どれほど時間が経ったのかはわからない。目の前の戸が前触れもなく開き、父方の叔母と目が合った。途端に気まずそうな表情をされて、慌てて顔をうつむかせる。

「聞こえちゃったかしら?」

 足もとに視線を落としたまま、こくりとうなずく。

「ごめんなさいね。でも、みんなも大変なの」

 私を責めるような口調でないのにほっとしながら、もう一度うなずいた。

「綾目ちゃん本人も混ぜて話し合うべきよね。まだ時間はあるし、中に入ってくれるかしら?」
「はい」

 お世話になる以上、私からなにかを言うつもりはない。ひたすら頭を下げるだけだ。
 お金の話はよくわからないが、自分にかかる費用は捻出する意思もある。とりあえず、幼少期から両親が貯め続けてくれていた貯金があったはず。足りなければ、アルバイトをするのだって厭わない。

 重苦しい話し合いを経て、お世話になる先がようやく決まったときは、安堵というよりも申し訳なさでいっぱいだった。

 ひとり立ちするまでの数年間は、私のできることはなんでもしよう。預け先の恥にならないよう学業をがんばるのはもちろん。家事も進んで手伝うし、近所の方への配慮も怠らない。

 そんな意気込みで親戚の家へ連れられて行ったが、数年どころか数カ月で預け先が変わった。
 理由は、これまで数えるほどしか顔を合わせたことのない従妹が、対面直後から私を敵視して荒れるようになったからだ。

「私の家族をめちゃくちゃにしないで」

 そんなふうに言われたら、ひたすら謝罪するしかない。最初は庇ってくれた養母も当然実子の方が大事で、次第に疎ましげな視線に変わっていく。従妹の私へ向ける態度は日に日に厳しくなっていき、最後は養母から「疫病神」と言われながら別のお宅へ移った。

 二件目では、私が来て早々に養父の海外転勤が決まった。さすがに連れていくわけにもいかず、短い期間で三軒目に移動した。『海外に行くのは不安だったけど、こうなって見ればラッキーだったわ』と言う、養母の清々しい笑みにうつむくしかなった。
 言われるまま最初に差し出した数十万の生活費を使い切っていないのは明白だったが、清算する話はいっさい出ていない。一家にかけた負担は目に見えるものだけではないとわかっていたから、それについて私からはなにも言わない。

 自分の存在は、どこへ行っても迷惑でしかない。精いっぱい尽くしても疎まれ、ときには心無い言葉をぶつけられる日々に、心はどんどん疲弊していった。