「私の願いなんて届けずに、他の人のところに行ったほうがいいと思うよ」
「何でだ?」
「願いなんてないから」
「そんなわけない!人間は誰にだって何かしらの〝願い〟はあるんだ」
「じゃあ私は人間じゃないのかもね」
そう言って立ち上がり、すぐそこにある台所で夜ご飯の調理を始めた。
部屋に一つしかない、小さな窓から指す光は琥珀色だった。
無表情で機械のように無駄一つない手慣れた動きに、少し見とれていた。
今回のターゲットはなかなか手ごわそうだ。
しかし、『気持ちの宅配便』は一つ強引に〝願い〟を聞き出す手段を持っている。
催眠だ。
右手の小指の爪が青く染まることが使用可能の合図である。
だいたい、期限の二日前ぐらいになったら現れる。
それを無視して、期限を過ぎてもターゲットに〝願い〟を聞き出さないことがいわゆる禁忌というやつである。
それを先輩はやってしまったそうだ。
ユウリはその催眠というやつを掛けたことがある。
心がただひたすらに苦しくなる。
〝願い〟を聞き出すんじゃなくて、ターゲットの心の深く底にある誰にも言えない、言わないことを吐き出させるのだ。
『気持ちの宅配便』はそれを聞いてその人の〝願い〟の最適解を見つけて、届ける。
本人の意思で願ったことでもないし、何より人の心の闇に直にわざと触れることはとても心苦しい。
そんな理由から、『気持ちの宅配便』は催眠を嫌い、どうにか自分のスキルで話させようとしている。
本人の口から、本人の意思で、本人の言葉で出てきた〝願い〟はとても美しい。
ユウリを含め『気持ちの宅配便』はそのたった一瞬の為に一週間、知らない誰かの為に一生懸命頑張るのだ。
だが、今回はどうやったら、聞き出せるんだろう…と、ユウリが考えてると、如月天音は折り畳み式のちゃぶ台の上にご飯を置いた。
黙って食べ始めた如月天音にいくつか質問をすることにした。
「なぁ、如月あ」
「私を苗字で呼ばないで」
ユウリが言い終わらないうちに、冷たく鋭い声でそう言ってきた。
さっきまでとは違う。
明らかに怒りの感情が入った、そしてそれを必死に隠しているかのような声色だった。
「ごめん、天音」
大人しく従った。
なんで怒ってるのか、なんで苗字で呼んじゃいけないのか、気になったが、聞かなかった。
聞いちゃいけない、と本能が言っているようだった。
「じゃあ、天音。好きなこととかあるか?」
「別に、特別好きなものがあるとかはない」
「けど、美術部に入ってるんだろう?」
「何で知ってるの」
「フッ…『気持ちの宅配便』は天音のことならだいたい分かるのだー!」
「わーすごいすごい」
「で、美術部に最近行ってないらしいじゃないか」
「別に…一年生はどこかの部活に強制入部だから楽そうなとこに入っただけ」
「いーや、違う。天音は絵が好きだから美術部に入ったんだ。だって天音の学校…」
「私が違うって言ってるんだから、どうでもいいでしょ、そんなこと」
私もう寝るから、と言って天音は押し入れから布団を持ってきて、部屋の電気を消した。
時計の短針はまだ七を指している。
「お、おい。早すぎじゃないか?」
「私いつもこのぐらいの時間に寝るの。起きててもやることないし、朝早く学校に行きたいし」
言い終わった後、人類最速ぐらいの速さで、天音は眠りについた。
先輩の切り替えの速さと同じくらいで、少し驚いている。
天音の家にテレビはなかった。
そのかわりだと思うが、小さなタンスの上にちょこんとラジオが置いてある。
その横の小さな本棚の上段には、天音の兄のものだろう、漢字が苦手なユウリには到底理解することができないであろう分厚い本が並べてあった。
下段には読み物がたくさん並べてあった。
二、三歳の子が読むであろう字の少ないハードカバーの絵本から、大人が読むような字が小さくて挿絵のついていない小説まであった。
絵だけでなく、本も好きなのか、と思うと同時にユウリは呟いた。
「…天音の好きな事って全部…」
絵を描くこと、本を読むこと。
その二つに共通するものは、「一人でもできること」だ。
「天音って、友達いるのか…?」
天音に直接聞いても埒が明かないことぐらい、今日話してて分かってる。
ユウリは明日、天音の学校に一緒についていくことを決めた。
「…となれば…必要なことはただ一つ、寝ることだ!」
そう決めた瞬間、天音と同じくらいのスピードで、ユウリは眠りについた。