私の体に流れる力は、いずれ私自身を滅ぼすだろう。


竜という種族は、この世界では貴重で希少だ。
体を覆う硬い外殻は火も刃も通さない。一対の羽で大空を飛び回り、頑丈な尾は全てを薙ぎ倒し、長く鋭い爪と牙は全てを砕く。

私達は生殖を行わない唯一無二。それを補うように、私達の体には優れた生命力が宿り、永遠とも呼べる寿命が備わっていた。その神秘性は畏れの対象であり、私達を傷つける者はいなかった。

平穏で変化のない日々。
しかし本当の敵は外ではなく内にいた。

竜に備わった生命力は体の中でどんどん強まり、やがて肉体を蝕む毒となるのだ。
何とか力を発散すべく、私は他の竜と同じように大地の上を暴れ回った。生き物の棲み家を踏み潰すこともあった。

全身から血の雨を降らし、それでも体に溜まった力を使い果たせず、私は痛みに苦しみ途方に暮れた。



ある日“街の上を転げ回り居着いてしまった竜”の噂を聞きつけた旅人の男が一人、私の元を訪ねた。

「初めまして。俺はカスカダといいます。
貴方が噂の黒竜ですか。」

旅人の体を覆い隠す黒い衣服は、後ろ暗い生い立ちを世間から隠すためのものだと言う。
私も同じ黒色の体であるから、妙に親近感を覚えたものだ。

奴の荷物は見たところ、黒象牙(くろぞうげ)らしき素材を削り出した一本の杖のみ。山歩きの杖にしては物々しい雰囲気だ。

「…なるほど。
では貴方の体に宿る力を何とかできれば、これ以上街を破壊せずに済むのですね?」

奴は意外にも親身に、私の話を聞いた。まさか人間と言葉が通じるとは。

【ああ。自分ではどうすることもできんのだ。体中が痛痒くて仕方がない。】

小さな人間に何かできるはずもない。さして期待しなかったが、奴には心当たりがあるらしい。

「俺の家は代々医師でして。
体の中の悪い物を取り除く方法なら知ってます。」

【何?竜でもか?】

奴は携えていた杖を見せる。
繊細な竜が彫刻されたそれは、一見するとただの杖だが、実際は石突に仕掛けがあった。
奴が杖で石畳を打つと、杖の石突から鋭い針のような物が現れた。

【武器か!騙したな!】

思わず身構える。
だが奴は、私の反応が予想通りと言うように、クスクスと笑っている。

「医師だと言ったでしょう?
これは貴方のような、体の大きな者に使うための特注のサイケツシンです。」

聞き慣れない言葉だ。
私は顔を顰め、人間を睨む。牙を剥き出しにするのは、“お前などいつでも一飲みにできる”という脅しだ。

【それは何だ?私に何をするのだ?】

採血針(さいけつしん)です。血を抜くのです。
貴方のような強い竜の血は、体内に留まり続けると体を蝕んでしまうというではないですか。
定期的に古い血を抜いたほうが、体の代謝も良くなりますよ。」

この体の荒ぶりを、体内で湧き立つ血を直接抜いて鎮めようとは、考えたことがなかった。
そもそも私には技術が無い。こういう時のために、小さくて手先の器用な人間がいるのだろう。

【…しかし、信用ならん。
人の良さそうな顔をして、私に毒でも盛るかもしれん。】

「そんなことしませんよ。
俺は今まで多くの人の怪我や病気を治してきました。
信用してもらわないと、貴方はいつまでも苦しいまま。占拠された街の住民も悲しむままです。」

【しかし…。】

奴の手にした杖から伸びる、鋭い針。
明らかに人間用ではない極太の針が、自分の体に突き刺さる…どのような感覚なのだろう。

「大丈夫です。初めはチクッとしますが、すぐに終わりますから。恐いと思うけど、頑張りましょう。」

奴の聞き捨てならない言葉に、私は怒り狂う。

【恐いものか!!私は竜だぞ!
街どころか、国ひとつ簡単に壊せるのだ!
そんな針一本、脅威でも何でもない!】

力を見せつけるように尾を振り回して暴れるが、奴はちょろちょろと逃げ回る。手先だけでなく逃げ足まで器用とは腹立たしい。

「そんなに強いなら、多少血を抜かれても大した怪我ではないでしょう?」

黒衣の隙間から、奴はニンマリとした。
私を少しも恐れない。こんな人間は初めてだ。

奴の口車に乗るわけではないが、これまで何をしても体の痛みは晴れなかった。
物は試し。もし何の解決にもならなかったら、その時は改めてこの男に仕返しすればいい。

【良いだろう。早く済ませよ。
ただし妙な真似はするな。】

「ありがとうございます。
大丈夫。俺はプロですよ。」


奴は手にした巨大な採血針を、私の前足の爪の隙間に突き刺した。
確かに一瞬チクッとした痛み。だが体を蝕む力の痛みに比べれば、大したことはない。

やがて、妙な感覚に襲われた。
全身を流れていた痛みの波が、針を刺された一点に集まっていく。
同時に、私の体の一部が奪われていくような、言いようのない不安感。体に直接何かが繋がっている感覚は未曾有の体験だ。
私の不安に気づいたのか、奴は幼子に向けるような笑顔を作る。

「だんだん痛みが和らいできたでしょう?」

奴の言う通り、長年私の体を苦しめていた痛みや、熱や、不快感などが、綺麗さっぱり無くなっていることに気づいた。

【本当だ!お前、何をした?】

「言ったでしょう。悪い血を抜いて、この杖の中に封印したんです。」

奴は力を込めて、私の体から針を引き抜く。
傷口から、名残である赤黒い血がどろりと溢れたが、私が舐めれば傷も立ち所に塞がった。

杖が熱を持ったように淡く光っている。なるほど、ただの象牙の置き物ではなく、まじないが込められた代物のようだ。

「さあ、終わりました。頑張りましたね。」

【驚くほど体が軽くなった。
…お前本当にただの医師か?】

羽を限界まで伸ばしても、爪で地面を掻いても全く痛くない。むしろ初めての清々しさだ。
それが人間の手による結果だというのが、私の高揚感をさらに煽った。

「良かった。
でもまだ体内に少し、悪い血が残っていますから。
また明日残りを抜きましょう。」

【そうか、分かった。
しかしその杖は何なのだ?
竜の血を蓄えて形を保っていられるとは。】

物理的に不可解だ。
明らかに吸い上げた血の量は収まりそうに見えないのに。

「代々伝わる特別な道具ですから。
俺も仕組みまでは分かっていません。
ただ好きなだけ血を蓄えられ、好きなだけ取り出すことができます。」

人間の作る道具でそんな芸当ができるとは信じ難い。
しかし結果的に私はいたく満足した。体が軽い。まるで若返った思いだ。

【私の血をどうする気だ?】

これは純粋に気になった疑問だ。
私にとっては体を蝕む不要物。人間に扱いきれる物ではない。何せ、竜を苦しめるほどの生命力が宿っているのだ。

「そうですね。協力してくれた貴方には説明しないと。
これは、怪我や病気の人々の献血に当てられます。」

【献血?】

意味は知っている。
しかし自分には最も縁遠い行為だ。

【私の血を、人間の治療に使うのか?
どうなるのだ?】

これも純粋な疑問だった。
私は、人間を見下しているわけではない。ただ自分とは交わることのない存在だと割り切っていた。
それに、あんなに小さな生き物に竜族の血を与えたらどんな変化が起こるのか想像がつかなかった。

「貴方達の血は生命力の塊です。
ごく少量なら、死にかけた人間の治癒に絶大な効果を発揮するのです。
失血した者には、竜血一滴で人間一人分の献血に相当します。
不治の病を患った者には、体の免疫系を活性化し病の元を消滅させます。」

私は驚いた。破壊の権化である竜に、そのような側面があったとは。

「貴方達は循環器のようなものかも。
荒ぶり人々の命を奪っても、その血で多くの命が救われる。
そんな、命の循環器の役割があるのかもしれません。」

そんな役割が本当にあるとするなら、私達を作ったもっと大いなる存在の思惑か。

「貴方の不要な血を、今後も俺にくれませんか?
貴方の代わりに、俺が貴方の血の良い使い道を探します。」

私は、自分が何のために生まれたのかは知らないが、自分がどのように生きていくかは、意思のままに決められる。
私達を作った存在が、もし私達を破壊のために遣わしたのだとしたら、私は唯一それに逆行できる。

それには、どうやらこの男が必要らしい。
男と、この不可思議な杖が。

【私は人間の生き死にに興味が無い。
だが、体が痛痒いのはもうたくさんだ。】

「はい。」

【だから、血はお前にやる。
私が持っていても仕方がない。】

私の答えに気を良くしたのか。
奴の顔が、幼子に向けるようなものから、心から安堵したような笑みに変わった。

「ありがとうございます。
これからどうかよろしく。」

【馴れ合うのは嫌いだ。
勝手に抜いて勝手に使え。】

こうして私は、旅の医師カスカダと「血の提供者」と「献血医」という奇妙な協力関係を結んだ。