「次なる謁見者は、グレアン侯爵にございます」

 侍従が高らかに声を上げると、謁見の間の大扉が開いた。ヴィスタネージュで最も華美な装飾に彩られたこの部屋の奥には、玉座が二つ置かれ、この国で最もくらいの高い男女が座っている。皇帝アルディス3世(になりすます男)と皇妃マリアン=ルーヌだ。

「皇帝陛下、ならびに皇妃陛下、この度は我が家門を侯爵にお取り立ていただき、誠にありがとうございます」
「うむ。君の働きに対する相応の報いと思っている。これからも帝国のために励んでほしい」

 アルディスの顔と声を奪い、尊大にふるまうホムンクルスの男。その言葉を聞いたアンナは、全身に鳥肌が立つほどの怖気を覚えた。
 この男は、自分の正体を自らアンナに明かしている。その上で、公式の場ではあくまで皇帝してアンナに接し、彼女の反応を楽しんでいるのではないか? そんな邪推が頭をもたげてくる。

(これしきの事で怯むわけにはいかない……!)

 これから出世するほど、この男と顔を合わせる機会は増える。今は、これまでの怨みにこの不快感も上乗せし、自分の中の悪意を育てておこう。そうアンナは思い直した。この男も復讐対象なのだ。いずれ滅ぼすときに、溜め続けたものを全てぶつければいい。そう思えば、この怖気も楽しみに変わると言うものだ。
 
「おめでとう、アンナ。私からもよろしくお願いします。どうぞこの国に尽くしてください」

 一方で皇妃は、自分の親友が出世したことがとにかく嬉しいようだ。声がいつもよりも明るく弾んでいる。
 これまでは皇帝の玉座ひとつしか置かれていなかったこの謁見の間に、皇妃の玉座が置かれるようになったのは最近になってのことである。
 それまでほとんど私室にこもりきりの盲目の皇妃だったが、ゼフィリアス帝の来訪をきっかけに、政治の表舞台に顔を出すことが増えていた。
 皇妃の存在を極力隠し続けてきたクロイス派は、彼女が突然積極的になった事を好意的には受け止めていない。しかしだからといって、その行動を大っぴらに制限するわけいかない。
 それが、アンナを中心とした皇妃派の台頭を印象付けてもいた。

 これまで絶対強者だったクロイス公の権勢に陰りが生じている。宮廷の中にそう考えるものが増え始めていた。

「ところで、君に役職を与えたい。有能な公爵を無役のまま遊ばせておくわけにはいかないと言うのが、閣僚たちの意見でな」

 来た。
 爵位の次は役職だ。大廊下でアンナにゴマを擦る貴族たちが言っていた通りだ。これまで無役だったアンナが、国家や帝室にとって有益な人間と認められたわけだ。

(ただし、それほど重要なポストではないでしょうね)

 最終的な人事権を持つのは皇帝だが、宰相クロイス公の意見を無視するわけにはいかない。
 黒幕の意を受けたマルムゼ=アルディスは、クロイス派と皇妃派を競わせようとしているらしい。とは言え、あからさまにアンナに肩入れをするような事は、流石にあのうすら笑いのホムンクルスでもやらないだろう。

(差し詰め、皇帝が宰相に歯向かう第1ラウンドと言ったところかしら。どんな役職で落ち着くのか、見ものね)

 自分の人事でありながら、アンナは他人ごとのように役職が申し渡されるのを待っていた。

「グレアン侯。君には、この職務を励んでほしい……」

 皇帝は丸めてリボンで結ばれた任命状を、アンナに差し出した。