切にしたほうがよいと時羽は思っているのだった。誰よりも命と向き合っているからそう思うのかもしれない。

「私は、気持ちがわかるなぁ。まっすぐな気持ちでいたいけれど、相手は同じように想ってくれるとは限らないのがせつないよね」

 雪月が同意する。
 雪月は今日はアイスティーにガムシロップを入れて飲んでいた。放課後は読書や宿題などの勉強をしながら毎日ここで過ごすのが日課になっていた。一人暮らしの自宅に戻っても、ただ孤独が待っているだけだ。しかし、ここにいると様々な客が来て、人間ドラマを垣間見ることができる。そして、時羽の仕事ぶりを見ることが一種の楽しみにもなっていた。

「時羽君は、彼の気持ち理解できる?」
「理解できねーよ。そこまでお人好しじゃないし」
「人を本当に好きになれば、きっと理解できると思うなぁ」
「俺にそんな日は来ないと断言できるがな」

 本当に時羽は寿命を譲渡する人の気持ちが理解できなかった。まさか、時羽本人がそんな気持ちを持つ日がくるなんて、この時は思ってもいなかったのだろう。