* * *
梶原家に来て、二カ月ほどが経った。
「おばあちゃん、体を拭きますね」
家事だけでなく介護まで手伝うようになり、休む間もなく過ごしている。最初はやり方を教えるために隣にいた芳子も、私がある程度できるようになった時点で完全にまかせっきりにされている。おむつの交換も食事の介助も、ずいぶん手慣れてきた。
新しい寝間着に着替えさせ終えて、背をぐっと伸ばす。タイミングを同じくして、ドンと響いた大きな音に、目いっぱい伸ばしていた体を瞬時に竦ませた。
二階から聞こえたそれは、間違いなく昭人が原因だろう。周囲の話から、どうやら彼は現状に不満があるらしい。
会話を聞いている限り、昭人は家を出て、友人らのように都会の大学へ行きたかったようだ。しかし、父である勝吾はそれを許可しなかった。結果、彼は毎日バスと電車を乗り継いで、二時間ちかくかけて大学に通っている。
長男としていずれはこの家を継ぐようにと、勝吾は常々口にしている。自身は村の役場に勤めており、息子もいずれは自分の口利きでそこへ就職させる気だ。
昭人としてはそれが気に食わず、父親に言えない気持ちをこうして苛立ち紛れに物にあたる。
使用したタオルや湯を素早く片づけて、誰にも会わないように気をつけながら、あてがわれた自室に戻った。
最後に入ると決まっている風呂の順番を待つ間に、出された宿題に取りかかる。転校を繰り返したせいでできた学習の差もようやく埋まり、それに対する焦りはなくなってきた。
「入るわよ」
こちらが返事をする前に、唐突に扉を開けたのは公佳だ。室内にずかずかと侵入して、私の手前で足を止める。
「これ、私の分もやっておいてよ」
手渡されたのは、今まさに自分も格闘していた数学のプリントだ。
「はい」
私に反論なんて許されず、返事をして用紙を受け取る。公佳にしてみれば、少しの抵抗も見せない私の態度すら気に食わないらしい。忌々しそうに睨みつけられて、身を縮こませた。
「ちょっと男子にちやほやされるからって、いい気にならないでよね」
脈絡のない言葉に戸惑いながら、学校での出来事を思い起こす。
高校は、公佳と同じところに通っている。とはいえ、これだけ嫌われているのだから、登下校を共にしているわけではないが、不運にも同じクラスになってしまった。
初めて登校した日は、物珍しさから男女問わず大勢に囲まれた。それが気に食わなかった公佳は、私の悪口を言いふらすようになっていく。
もとから中心的な存在だった彼女の言葉を、疑いもなく信じる人もいたが、中には逆らうのが怖いと感じている雰囲気もある。そのせいで、すっかり同性からは距離を置かれてしまった。
代わりに、男子生徒から声をかけられるようになった。なにがよかったのか、数人に告白されてしまった。全部断っているにもかかわらず、それがますます公佳の怒りを買っている。
「あんたなんて、たいしてかわいい顔でもないのに。もてはやされるのは、あいつらが田舎しか知らないからよ」
平穏な時間など手に入れられそうにない現状に、気分はどんどん沈んでいく。
「すみません」
もはや口癖のようになった、なにに対してか自分でもわからない謝罪を口にする。
「ふん。さっさとやっておきなさいよ」
それだけ言うと、公佳は力任せに扉を閉めて自室に戻っていった。
梶原家に来て、二カ月ほどが経った。
「おばあちゃん、体を拭きますね」
家事だけでなく介護まで手伝うようになり、休む間もなく過ごしている。最初はやり方を教えるために隣にいた芳子も、私がある程度できるようになった時点で完全にまかせっきりにされている。おむつの交換も食事の介助も、ずいぶん手慣れてきた。
新しい寝間着に着替えさせ終えて、背をぐっと伸ばす。タイミングを同じくして、ドンと響いた大きな音に、目いっぱい伸ばしていた体を瞬時に竦ませた。
二階から聞こえたそれは、間違いなく昭人が原因だろう。周囲の話から、どうやら彼は現状に不満があるらしい。
会話を聞いている限り、昭人は家を出て、友人らのように都会の大学へ行きたかったようだ。しかし、父である勝吾はそれを許可しなかった。結果、彼は毎日バスと電車を乗り継いで、二時間ちかくかけて大学に通っている。
長男としていずれはこの家を継ぐようにと、勝吾は常々口にしている。自身は村の役場に勤めており、息子もいずれは自分の口利きでそこへ就職させる気だ。
昭人としてはそれが気に食わず、父親に言えない気持ちをこうして苛立ち紛れに物にあたる。
使用したタオルや湯を素早く片づけて、誰にも会わないように気をつけながら、あてがわれた自室に戻った。
最後に入ると決まっている風呂の順番を待つ間に、出された宿題に取りかかる。転校を繰り返したせいでできた学習の差もようやく埋まり、それに対する焦りはなくなってきた。
「入るわよ」
こちらが返事をする前に、唐突に扉を開けたのは公佳だ。室内にずかずかと侵入して、私の手前で足を止める。
「これ、私の分もやっておいてよ」
手渡されたのは、今まさに自分も格闘していた数学のプリントだ。
「はい」
私に反論なんて許されず、返事をして用紙を受け取る。公佳にしてみれば、少しの抵抗も見せない私の態度すら気に食わないらしい。忌々しそうに睨みつけられて、身を縮こませた。
「ちょっと男子にちやほやされるからって、いい気にならないでよね」
脈絡のない言葉に戸惑いながら、学校での出来事を思い起こす。
高校は、公佳と同じところに通っている。とはいえ、これだけ嫌われているのだから、登下校を共にしているわけではないが、不運にも同じクラスになってしまった。
初めて登校した日は、物珍しさから男女問わず大勢に囲まれた。それが気に食わなかった公佳は、私の悪口を言いふらすようになっていく。
もとから中心的な存在だった彼女の言葉を、疑いもなく信じる人もいたが、中には逆らうのが怖いと感じている雰囲気もある。そのせいで、すっかり同性からは距離を置かれてしまった。
代わりに、男子生徒から声をかけられるようになった。なにがよかったのか、数人に告白されてしまった。全部断っているにもかかわらず、それがますます公佳の怒りを買っている。
「あんたなんて、たいしてかわいい顔でもないのに。もてはやされるのは、あいつらが田舎しか知らないからよ」
平穏な時間など手に入れられそうにない現状に、気分はどんどん沈んでいく。
「すみません」
もはや口癖のようになった、なにに対してか自分でもわからない謝罪を口にする。
「ふん。さっさとやっておきなさいよ」
それだけ言うと、公佳は力任せに扉を閉めて自室に戻っていった。