夕方少し前。結城から連絡が来て、僕は駅まで向かった。
「わざわざ迎えに来るなんて、深沢は俺のことをどれだけ好きなんだよ」
ケタケタと満更でもなく笑う結城に、自惚れ過ぎだと僕も笑った。
「健さんのところで、モールを買って帰ろうと思うんだ」
商店街に足を向けると、結城が不満そうに口を尖らせた。
「は? これから飲みに行くっていうのに、モールなんか持って歩いたら邪魔だろう」
どうやら、このまま居酒屋へと流れる算段らしい。マシロのことは気にかかるが、今はケージの中にいるわけだし、モールを買って一旦家に戻るのも許されないようで、明日に持ち越すことにした。
結城はこの町のことをあれこれリサーチしてきたのか、まるで地元かと思えるくらいのしっかりとした足取りで僕の半歩前を行く。駅の裏手にある少し栄えた通りを行くと、飲み屋街になっていた。
こんな雰囲気の場所があることなんて知らなかった。実は秘かに、結城はこの辺りに住んでいるんじゃないだろうか。
「ここだ」
連れて行かれたのは、チェーン店にありそうな店構えではあるが、中に入ると明らかに個人経営だとわかる地元に愛されているような居酒屋だった。
好きな席にと言われ店内を見渡すと、奥の席でポツンと一人、僕たちと同じ年齢くらいの女性が座っているテーブルが目についた。一人で晩酌するようなタイプではない。どこか物静かな雰囲気の女性だ。肩より少し伸びた髪の毛をそっと耳にかける仕草は、学生で言えば文芸部寄りの大人しい雰囲気を醸し出している。
一人でいる女性をチラリと見たあとに、僕が近くのテーブル席の椅子に手を伸ばすと、結城はスタスタと彼女の座る席へと近づいていった。
「こんばんは。一人ですか? 一緒してもいいですか?」
ニコニコと屈託のない笑みで人懐っこく話しかけると、女性がいいとも悪いとも言う前に結城はそのテーブルの椅子を引いた。
「おいっ、ちょっ、結城」
なんの躊躇いもなくいきなり馴れ馴れしく席に着こうとする結城を止めようとした矢先、背後から少し険のある聞き慣れた声がした。
「二人ですけど、何か?」
かけられた声に振り向くと、なんと梶さんがいた。あまりのことに驚いて飲み込んだ唾が気管に入り咳き込んでしまう。
「ちょっと、大丈夫?」
ケホケホと咳き込む僕を見て、梶さんが呆れながらも心配する声をかけてきた。
「あれ。君は、雑貨屋の」
驚きながら梶さんに向かって指をさす結城を見て、彼女は眉間にしわを寄せる。
この表情は危険だ。怒らせないうちに退散した方がいい。
僕の中にあるエマージェンシーコールが危険を察知し、結城の服を掴んでテーブルから離す。
「深沢、引っ張るなって」
「いいから。向こうの空いてる席に行こう」
それでなくても梶さんが持つ僕への印象はよくないというのに、これ以上悪くしないでくれ。
「いいですよ」
眉間にしわを寄せる梶さんと、諦めずにこのテーブルにへばり付こうとする結城。そして、それを引き留める僕たちの間を縫って、先程から黙ってテーブルに着いていた女性がサラリと嫌味なく快諾した。
予想外の返答に驚いた僕たち三人が、一様に目を見開いき彼女を凝視したのは言うまでもない。まさかの相席に、梶さんを怒らせないように注意しなくてはという思いと、一緒に飲めるなんてという嬉しさが交錯する。
相席を許可してくれた女性は、名前を石川園子といい。梶さんの中学からの同級生だという。
「いつも早苗がお世話になっています」
少しばかり冗談交じりで軽い会釈をする石川さんに、世話をしてるのはこっちだからとツンとした表情をしながらもメニューを開く梶さんは、いつもの雰囲気よりも柔らかさがあった。きっと、長年付き合いのある友達と一緒だからだろう。
聞くところによると、OLの石川さんとはなかなか時間も取れずいたところ、久しぶりの連休で逢えることになり、ここで飲むことになったらしい。
僕たちのことも自己紹介したあと、ビールが届いて兎に角乾杯をした。
「早苗とは、どういうお知り合いですか?」
見た目の大人しさとは対照的に、石川さんは次々と僕たちに質問をしてくる。おでん屋のみっちゃんとまではいかないけれど興味津々の表情だ。一見した時は文芸部寄りだと思ったけれど、これは広報部といったところか。学内新聞の記事集めに、油断なく目を光らせている。そんな雰囲気だ。
「お店のお客よ」
僕たちよりも先に応えた梶さんは、ジントニックをクッと喉に流し込む。バーに居たら、ロマンスグレーのイケオジにナンパでもされそうな、スタイリッシュな雰囲気を醸し出していた。
「でも、早苗を見ていると、ただのお客さんって感じはしないけど」
探りを入れるようにしてニヤニヤとする石川さんに、余計なことはいいからと慌てる姿は、いつもきつい表情や言葉ばかりの梶さんらしくなくて可愛らしい。
「あの雑貨屋って、早苗ちゃんの店なんでしょ。スゲーよな」
会ってすぐに下の名前で、しかもちゃん付けする結城に感心しながらも、梶さんが馴れ馴れしいと怒りだしたりしないかハラハラした。
「別に、私の店ってわけじゃないし」
しかし、梶さんは、そんなこと少しも気にはしなかった。ちゃん付けはともかくとして、僕も下の名前で呼びたい。などと思ったが、怒りを買わないのは結城だからこそだろうとやめておく。
梶さんの返答に、ん? という顔をした結城に向かって、心得ていますと石川さんが説明をしてくれた。
石川さんによると。昼間に会ったイケてるモデル風のお兄さんが経営している雑貨屋は、元々お兄さんが立ち上げたという。
元々、梶さんのお兄さんがポーランド雑貨屋を始めるきっかけとなったのは、ポーランドから輸入家具を仕入れている叔母さんから、大学卒業を目途に雑貨屋を開かないかと持ち掛けられたところから始まっているという。
初めの数年は、もちろんお兄さんがオーナーを務め経営に携わっていのだけれど。勉強がてらポーランドに居る叔母さんの手伝いをすることになり、妹の梶さんに白羽の矢が立ったのだ。梶さんは、大学を卒業と同時に店の引継ぎをし、経営を委託されて今に至るというわけだ。
今回。日本独特のゴールデンウィークを考慮した叔母さんが、梶さんにも長いお休みを与えるべくお兄さんを一時帰国させてくれて、梶さんは今日から休みを満喫しているというわけだ。
「なんにしても、店を切り盛りしているには変わりないし。その若さでスゲーよ。なっ、深沢」
結城から急に振られた僕は、慌ててコクコクと頷きを返したら、石川さんが可笑しそうに笑い、梶さんが本当にそう思ってるのかというような猜疑心丸出しの目で見てきた。
「てかさ。前行った時から思ってたんだけど。あの店の名前、なんて読むの?」
結城が梶さんに訊いた。
確かに、一度SAKURAの店員さんが教えてくれたけれど、あまりに馴染みのない言葉に覚えることができないままだった。
肩を竦める結城に同意するようにして、僕は梶さんを見る。
「Uzdrowiony」
早口で言った梶さんは、石川さんにちゃんと教えてあげなさいとばかりに目配せされて、諦めたようにゆっくりと店名を口にしてくれた。
「ウズドリョビョウネよ。ポーランド語で癒されるっていう意味」
そう。癒されるだ。SAKURAの店員さんにぴったりだと考えたことを思い出した。
「わかってると思うけど、兄が考えた名前えよ」
梶さんから癒しという単語が生まれる確率は低そうだから、それはそうだろうと納得した。
「何か言いたそうね」
僕の表情から心の裡を読み取ったのか、梶さんが不服そうな顔をする。慌てて何もそんなことはと否定する僕を見て、石川さんが助け舟を出してくれた。
「ほら、早苗。そういうところ。抑えて、抑えて」
優しく咎めるようにした石川さんに梶さんが、ヤレヤレというように息を吐きジントニックを口にした。
石川さんからは、梶さんの学生時代の話も入手した。このルックスだからとてもモテテいたという。高校の時は何人もの男子に告白をされて、誰と付き合うことになるのかと注目の的だったらしい。結局、梶さんが付き合ったのは、いたって平凡な、目立たない隣のクラスの男子生徒だったらしいのだけれど。二年生から高校を卒業するまで一緒だったという。好きになったら一途なんだと、石川さんが梶さんをからかった。
結城は、男の趣味が平凡だったという梶さんの恋愛遍歴を聞き、お前にもチャンスがあるなと耳元で囁いた。残念ではなく、平凡に格上げになったようだ。
大学ではお兄さんの影響もあってか、経営学を専攻していたようだ。卒業旅行では、叔母さんのいるポーランドにも行っているらしい。
「ポーランドってどんなとこ?」
結城が枝豆に手を伸ばしながら訊ねた。名前を一度失ったことのある国だというのは知っているけれど、行った人にしかわからないような話を聞きたい。
「とても素敵な国だった。日常にはいつもクラシックが寄り添っていて。スープ系の料理が多いから、日本人の口にも合うと思ったわ。元々食器や雑貨の類は好きだったから、ポーリッシュポタリーを求めて巡り歩いた時は幸せだった。あちこちでやってる蚤の市で、-掘り出し物を見つけられた時は、本当に嬉しくって」
その時のことを思い出しているのか、梶さんの表情は恍惚としている。
「ポーリッシュポタリーってなんだ?」
梶さんは疑問を口にした結城に「先日お買い求めいただいた食器のことです」とわざと営業モードで返し、次回もお買い上げよろしくと笑った。抜かりがない。
「町並みも素敵よ。旧ヴァヴェル城王宮にヴァヴェル城大聖堂。その丘から眺めるヴィスワ川。シュチュパンスキ広場にあるカフェは、日本人の若い子が好みそうな木目を基調とした店内の造りで、ガラス越しに陽の光がいっぱい入ってきて居心地がいいの。私は朝食を食べに行ったけど、昼間に覗いた時はゆったりとした雰囲気がよかったわ。手作りのジャムがとても美味しくて、食べすぎちゃった」
話ながら微笑む顔がとてもチャーミングで、僕の目は釘付けになっていく。
梶さんは、その後もポーランドについて色々話してくれたけれど、どんなに話しても話し足りないというのが解るほど、生き生きとした口調で終始笑顔だった。
「わざわざ迎えに来るなんて、深沢は俺のことをどれだけ好きなんだよ」
ケタケタと満更でもなく笑う結城に、自惚れ過ぎだと僕も笑った。
「健さんのところで、モールを買って帰ろうと思うんだ」
商店街に足を向けると、結城が不満そうに口を尖らせた。
「は? これから飲みに行くっていうのに、モールなんか持って歩いたら邪魔だろう」
どうやら、このまま居酒屋へと流れる算段らしい。マシロのことは気にかかるが、今はケージの中にいるわけだし、モールを買って一旦家に戻るのも許されないようで、明日に持ち越すことにした。
結城はこの町のことをあれこれリサーチしてきたのか、まるで地元かと思えるくらいのしっかりとした足取りで僕の半歩前を行く。駅の裏手にある少し栄えた通りを行くと、飲み屋街になっていた。
こんな雰囲気の場所があることなんて知らなかった。実は秘かに、結城はこの辺りに住んでいるんじゃないだろうか。
「ここだ」
連れて行かれたのは、チェーン店にありそうな店構えではあるが、中に入ると明らかに個人経営だとわかる地元に愛されているような居酒屋だった。
好きな席にと言われ店内を見渡すと、奥の席でポツンと一人、僕たちと同じ年齢くらいの女性が座っているテーブルが目についた。一人で晩酌するようなタイプではない。どこか物静かな雰囲気の女性だ。肩より少し伸びた髪の毛をそっと耳にかける仕草は、学生で言えば文芸部寄りの大人しい雰囲気を醸し出している。
一人でいる女性をチラリと見たあとに、僕が近くのテーブル席の椅子に手を伸ばすと、結城はスタスタと彼女の座る席へと近づいていった。
「こんばんは。一人ですか? 一緒してもいいですか?」
ニコニコと屈託のない笑みで人懐っこく話しかけると、女性がいいとも悪いとも言う前に結城はそのテーブルの椅子を引いた。
「おいっ、ちょっ、結城」
なんの躊躇いもなくいきなり馴れ馴れしく席に着こうとする結城を止めようとした矢先、背後から少し険のある聞き慣れた声がした。
「二人ですけど、何か?」
かけられた声に振り向くと、なんと梶さんがいた。あまりのことに驚いて飲み込んだ唾が気管に入り咳き込んでしまう。
「ちょっと、大丈夫?」
ケホケホと咳き込む僕を見て、梶さんが呆れながらも心配する声をかけてきた。
「あれ。君は、雑貨屋の」
驚きながら梶さんに向かって指をさす結城を見て、彼女は眉間にしわを寄せる。
この表情は危険だ。怒らせないうちに退散した方がいい。
僕の中にあるエマージェンシーコールが危険を察知し、結城の服を掴んでテーブルから離す。
「深沢、引っ張るなって」
「いいから。向こうの空いてる席に行こう」
それでなくても梶さんが持つ僕への印象はよくないというのに、これ以上悪くしないでくれ。
「いいですよ」
眉間にしわを寄せる梶さんと、諦めずにこのテーブルにへばり付こうとする結城。そして、それを引き留める僕たちの間を縫って、先程から黙ってテーブルに着いていた女性がサラリと嫌味なく快諾した。
予想外の返答に驚いた僕たち三人が、一様に目を見開いき彼女を凝視したのは言うまでもない。まさかの相席に、梶さんを怒らせないように注意しなくてはという思いと、一緒に飲めるなんてという嬉しさが交錯する。
相席を許可してくれた女性は、名前を石川園子といい。梶さんの中学からの同級生だという。
「いつも早苗がお世話になっています」
少しばかり冗談交じりで軽い会釈をする石川さんに、世話をしてるのはこっちだからとツンとした表情をしながらもメニューを開く梶さんは、いつもの雰囲気よりも柔らかさがあった。きっと、長年付き合いのある友達と一緒だからだろう。
聞くところによると、OLの石川さんとはなかなか時間も取れずいたところ、久しぶりの連休で逢えることになり、ここで飲むことになったらしい。
僕たちのことも自己紹介したあと、ビールが届いて兎に角乾杯をした。
「早苗とは、どういうお知り合いですか?」
見た目の大人しさとは対照的に、石川さんは次々と僕たちに質問をしてくる。おでん屋のみっちゃんとまではいかないけれど興味津々の表情だ。一見した時は文芸部寄りだと思ったけれど、これは広報部といったところか。学内新聞の記事集めに、油断なく目を光らせている。そんな雰囲気だ。
「お店のお客よ」
僕たちよりも先に応えた梶さんは、ジントニックをクッと喉に流し込む。バーに居たら、ロマンスグレーのイケオジにナンパでもされそうな、スタイリッシュな雰囲気を醸し出していた。
「でも、早苗を見ていると、ただのお客さんって感じはしないけど」
探りを入れるようにしてニヤニヤとする石川さんに、余計なことはいいからと慌てる姿は、いつもきつい表情や言葉ばかりの梶さんらしくなくて可愛らしい。
「あの雑貨屋って、早苗ちゃんの店なんでしょ。スゲーよな」
会ってすぐに下の名前で、しかもちゃん付けする結城に感心しながらも、梶さんが馴れ馴れしいと怒りだしたりしないかハラハラした。
「別に、私の店ってわけじゃないし」
しかし、梶さんは、そんなこと少しも気にはしなかった。ちゃん付けはともかくとして、僕も下の名前で呼びたい。などと思ったが、怒りを買わないのは結城だからこそだろうとやめておく。
梶さんの返答に、ん? という顔をした結城に向かって、心得ていますと石川さんが説明をしてくれた。
石川さんによると。昼間に会ったイケてるモデル風のお兄さんが経営している雑貨屋は、元々お兄さんが立ち上げたという。
元々、梶さんのお兄さんがポーランド雑貨屋を始めるきっかけとなったのは、ポーランドから輸入家具を仕入れている叔母さんから、大学卒業を目途に雑貨屋を開かないかと持ち掛けられたところから始まっているという。
初めの数年は、もちろんお兄さんがオーナーを務め経営に携わっていのだけれど。勉強がてらポーランドに居る叔母さんの手伝いをすることになり、妹の梶さんに白羽の矢が立ったのだ。梶さんは、大学を卒業と同時に店の引継ぎをし、経営を委託されて今に至るというわけだ。
今回。日本独特のゴールデンウィークを考慮した叔母さんが、梶さんにも長いお休みを与えるべくお兄さんを一時帰国させてくれて、梶さんは今日から休みを満喫しているというわけだ。
「なんにしても、店を切り盛りしているには変わりないし。その若さでスゲーよ。なっ、深沢」
結城から急に振られた僕は、慌ててコクコクと頷きを返したら、石川さんが可笑しそうに笑い、梶さんが本当にそう思ってるのかというような猜疑心丸出しの目で見てきた。
「てかさ。前行った時から思ってたんだけど。あの店の名前、なんて読むの?」
結城が梶さんに訊いた。
確かに、一度SAKURAの店員さんが教えてくれたけれど、あまりに馴染みのない言葉に覚えることができないままだった。
肩を竦める結城に同意するようにして、僕は梶さんを見る。
「Uzdrowiony」
早口で言った梶さんは、石川さんにちゃんと教えてあげなさいとばかりに目配せされて、諦めたようにゆっくりと店名を口にしてくれた。
「ウズドリョビョウネよ。ポーランド語で癒されるっていう意味」
そう。癒されるだ。SAKURAの店員さんにぴったりだと考えたことを思い出した。
「わかってると思うけど、兄が考えた名前えよ」
梶さんから癒しという単語が生まれる確率は低そうだから、それはそうだろうと納得した。
「何か言いたそうね」
僕の表情から心の裡を読み取ったのか、梶さんが不服そうな顔をする。慌てて何もそんなことはと否定する僕を見て、石川さんが助け舟を出してくれた。
「ほら、早苗。そういうところ。抑えて、抑えて」
優しく咎めるようにした石川さんに梶さんが、ヤレヤレというように息を吐きジントニックを口にした。
石川さんからは、梶さんの学生時代の話も入手した。このルックスだからとてもモテテいたという。高校の時は何人もの男子に告白をされて、誰と付き合うことになるのかと注目の的だったらしい。結局、梶さんが付き合ったのは、いたって平凡な、目立たない隣のクラスの男子生徒だったらしいのだけれど。二年生から高校を卒業するまで一緒だったという。好きになったら一途なんだと、石川さんが梶さんをからかった。
結城は、男の趣味が平凡だったという梶さんの恋愛遍歴を聞き、お前にもチャンスがあるなと耳元で囁いた。残念ではなく、平凡に格上げになったようだ。
大学ではお兄さんの影響もあってか、経営学を専攻していたようだ。卒業旅行では、叔母さんのいるポーランドにも行っているらしい。
「ポーランドってどんなとこ?」
結城が枝豆に手を伸ばしながら訊ねた。名前を一度失ったことのある国だというのは知っているけれど、行った人にしかわからないような話を聞きたい。
「とても素敵な国だった。日常にはいつもクラシックが寄り添っていて。スープ系の料理が多いから、日本人の口にも合うと思ったわ。元々食器や雑貨の類は好きだったから、ポーリッシュポタリーを求めて巡り歩いた時は幸せだった。あちこちでやってる蚤の市で、-掘り出し物を見つけられた時は、本当に嬉しくって」
その時のことを思い出しているのか、梶さんの表情は恍惚としている。
「ポーリッシュポタリーってなんだ?」
梶さんは疑問を口にした結城に「先日お買い求めいただいた食器のことです」とわざと営業モードで返し、次回もお買い上げよろしくと笑った。抜かりがない。
「町並みも素敵よ。旧ヴァヴェル城王宮にヴァヴェル城大聖堂。その丘から眺めるヴィスワ川。シュチュパンスキ広場にあるカフェは、日本人の若い子が好みそうな木目を基調とした店内の造りで、ガラス越しに陽の光がいっぱい入ってきて居心地がいいの。私は朝食を食べに行ったけど、昼間に覗いた時はゆったりとした雰囲気がよかったわ。手作りのジャムがとても美味しくて、食べすぎちゃった」
話ながら微笑む顔がとてもチャーミングで、僕の目は釘付けになっていく。
梶さんは、その後もポーランドについて色々話してくれたけれど、どんなに話しても話し足りないというのが解るほど、生き生きとした口調で終始笑顔だった。