兄弟の話から外れると、結城は饒舌に女の子の話を始めた。今まで付き合ってきた人数。どうやって誘い、落としてきたか。ロングも好きだけれど、ショートの首筋はたまらないとか。一重はエキゾチックだとか。あまり背の低すぎる子より、ほんの少し背伸びしてキスしてくれるくらいの身長が好きだとか。とにかく、訊いてもいないのにあれこれと楽しそうに話す。

 結城の話を聞きながら、いいように飲み続け、食べ続けていると。缶ビールが足りないと駄々をこねはじめた。

「深沢~。俺は、もっと飲みたいんだよぉ。羽目を外しに来たのに、これじゃあ、消化不良だろう。大体、なんでここには女の子がいないんだ? そうだ今から女の子をナンパしに行ってもいいよな」

 いや。ちょっと待って。それは、危険だ。こんな状態の結城を、町に出現させるわけにはいかない。忙しいお巡りさんの出番は、極力少なくしてあげないと。

 テーブルに手をつき、酔った体をゆらりとさせながら立ち上がる結城の体を押さえつける。

「それはやめておこう。僕がビールを買ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 僕は結城を部屋に留めて、財布片手に近所のコンビニまで買いだしに行くことにした。

「いいか。絶対部屋にいてくれよ。ちゃんとビールを買って帰ってくるから。待っててくれよ」

 しつこいほどに念押しする僕に、結城は解っているのかいないのかひらひらと手を振り送りだす。あまり長い時間留守にして、結城を一人にしない方がいいだろうと、小走りにマンションを出た。

 家を出ると、外は静かな夜だった。空には雲も少なく、満月まであと数日という具合の膨らんだ月が眩しく輝いていた。まるで見守るような月の輝きを眺めていたら、幼い日のことを思い出した。

 小学校入学の時だった。双子の僕らは、翌日に控えた入学式が待ち遠しくて、ワクワクとして眠れない夜を送っていた。

「兄ちゃん。起きてる?」

 窺うように二段ベッドの下にいる一輝からかけられた声に反応して、僕は首を伸ばし下段ベッドを覗きこんだ。

「起きてるよ」
「明日、どきどきするね。友達いっぱいできるかな?」

 不安そうに問う一輝は、膝を抱えるようにして布団の上に座っていた。

「一輝。こっち来いよ」

 二段ベッドの上に来るよう声をかけると、嬉しそうに返事をして上がってきた。
 ベッドに沿っている窓のカーテンを開け、一輝と夜空を眺める。ぽかんと一つだけ浮いた中くらいの雲の傍に、月が眩しく輝いていた。

「僕、友達ができるか不安だよ」

 一輝は、とても心細いというように僕の顔を窺い見た。

「何言ってんだよ。俺がいるだろう。一輝には、俺がいる。だから心配すんな」

 初めての学校というものに自分も不安だったけれど、そんな気持ちは見せないように、僕は一輝に向かって明るく笑いかけたんだ。

「兄ちゃんがいてよかった。僕、兄ちゃんとずっと一緒にいるよ」

 ほっとした表情を向け、安心したように一輝は僕のベッドに潜り込んだ。自分と同じ顔をした一輝の寝顔を見ていると、不思議と穏やかな気持ちになっていった。

 あの時、安心していたのは僕の方だった。強がって平気な顔をしていたけれど、本当はとても不安で堪らなかったんだ。だから、一輝にずっと一緒と言われたことで、僕がどれほど安心することができたか。いつだってそうだ。強がって平気な顔をしていても、誰よりも一輝を必要としていたのは僕の方だった。なのに、僕は一輝を見殺しにした。

 中学に上がって直ぐのことだった。あの日以来内向的になっていた僕は、図書室で借りた本を読んでばかりいた。特定の友達を作ることもなく、ひっそりと教室の隅にいるだけの生徒だった。入学当初は、幾人かに話しかけられたこともあったけれど、はっきりとしない暗い態度に、周りは自然と距離を置くようになっていった。同じ小学校から上がってきた幾人かは、僕がどうしてこんなに暗いのかその理由をなんとなく知っていて、近寄りがたい異物でも見るように遠巻きにしていた。

 ある日、他の小学校出身のクラスメイトに、からかわれたことがあった。彼は、クラスの中心と言えるような位置にいる人物で、いい意味でも悪い意味でも目立っていた。

 昼休み。教室内は、笑い声で賑やかだった。弁当を食べ終わり、みんな銘々に仲のいいクラスメイトと雑談をしていた。

「お前、双子なんだって?」

 突如、彼が僕の机の前に立ち言い放った。今まで雑談に興じていた数名の生徒が注目する。

 誰から聞いたのか、彼は意地の悪い表情をして、僕が開いていた文庫の上に掌をわざとついた。ページがクシャリと音をてる。読んでいる本の上に手を置かれたことに憤りを覚えたけれど、それよりも双子というワードを出されたことに体がビクリと反応し俯いてしまう。あの日の出来事が瞬時に脳裏を過り、心臓がバクバクと音を立て始めた。誰にも話したことのない、触れられたくない出来事をほじくり返される気がして恐怖に怯える。言葉も出ずに俯いたままいる僕を、彼は益々面白がって煽ってきた。

「深沢とおんなじ顔したやつがもう一人いるなんて、キモッ」

 心ない言葉だった。彼はきっと、僕みたいな暗いやつが家にもう一人いるなんてと揶揄したかったのだろう。確かに僕は、まともに会話もしないし、積極的にクラスに関わることもない。自席で本を読むだけで、体を動かし遊ぶことも、特定の友達と明るく会話をすることもない暗いやつだ。けれど、一輝は違う。あんなに頭がよくて素直で、人のことを思い遣れる一輝を馬鹿にするなんて赦せない。一輝をバカにしてきたことに血が昇る。

「何も知らないくせに……」

 俯いたまま、顔を上げることもなく呟いた言葉がよく聞こえなかったのか、彼が「はぁ?」と更に感情を煽る言い方をした。

 やめなさいよ。と同じ小学校から来た女子の誰かが言った。一輝が亡くなっていることを知っている誰かだ。
 気がつけば、クラスのほとんどが僕たちに注目していた。制止の声になど聞き耳を持たず、彼の口は止まらない。

「おんなじ教室に、こんな暗いやつがいると目障りなんだよ。しかも、おんなじ顔したやつが、他にもいるんだろ? キモさ倍増じゃんっ」

 ケタケタと嫌味な笑い声を上げると、周りにいた彼の取り巻きも同調して笑いだす。

 一輝をキモイと言ったことで、抑えていた怒りが爆発した。ダンッと机に手をつき、彼の胸倉を掴み睨みつける。強引に彼の手で押さえられていた文庫本が床に落ちた。

「訂正しろっ。今言ったことを訂正しろっ」

 突然叫び出した僕の態度に、一瞬で教室内がどよめきに包まれる。大人しく、本ばかり読んでいた僕が、まさか言い返し掴みかかってくるとは思いもしなかったのだろう。しかし、相手も引くに引けなくなったのか、更に突っかかってきた。

「はっ? キモイもんはキモイんだよっ」

 互いに言い合いになり、周囲の生徒がはやし立てたり、止めに入ったりする。
 睨みあい、つかみ合いになり、手が出そうになったその瞬間だった。

「そいつの兄弟、死んでるよ」

 誰かの一言で、サッと血の気が引いた。周囲の喧騒も一瞬で静まり、得も言われぬ静寂が訪れる。ザワザワと、コソコソと、囁く声が教室内に伝播していく。

 人殺し。

 誰かが口にしたわけじゃない。けれど、僕の脳内には、その言葉が湧き上がり震え怯えてしまう。亡くなった兄弟がいることを知ってはいても、あの瞬間を。あの日のことを知っている人間など、このクラスにはいないはずだった。取り返しのつかない、後悔してもしきれないあの出来事は、誰も知らないはずなんだ。けれど、罪悪感でいっぱいになった僕の脳内では、囁き声が止まらない。

 人殺し。人殺し。人殺し。

 何度も何度も責め立てる。

 彼の胸倉を掴んでいた手の力が抜けていく。戦意を喪失してしまった僕に、相手の手も緩む。気力を失った僕は、ストンと椅子に力なく崩れ坐った。僕の姿を目にしたクラスメイトは、触れてはいけないことに触れてしまったんだと、引き潮のように離れていった。

 からかい半分に因縁をつけてきた彼も、何も言うことなく自席へと戻って行く。その後、僕に話しかけてくるクラスメイトは、本当にいなくなった。必要最低限の会話だけで、はれ物に触るように扱われ、中学の三年間を過ごしたん

 あの頃の出来事を今なお鮮明に思い出し、自責の念に囚われ背を丸めているうちに、気がつけば目的のコンビニは目の前だった。

「ビール、買わないとな」

 後悔のため息を吐き店内に踏み込みカゴを手にする。奥の方にある冷蔵庫へ向かう通路を行くと見知った顔に出くわし、驚きにヒュッと細く息を吸い込んでしまった。そんな僕の様子を見て、もう何度目になるか知れない溜息を吐きつつ彼女が厭きれた顔を向けてくる。

「あのさ。その驚き方って、私がまるでお化けや幽霊みたいじゃない」

 不満を口にした梶さんが、同じようにビールの缶を入れたカゴを手にしていた。とんでもないというように、僕はブルブルと首を横に振る。

 仕事上がりなのだろうか。こんな時間まで、大変だな。梶さんが客の相手をし、店を閉めたあとレジ金を合わせて片づけをしていた時、僕は結城と共に娯楽に耽り酒を飲んでいたのかと思うと申し訳なさが滲んだ。

 梶さんは買い物中、特に話しかけてくることもなく。缶ビール以外に、惣菜のパックやサラダなどをカゴに入れていた。以前、冷蔵庫にあるものでパパッと料理しそうなイメージだと勝手に想像したけれど。こんな時間から何か作って食べるというのは、流石にしんどいよな。商店街も、この時間じゃ殆ど開いている店もないし。コンビニ飯になるのは、仕方ないことだろう。

 会計を済ませた梶さんは、先に店を出て行った。きっと、一緒に帰りたくないのだろう。僕はレジ袋にやたらと詰め込んだ缶ビールを手にし、ビニールが破れやしないかと懸念する。二重にして貰えばよかっただろうかとレジから一、二歩離れてから店員の顔を見た時には、既に次の客に対応していたので諦めた。

 レジ袋を気にしながら外に出ると梶さんがいた。

 もしかして、待っていた? て、そんなわけないか。

 一瞬でも都合よく考えた自分の能天気さに苦笑いが浮かぶ。

「いつも、こんなに遅いんですか?」

 躊躇うように訊ねると、一つ頷く。互いの向かう場所が一緒のため、なんとなく並んで歩くことになった。時刻は、十時を過ぎている。

「店の片付けやレジ閉めなんかをしていれば、大抵このくらいの時間になるの」

 つい先日まで、眉間のしわか、鋭い睨みしかもらえなかった僕なのに、奇跡でも起きたのか。今夜の梶さんは、驚くことに僕と普通の会話をしてくれている。その事にテンションが上がりそうになってはいても、またここでヘマをやらかせば、元の木阿弥だと冷静さを保つ努力をした。

「友達は、もう帰ったの?」
「いえ。ビールが足りないと言い出したので、僕が買い出しに」

 僕の手にある、缶ビールの詰まった袋を梶さんが見る。

「面倒見がいいのね」

 ほんの少しだけ呆れを含んだ言い方をした。今後、こんな風に梶さんと話す機会はあるだろうか。眉間に皴のない今なら、どうして態度が急変したのか教えてもらえるかもしれないよな。僕がやらかしたことがなんなのか訊いて、今度はしっかり謝罪したい。けれど、訊いたことでこの雰囲気が壊れてしまうのは怖くもあった。怒りを煽ってしまう可能性もあるし、もう二度と話しかけて欲しくないと言われる可能性だってある。折角普通に会話をして貰えているというのに、わざわざ機嫌を損ねるような質問をするというのはどうなのだろう。

 狡い自分が顔を出す。梶さんと一緒に並んで歩いているという高揚感を少しでも長く感じ続けていたいと、下手な恋心が邪魔をした。

「あのさ、標語って知ってる?」

 ウダウダと考えている僕に向かって、突然梶さんが言った。

「よく警察なんかにあるやつよ」

 何を急に言い出すのかと、梶さんの顔を見続ける。

「飲んだら乗るな。飲むなら乗るな。的なやつ」
「ああ」

 確かにそんな標語が交番に貼られていたりするよな。と思った時、あの歓迎会の夜のことが思い出された。

 まさか、それは僕に言ってるんじゃないのだろうか。

 どれほど不安な表情をしていたのだろう。マンションのエントランス前に着いて、自動ドアを潜る時の梶さんの顔がちょっと怖く見えた。

 ボタンを押してエレベーターを呼び乗り込むと、先に入った梶さんが奥の壁にもたれるようにして立つ。僕は、ボタンの前に立った。この前とは、逆の位置だ。

「責任をとれないなら、飼うべきじゃないと思うのよ」

 背後から鋭く言われ、思わず振り返る。「飼う」を「買う」と一瞬勘違いした僕だけれど、すぐに違うと気がついた。

「もしかして、マシロのことを何か知ってるんですか⁉」

 どれほど必死な表情をしていただろう。普段残念なイケメンと言われる僕は、どこかぼんやりとしていて、のんびりしたイメージがあるらしい。そんな僕が掴みかからんばかりの勢いで背後に立っていた梶さんを振り返ると、彼女は焦ったように「ちょっと!」と牽制する声を出した。

 梶さんの引き具合に慌ててあとずさると、エレベーターのドアが開いた。

「早く降りて」

 動きの止まったままの僕に向かって、梶さんは少し強めに促す。僕は、慌てて廊下に出た。

「お友達、もう少し待っててもらっても平気よね」

 サクサクと廊下を行きながら僕の部屋の前を通り越し、鍵を取り出すとドアを開けた梶さんが中に入るよう僕を誘った。僕は、手に持っていた缶ビールの袋を自分の部屋の前に置き去りにし、彼女のあとについて行った。