気球での移動は、ことの他快調だった。
 徒歩ならば3〜4時間は要するであろう山越えがわずか10分ほどで済んでしまう。この調子で、10座ほどの山嶺を乗り越えた先に、サン・ジェルマンの工房はあるはずだ。

「なるほど、こういう仕組みになっているのか!!」
「ははあ! 素晴らしい! この発想はなかった!」
「そうきたか! これならば我々が課題としていた点も解消できる!」

 その間、シュルイーズ博士は終始興奮した様子で,気球を制御する装置の観察を続けていた。

「自然界に偏在する魔力を人の手で操る。長年、錬金術師たちが目指していた境地に、かの御仁はとっくに到達していたようですなぁ」
「それほどなのですか?」
「ええ、先ほどの新型砲もですが、この気球も我々が予想だにしていなかった仕掛けが満載です! 我々の工房では再現することすら難しい。悔しいですがね……」
「ならば、彼を止めることができれば、あの新型砲やこの気球も闇に葬ることが可能と言うことですね」
「まぁ……そういうことになりますな」

 シュルイーズは、いささか不満げな色を口調に忍ばせていた。確かに純粋な学者の目で見れば、これらの技術を葬ると言う発想は、受け入れ難いものなのだろう。
 新型砲は仕方ないにしても、この気球は残しても良いではないか。そんな事を、彼は視線でも訴えかけてきている。

 しかし、アンナの答えは(ノン)だ。

 確かにアンナも最初、この気球を見た時に人や物資の流れに革命を起こせると考えた。現在、"獅子の王国"をはじめ、世界各国の研究者が蒸気機関による鉄道の開発を進めている。運べる物資の量で言えば、圧倒的に鉄道の方が大きいが、速さでは圧倒的にこの気球の方が上だろう。使い方によっては、距離や時間の概念が変わってしまうほどの革新が起きるはずだ。
 が、この気球に備わっている迷彩装置を見て気が変わった。巨大な気球を、ホムンクルスの視力でないと視認できないほど、空に溶け込ませる技術。これが兵器に転用されれば、新型砲と同じくらい恐ろしい事態を引き起こすだろう。
 実際、今回の反乱で新型砲が大きな戦果をあげたのは、砲自体の性能もさることながら、この気球の迷彩による所も大きい。アンナはそう考えた。
 誰もこの気球を発見できなかったから、合計7回の戦いで多大な出血を強いられたのではないか。誰かが、空に溶け込む白い丸に気がついていれば、その前に事態を変えることができたのではないか。
 そしてさらに、見えない気球からの砲撃が可能となったら……そんな考えがよぎってしまう。

「ところで、これから向かうのはいわば敵の本拠地。我々3人で本当に乗り込めるのですか?」

 ゼーゲンが尋ねる。その疑問はもっともだった。
 3人の中で、戦闘の心得があるのはゼーゲンただ1人だ。つまり、彼女からしてみればたった1人で敵本拠に切り込むのも同然である。

「ゼーゲン殿、ご安心ください。私が異能の反転を使って読み取ったイメージによれば、工房の守備兵は皆無に等しいようです」
「皆無……!? まさかこれほどの重要施設にまったく防御がなされていないと?」
「いえ。あの新型砲が1門配備されています。人里離れた天険の地、おそらくそれだけで十分なのでしょう」

 軍隊が陸路で攻めようとするならば、深い森や絶壁といった天然の障壁が阻んでくれる。そこに、新型砲があれば兵がいなくても難攻不落の要塞が完成すると言うわけだ。
 深い山奥ゆえ、多くの兵士を駐屯させておくのが難しい、という事情もあるかもしれない。
 いずれにせよ空路を進むアンナたちにとっては好都合だった。

「この気球は、魔力による迷彩装置によって視認性も著しく下がってます。高度を下げて、山間を目立たぬように進めば、誰に阻まれることなく工房へ突入することができるはずです」
「そして、サン・ジェルマン伯を速やかに拘束。この気球で脱出するわけですね」
「ええ」

 アンナは頷く。

「サン・ジェルマン伯の居場所も分かりましたか?」
「はい、はっきりと。ですからこの作戦は十中八九成功するでしょう……」

 明るい展望の話をするには、アンナの言葉に憂いがあった。

「顧問殿?」

 別のこの作戦に不安があるわけではない。あの錬金術師から読み取った情報には、確信めいたものを感じる。異能を反転させるのは初めての試みではあったが、あのイメージが全くの虚像ということはないだろう。
 アンナが「見た」場所に、確実にサン・ジェルマンはいる。そして、気球で攻め込むのであれば、あそこほど容易に乗り込める場所もない。

(ただ……どうして彼はあんなところに……?)

 それが不思議だった。

 * * *