「そう、またアンナは来られないの……」
「申し訳ありません。私グリージュスが取り仕切るよう、顧問からは仰せつかっております」
「わかりました。女官長、あなたの差配ならきっと問題はないのでしょう」

 別用でアンナが舞踏会に出席できないと聞き、女帝マリアン=ルーヌは落胆した。先日の音楽会に続いて2回連続。それ以外にも、ここのところ彼女は宮廷の催しに参加しないことが増えている。
 もちろん、さぼっているわけでも自分を避けている訳でもないことは、マリアン=ルーヌも承知している。
「顧問」という従来の制度にない役職を新設したのは、彼女の才能のすべてを国政に活かすためだ。あらゆる場所におもむき、様々な人間と会わなくてはならない彼女を、こんな実のない舞踏会に縛り付けるのは、マリアン=ルーヌとしても本意ではない。

「陛下、ではそろそろ」

 頃合いを見計らい、グリージュスがマリアン=ルーヌに耳打ちした。彼女は小さく頷くと、手にしていた扇をたたみ、すっくと立ち上がる。

「皆様、お越しいただきありがとうございす」

 女帝の声が、高らかに響き渡る。一拍おいて、皆の拍手が大広間を満たす。

「今宵は、帝国の藩屏として日夜尽くして頂いている皆様へのささやかなねぎらいです。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」

 お定まりの文句をそらんじながら、マリアン=ルーヌは心の中で毒づく。

 何が、藩屏だ。
 誰が、尽くしているって?

 帝国の藩屏。つまり帝室を守護し盛り立てる者たち。
 確かにそれは、本来貴族たちに任された役割だ。たが、その役割に忠実であろうとする貴族がどれほどいる?
 職務に励むのはより良き国を作るためではなく、自分たちに利益を誘導するためだ。
 策謀を巡らすのは帝室を敵から守るためではなく、手にした権力を維持するためだ。

 本気で帝室と民のためにあろうとする貴族などほんの一握りしかいない。そして、その一握りの代表であるアンナは今この場にいない。
 私が本当に労いたいのはアンナただひとりなのに……。

「もっとも、アンナもこんな舞踏会で癒されることはないでしょうけど……」

 誰にも聞こえない大きさの声で、女帝はつぶやいた。

「今日は若い参加者が多いので、もう少しテンポの早い歌曲を、と楽団長に伝えて」

 挨拶が済んでしまえば、主催者である女帝の役目は終わったも同然だ。女官長が部下に指示する声と、楽団が奏でるワルツの調べを耳に入れながら、マリアン=ルーヌはぼんやりと椅子に腰掛けていた。

 目の見えないマリアン=ルーヌは踊ることはできない。ならばなぜ、舞踏会などを主催したかというと、それが"百合の帝国"皇帝の仕事だからという他ない。皇帝は貴族を労うために、こうした意味のない舞踏会や晩餐会を日常的に行う必要がある。それは今決まっているスケジュールだけでも、すでに年間の4分の1の占めている有様だった。
 本当ならこんな国庫の負担にしかならないような催しは、今すぐ全てやめにしたいが、アンナが貴族の支持を得るために、そうもいかない。

「デラリア伯夫人がお見えね。あの方は既婚の若い殿方を寝とる癖があるわ。陛下の催しで不名誉なことが起きないか見張っていなさい」
「逆に、ウィダリ子爵から若君に遊びを覚えさせたいと頼まれておいます。適切なご令嬢と一緒の時間を作らせるように」

 横から聞こえてくるグリージュスの指示はげんなりするものばかりである。下世話な人間関係に関するものがほとんど。よくもまあ、そんな情報をあちこちから仕入れてくるものだと感心してしまう。
 これもまた、ひとつの才なのかもしれないが、アンナはこんな指示を出したことはない。少なくともマリアン=ルーヌの聞こえないところでやるくらいの配慮を見せていた。

 マリアン=ルーヌは、意識的に女官長の声よりも楽団のワルツに聴き入るよう努める。
 踊れなかったとしても、一流の演奏を聴くことができる舞踏会はまだ救いがある。先日の音楽会同様、ただ聴き入っていればいい。
 目が見えない故の無作法を内心で笑われながら、聞きたくもない話に付き合わされ続ける晩餐会よりはいくらかまし……。

 そうでも思わないとやっていられない。

「陛下」

 不意に、グリージュスが声をかけてきた。一体なんだ? 私の役割は、閉幕の挨拶までないはずではないか。

「なんでしょう、女官長」
「陛下にご挨拶したいという方がいるのですが、よろしいでしょうか?」

 ちっともよくはない。何とかして女帝とのよしみを通じようとする者が、どんな催しでも必ず現れる。
 没落した貴族、成り上がりの新興商人、怪しげな外国人貴族、そんな手合いたちだ。女帝の寵愛を受ければ、大貴族の仲間入りができる可能性がある、そんな夢を見てマリアン=ルーヌに近づくのだ。

「あいにくですが、そういったものは全て断っています。正式な手続きを踏み、日中に謁見を申し出てください」

 それが、彼女がアンナとともに取り決めたルールだ。女官長もそれを知らないはずがないのに、なぜこんな事を言ってくるのか?

「ですが、どうしてもとの希望でして……」

 グリージュスの言葉に、マリアン=ルーヌは苛立つ。そんな希望をいちいち叶えていたら、女帝が開くすべての催しが謁見の場となってしまう。この女はそんなこともわからないのか?

「申し訳ありませんが、気分がすぐれません。私はしばらく、奥の間で休みたく……」
「陛下……!」

 適当な理由をつけて中座しようと思った時だった。

「いやグリージュス女官長、確かに私が無礼でした。ご容赦を」

 男性の、そんな言葉が聞こえたかと思うと。真っ暗だったマリアン=ルーヌの視界に眩い光が飛び込んできた。

「……え?」

 いや、それを「光」と呼んでいいのかもわからない。確かにそのように知覚したが、盲目である彼女はそもそも光を感じることができない。

「後日、しかるべき手続きのもと、改めて参内いたしますので……」
「待って!」

 思わず、立ち上がってしまった。声の主の姿は分かろうはずもない、がまばゆい「光」を放つ者が目の前にいる。
 これと似た「光」を放つ者をマリアン=ルーヌは知っている。アンナ、マルムゼ、それにリアン大公ら帝室の面々と、アルディス3世を騙っていた不届者……。いずれも、超常の力である魔法や、その復活を目指す錬金術に関わりのある者だ。

「……陛下?」

 グリージュスの怪訝そうな声。

「あ……えっと……そちらの方は一体どなたでしょう?」
「不躾ながら、お初にお目にかかります。私、ハリウス・アキシウ・ダ・フォーリスと申します。"白夜の国"の軍人です」

「光」の放つ者は、女帝に自己紹介する。とても穏やかな口調であった。

「"白夜の国"の……?」
「はい。先日より征竜騎士団に入隊し、陛下にお仕えさせていただいております!」

 征竜騎士団とは、その名が示す通りリュディス1世の竜退治を起源とする、この国の精鋭部隊だ。徴兵された平民からなる他の部隊と違い、外国人の入隊も認められている。

「そうですか。それは結構なことです。しかし、なぜ私に目通りを望んだのでしょう?」
「はっ。おそれ多くも、あなた様に恋をしたからであります、陛下!」
「なっ!?」

 想像もしていなかった言葉を、「光」の主である異国の男は口にした。