カスカダ曰く、数百年溜め込んだ体内の悪い血は、抜いてもなかなか無くならぬそうだ。
あの針を刺される瞬間は不快だが、定期的に血を抜かれる感覚に慣れると、老廃物を搾り出す快感を覚えるようになった。それに、抜き終えた後はすこぶる快調だ。
「次は東の街に行きましょう。
疫病が流行していると風の噂で聞きました。」
私とカスカダが連れ立って旅をするようになったのは自然な流れだった。
カスカダは旅の医師。一箇所にずっと留まってはいない。病人の噂を聞けば奴は導かれるままに次の街へと移っていく。
私も、奴に血を抜いてもらわぬと力が有り余って体が苦しくなる。
となれば私がカスカダと行動するのは必然だ。
「貴方は変わりましたね。
この30年とても大人しい。
初めて会った時、街を壊滅させていたのが嘘のようです。」
一日の終わりに奴の採血針で血を抜く。
その際取り止めもない話をする。
【私達は好きで暴れるわけではない。
逆にお前は変わらないな。
毎日毎日、病人怪我人を探して放浪する酔狂な奴だ。】
「俺は医師ですよ。
医師が人の命を救うのは当然です。」
【ではその血をくれてやる私は何だ?私も医師か?】
カスカダは首を横に振る。
「いいえ、貴方は血を提供してくれるドナーです。」
私は奴の答えに、正直少し落胆した。
【なんだ。お前は所詮、私を都合の良い血の汲み場くらいにしか考えていないのか。】
「あれ?困ったな、なぜ拗ねるんです?
助かっているんですよ俺は。」
私がどんな答えを求めていたのか。
後になって思えば、私は奴と「同じ」だと言われたかったのだ。
奴の信念に共感したわけではない。未だに人間の生き死にはどうでもいい。
ではなぜ、人間のカスカダの返答一つ一つに、これほど腹がむかつくのだろう。
【おい、お前。やはりまだ悪い血が残っているようだ。今日は多めに抜け。】
「これ以上は逆に具合が悪くなりますよ?」
いつも嬉々として血を抜くカスカダが、初めて戸惑いを見せる。
そうか、あまり体から抜き過ぎても良くないのか。血は生命力そのものだから。
【いいのだ。早くせよ。】
それでも私は、今夜ばかりは構わないと思った。
「………分かりました。
では、少しだけ。」
早くいつものように楽な体になりたかった。
*
東の街が見えると、カスカダは私を街外れの洞窟の中へ押しやった。
毎度のことだ。私が人前に姿を現すと、皆必要以上に怯えて逃げ惑う。すると新たな怪我人が出たり、不要な争いが生まれるのだと。
洞窟の中でじっと丸くなり、奴の帰りを待つ時間はひどく退屈だった。
奴を置いてどこか遠くに消えたりはしなかった。理由は無論、奴でなければ悪い血は抜けないからだ。
【しかし。】
あれから体の痛みはすっかり消えた。
奴が毎夜少量ずつ悪い血を抜いてくれるおかげで、ここ30年は快調だ。
例え今、奴を置き去りにしたとて、向こう数十年はこの心地良さが続くかも。人間に毎日毎日律儀に付いて回る必要もない。どこか遠くに飛び去って、もしまた調子が悪くなったら、再びカスカダを捜して血を抜かせればいい。
【…でも。】
私が突然いなくなったら、奴はどう思うだろう。
少しは悲しむだろうか。
勝手に居なくなるとは…と怒るだろうか。
案外、何とも思わないだろうか。
仕方がないことと割り切って、次の竜を探すのだろうか。
…それは、なんだか無性に腹が痛くなってくる。
やはり私の体には悪い血が溜まっているらしい。ここ数年は特におかしいのだ。
【…やはり、奴に抜いてもらわねば。】
だから、置き去りにするのはまだ当分先。
私が今日もそんなことを洞窟の中で考えていると、やがてカスカダは戻ってきた。
街の病人や怪我人達を救った後は、とても満ち足りた顔をして戻って来る。奴は顔に出やすい。
「お待たせしました。
次の街へ行きましょう。」
【ああ。】
小さなカスカダは、無骨な杖をついて歩き出す。
大きな黒竜は、そんな人間の後を律儀に付いて回る。
私は30年、奴と旅を共にする中で、奴の小さな変化によく気づくようになった。
奴は基本的に変わらない男だが、心の動きは頻繁に変化する。
今も。顔は穏やかだが、内なる焦りや怒りが、素早い足取りや杖を打ちつける音として表に出ている。
【お前、なぜそんなに気が立っているのだ?】
私の問いに、カスカダは意表をつかれた顔をする。
「分かってしまいますか。
…次に行く街。そこでは、竜による大規模な被害がありまして。
怪我人や、死者も夥しい数だそうです。」
私ではない、他の竜による暴走。
体に悪い血が溜まったことによる、自分では抑えられない衝動。
その事実をカスカダはよく分かっているはずだ。その上で奴は、胸中で静かに怒りを燃やしている。
「分かっています。すべては強すぎる生命力ゆえ。悪い血がそうさせる。
貴方達もしたくて暴れるわけではない。人を傷つけたいわけじゃない。
分かっています。」
カスカダはただ、その被災地へ行きたい一心だ。医師である奴にできるのは、まだ命のある者を救うこと。竜の血を使って。
【お前にはその杖がある。
それを使って、荒ぶる竜を鎮めればいい。
私の時と同じように。】
おかげで私はもう30年も大人しい。
効果はあるのだ。
【お前の家は代々医師だと言ったな。
ならば親兄弟や他の親族にも、同じ道具を持たせ、同じことをさせればいいのだ。】
カスカダ一人では限界があろう。
それなら、同じ志を持つ者達で結束すれば話は早い。
人間は竜族より遥かに数が多い。我らと違い繁殖もできる。
私には、彼らならそれが叶うという確信があった。
「そうですね。もし俺と同じ仲間がいれば、これほど心強いことはありませんね。」
カスカダは笑っていたが、その言葉が本心から来るものかは分からない。
あの針を刺される瞬間は不快だが、定期的に血を抜かれる感覚に慣れると、老廃物を搾り出す快感を覚えるようになった。それに、抜き終えた後はすこぶる快調だ。
「次は東の街に行きましょう。
疫病が流行していると風の噂で聞きました。」
私とカスカダが連れ立って旅をするようになったのは自然な流れだった。
カスカダは旅の医師。一箇所にずっと留まってはいない。病人の噂を聞けば奴は導かれるままに次の街へと移っていく。
私も、奴に血を抜いてもらわぬと力が有り余って体が苦しくなる。
となれば私がカスカダと行動するのは必然だ。
「貴方は変わりましたね。
この30年とても大人しい。
初めて会った時、街を壊滅させていたのが嘘のようです。」
一日の終わりに奴の採血針で血を抜く。
その際取り止めもない話をする。
【私達は好きで暴れるわけではない。
逆にお前は変わらないな。
毎日毎日、病人怪我人を探して放浪する酔狂な奴だ。】
「俺は医師ですよ。
医師が人の命を救うのは当然です。」
【ではその血をくれてやる私は何だ?私も医師か?】
カスカダは首を横に振る。
「いいえ、貴方は血を提供してくれるドナーです。」
私は奴の答えに、正直少し落胆した。
【なんだ。お前は所詮、私を都合の良い血の汲み場くらいにしか考えていないのか。】
「あれ?困ったな、なぜ拗ねるんです?
助かっているんですよ俺は。」
私がどんな答えを求めていたのか。
後になって思えば、私は奴と「同じ」だと言われたかったのだ。
奴の信念に共感したわけではない。未だに人間の生き死にはどうでもいい。
ではなぜ、人間のカスカダの返答一つ一つに、これほど腹がむかつくのだろう。
【おい、お前。やはりまだ悪い血が残っているようだ。今日は多めに抜け。】
「これ以上は逆に具合が悪くなりますよ?」
いつも嬉々として血を抜くカスカダが、初めて戸惑いを見せる。
そうか、あまり体から抜き過ぎても良くないのか。血は生命力そのものだから。
【いいのだ。早くせよ。】
それでも私は、今夜ばかりは構わないと思った。
「………分かりました。
では、少しだけ。」
早くいつものように楽な体になりたかった。
*
東の街が見えると、カスカダは私を街外れの洞窟の中へ押しやった。
毎度のことだ。私が人前に姿を現すと、皆必要以上に怯えて逃げ惑う。すると新たな怪我人が出たり、不要な争いが生まれるのだと。
洞窟の中でじっと丸くなり、奴の帰りを待つ時間はひどく退屈だった。
奴を置いてどこか遠くに消えたりはしなかった。理由は無論、奴でなければ悪い血は抜けないからだ。
【しかし。】
あれから体の痛みはすっかり消えた。
奴が毎夜少量ずつ悪い血を抜いてくれるおかげで、ここ30年は快調だ。
例え今、奴を置き去りにしたとて、向こう数十年はこの心地良さが続くかも。人間に毎日毎日律儀に付いて回る必要もない。どこか遠くに飛び去って、もしまた調子が悪くなったら、再びカスカダを捜して血を抜かせればいい。
【…でも。】
私が突然いなくなったら、奴はどう思うだろう。
少しは悲しむだろうか。
勝手に居なくなるとは…と怒るだろうか。
案外、何とも思わないだろうか。
仕方がないことと割り切って、次の竜を探すのだろうか。
…それは、なんだか無性に腹が痛くなってくる。
やはり私の体には悪い血が溜まっているらしい。ここ数年は特におかしいのだ。
【…やはり、奴に抜いてもらわねば。】
だから、置き去りにするのはまだ当分先。
私が今日もそんなことを洞窟の中で考えていると、やがてカスカダは戻ってきた。
街の病人や怪我人達を救った後は、とても満ち足りた顔をして戻って来る。奴は顔に出やすい。
「お待たせしました。
次の街へ行きましょう。」
【ああ。】
小さなカスカダは、無骨な杖をついて歩き出す。
大きな黒竜は、そんな人間の後を律儀に付いて回る。
私は30年、奴と旅を共にする中で、奴の小さな変化によく気づくようになった。
奴は基本的に変わらない男だが、心の動きは頻繁に変化する。
今も。顔は穏やかだが、内なる焦りや怒りが、素早い足取りや杖を打ちつける音として表に出ている。
【お前、なぜそんなに気が立っているのだ?】
私の問いに、カスカダは意表をつかれた顔をする。
「分かってしまいますか。
…次に行く街。そこでは、竜による大規模な被害がありまして。
怪我人や、死者も夥しい数だそうです。」
私ではない、他の竜による暴走。
体に悪い血が溜まったことによる、自分では抑えられない衝動。
その事実をカスカダはよく分かっているはずだ。その上で奴は、胸中で静かに怒りを燃やしている。
「分かっています。すべては強すぎる生命力ゆえ。悪い血がそうさせる。
貴方達もしたくて暴れるわけではない。人を傷つけたいわけじゃない。
分かっています。」
カスカダはただ、その被災地へ行きたい一心だ。医師である奴にできるのは、まだ命のある者を救うこと。竜の血を使って。
【お前にはその杖がある。
それを使って、荒ぶる竜を鎮めればいい。
私の時と同じように。】
おかげで私はもう30年も大人しい。
効果はあるのだ。
【お前の家は代々医師だと言ったな。
ならば親兄弟や他の親族にも、同じ道具を持たせ、同じことをさせればいいのだ。】
カスカダ一人では限界があろう。
それなら、同じ志を持つ者達で結束すれば話は早い。
人間は竜族より遥かに数が多い。我らと違い繁殖もできる。
私には、彼らならそれが叶うという確信があった。
「そうですね。もし俺と同じ仲間がいれば、これほど心強いことはありませんね。」
カスカダは笑っていたが、その言葉が本心から来るものかは分からない。