行かないで……恋詞(れんじ)

 雷が、比翼の鳥の一羽を鋭い槍のように貫いた。焼け焦げて墜落した一羽は、徐々にその形を黒い人影へと変えていく。
 不安定で今にも霧散しそうな人影に、私は全力で手を伸ばす。人影も私の方へと必死に手を伸ばすが、きっと間に合わない。手を伸ばした先の、朧げな輪郭が霧散し消滅すると同時に、私の意識は闇の中から覚醒した。

 目覚めた直後、何気なく左頬に触れてみると、一筋の涙が伝っていた。恋詞のことを忘れたことは一度たりともないけど、年に二回ほど、私は特に感傷的になってしまう。
 片翼を失ってから、二度目の七月三十日がやってきた。
 恋詞が生きていれば、今日で十七歳になっていたはずだ。恋詞の時間は、十五歳の冬で止まってしまったけど。
 寝間着のティーシャツとショートパンツのままリビングに向かうと、テーブルにはお母さんの書置きが残されていた。敏腕経営者の朝は早く、最近はあまり一緒に朝食を食べれていない。

『おはよう、恋歌(れんか)。十七歳のお誕生日おめでとう。今日は早く仕事を切り上げられるように事前に調整しておいたから、夜は外に美味しい物でも食べに行きましょう。
 誕生日プレゼントに何が欲しいかはもう決めたかしら? 近場で買える物なら食事の後に買い物をしてもいいし、保留なら日を改めるけど、何か欲しい物があれば、常識の範囲内で遠慮なく言いなさいね』

 お母さんは多忙だけど、同時に家族との時間をとても大切にする人でもある。誕生日や記念日には必ず時間を作ってくれるし、学校行事にも可能な限り顔を出してくれる。昔からそうだったけど、恋詞を喪ってからはそれがより顕著となった。恋詞にかけてあげられない分の愛情を私に注いでくれているのだろう。お母さんのことは大好きだけど、恋詞の分の幸せを奪ってしまったようで、時々申し訳ない気持ちにもなる。お母さんに余計な心配をかけさせたくないから、決して表情には出さないけど。

 朝食の前に洗面所で歯磨きと洗顔を済ませる。鏡に映る顔は、寝起きを差し引いても左目の赤みが強かった。想像以上に感情は夢とリンクしていたみたいだ。

 トーストとマーマレード、ヨーグルトで手軽に朝食を済ませてから私服に着替えた。今日のコーデはロックバンドのロゴが入ったティーシャツにダメージ加工の入った白いデニムのショートパンツ。チョーカーも添えてロック調のコーデにすることにした。今の私を恋詞が見たらきっと驚くだろうな。大胆に足を出すファッションなんて、パンツやロングスカートばかり履いていた昔の私とは大違いだろうから。

「お誕生日おめでとう。恋詞」

 仏壇の遺影に手を合わせる。十五歳の恋詞が、遺影の中で快活な笑顔を浮かべていた。遺影に使われたのは、家族三人で温泉に旅行に出かけた時に撮影した一枚だ。あの頃の私達は、三ヵ月後に残酷な運命が訪れるとは夢にも思っていなかった。
 遺影の中の恋詞と現実を生きる私との距離感がどんどん開いていく。この感覚には未だに慣れない。少なくとも身長は、この一年半の間で当時の恋詞の身長を追い抜いてしまった。だけど、いくら身体的に私だけがお姉さんになっていこうとも、恋詞が私の憧れであることだけはずっと変わらない。

 恋詞は私にないものばかりを持っていた。明るくて、活発で、友達が多くて、熱くなりやすいけど行動にはいつだって筋が通っていて。それに比べて私は、控えめで、引っ込み思案で、口下手で、周りの顔色を伺ってばかりで。
 いつも一緒の恋詞が、いつだって私の足りない部分を埋めてくれた。人気者の恋詞といつも一緒にいたから、周囲には自然と人の輪が出来た。私は人づきあいが得意なタイプじゃない。恋詞と一緒じゃなきゃ、私はきっと孤独を深めていたことだろう。
だけど、私の隙間を埋めてくれていた恋詞は一年半前、突然いなくなってしまった。

 あの日のバス事故のことは決して忘れない。私自身もあのバスに乗り合わせていたのだから尚更だ。直前まで何を話していたのかも覚えていない。きっと今日の晩御飯は何かなとか、そんなありきたりな会話をしていたのだと思う。それが私達の最後。あまりにも一瞬の出来事で、お別れの言葉も言えなかった。
 私の怪我も決して軽くはなかったけど、病室で意識を取り戻し、恋詞が死んだという事実を聞かされた際に真っ先に抱いた感情は、「どうして私の方じゃなかったの?」だった。卑屈だと思われるだろうけど、私なんかより恋詞の方がより周囲に必要とされている人間だと私は確信していた。世界に必要な人材は私ではなく恋詞だ。神様は愚かな選択をしたと本気で運命を呪った。

 それが、私が私に変化を加えようとした最初の感情だ。死んだ人間は戻っては来ない。だったら私が恋詞の代わりになろう。世界から恋詞が失われた損失を私の手で埋めてやろう。引っ込み思案な私のままでいて、お母さんを不安がらせたくないという思いもあった。恋詞がいなきゃ何も出来ない奴だと周囲に思われたくないという、漠然とした恐怖もあった。
 私は恋詞じゃない。恋詞にはなれないけど、恋詞ならきっとこうするだろうという思考の元に、積極的に自分をプロデュースしていった。中学三年の三学期。間もなく高校デビューというタイミングも、自分を変えるには打ってつけだった。
 
 先ずは形から入ろうと、外見を変えてみた。眼鏡を外して、生まれて初めてコンタクトレンズに挑戦して、揃えてすいてもらうだけだったロングヘアは、思い切ってアクティブなショートヘアに挑戦した。恋詞と双子なだけあり、私の顔は目鼻立ちが整ってキリっとしている。ショートヘアーとの相性は抜群で、かわいくてかっこいいと男女を問わずに周囲からの評判を集めた。

 外見の次は行動を改めた。不思議なもので、外見に引っ張られて以前よりも自分に自信が持てた。誰よりも近くで恋詞を見ていたからこそ、こういった場面で恋詞ならどうするかということを、私は息をするかのように実践出来る。周囲には自然と人の輪が出来上がり、まるで恋詞が生きている頃のような光景だった。高校デビューは大成功。憧れでもある恋詞らしい私を今でも継続し続けている。

 片翼を失った私は、憧れという名の蝋で翼を代用したのかもしれない。太陽に近づき過ぎたイカロスは蝋の翼が溶けて墜落してしまったけど、日常を低空飛行する分には、きっといつまでも、どこまでも飛び続けられる。
 それとも、どんなに距離があろうとも太陽は、徐々に蝋の翼を溶かし、墜落をもたらすのかな? それとも、地表だと思っている現実こそが、悩める者にとっては翼を溶かす太陽そのものなのだろうか? だとすればそれは、天に向かって堕ちて行っているということなのかもしれない。
 こういう詩的な表現に行き着くあたり、根っこはやはり恋歌だ。比翼の鳥、イカロスの翼。どこかで空や、飛ぶことに対する憧れがあったのかな。子供の頃から私は、そういった神話や伝承によく心を引かれていたように思う。

 以前は趣味で詩を書いたりもしたけど、恋詞が亡くなってからは一切手をつけていない。アイデアノートは処分はしていないけど、机の引き出しの奥底にしまわれている。悲劇は私から創造の翼をも奪ってしまったらしい。

「久しぶりに、あそこに行ってみようかな」

 空のイメージを思い浮かべたからか、高い場所から町を見下ろしたくなった。
 恋詞が亡くなってからは一度も足を運んでいないけど、あそこは学校帰りに何度も恋詞と一緒に通った思い出の場所だ。今日は私達の誕生日で、部活がお休みで予定も空いている。丁度いい機会かもしれない。
 外出前に肌に日焼け止めを塗っておく。余所行きの時はメイクもするけど、休日でも基本的にノーメイクだ。日よけに黒いベースボールキャップと、小物を入れた黒いリュックを身に付ければ準備は完了。

「行ってくるね。恋詞」

 恋詞に一言告げて、玄関の扉を開けると。

「……何だろう、この感じ」

 玄関から一歩外へと踏み出すと同時に、不思議な感覚を覚えた。言葉では上手く言い表せないけど、何だか一瞬で空気感のようなものが変わったような気がする。

「気のせいかな?」

 決して不快な感覚じゃない。快晴に恵まれて、自然と気分が高揚しているのかもしれない。鼻歌交じりに玄関に鍵をかけて、私は思い出の場所を目指して出発した。

 下車駅は市の中心部から外れている。夏休みとはいえ平日の午前中とあって、乗降客はそれ程多くはない。私もこの辺りを訪れるのは久しぶりだ。通信障害でも起きているのか家を出てからスマホが上手く使えないけど、流石に路線や道順は全て覚えていたので特段困ることはなかった。
 駅から程近い高台にあるレトロな公園。より正確にはそこから望む町の全景が、私と恋詞のお気に入りだ。自宅からは距離があるけど、当時通っていた中学校からは電車で二駅だったので、時々放課後に恋詞と訪れていた。いつも一緒だった恋詞を喪い、進学した高校も真逆の方角だったから、すっかり足が遠のいてしまっていた。
 高台へ向けて、なだらかな上り坂となっている住宅街を進んでいく。見慣れた景色は何一つとして変わっていない。当たり前か、懐かしいといっても足が遠のいてからまだ一年半。目に見えた変化なんて早々ないだろうと思ったけど。

「コンビニが出来たんだ」

 以前は空き地だった場所が全国チェーンのコンビニエンスストアになっていた。当時は駅舎の自動販売機で飲み物を買ってから高台の公園へと向かっていた。当時からコンビニがあったら色々な物が買えたのになと、そんなイフを想像してしまう。
 コンビニ以外の風景は以前とほとんど変わりなく、懐かしい気分に浸りながら高台の公園まで到着した。老朽化でアイデンティティが取り外され、柱だけが残されたブランコ。小さな子供の利用を想定した、趣のある背の低い滑り台。すっかり塗装が剥げて木目が全開だったベンチは、緑色で塗り直されて気持ち新しくなっていた。
 ベンチの色以外、公園の様子はまったく変わっていない。恋詞と一緒に町を眺めていた時の様子を、昨日のことのように思い出せる……そう、昨日のことのように。

「ありえない……」

 見間違いを疑って何度も瞬きを繰り返す。ノスタルジックな気分になっていたからといって、幻まで見え始めたら流石に自分で自分が心配になる。
 公園には一人の先客がいた。寂れた公園とはいえ、まったく人が寄り付かないわけではない。恋詞と訪れていた頃も、子供を遊ばせる地元の主婦や、ジャージ姿で運動に励むお爺さんなどと顔を合わせたこともある。公園に人がいること自体は決しておかしな話ではない。おかしいのは、絶対にいるはずのない人物がそこにいたからだ。
 そのシルエットは恋詞によく似ていた。嫌な夢を見た日に、思い出深い場所で、死んだはずの人間の後ろ姿を見つける。誰だって幻覚を疑うに決まっている。
 運命の悪戯だったのだろうか。不意に私の後方から強い風が通り過ぎて先客の背中を撫でる。それは後方に意識を向けさせるには十分なきっかけだった。
 顔を正面から直視するのは、正直言って怖かった。後ろ姿だけなら、他人の空似の可能性もある。だけど正面から見据えてしまったら、いよいよ私はその存在を受け止めざるを得なくなる。怖い。だって心の準備なんて何も出来ていないから……。

「恋詞なの?」
「恋歌?」

 私達の疑問が重なった。こちら側へと振り向いたその姿は、紛うことなき双子の兄、恋詞その人だ。亡くなった頃よりも随分と身長が伸びている。一八〇センチ越えの長身だ。うちは長身の多い家系だ。成長期を経た恋詞ならこのぐらいの身長になっていてもおかしくない。
 髪は短髪で肌はほんのりと日焼けしている。服装は白いポロシャツに濃紺のデニムというシンプルなスタイル。何よりも以前の印象と異なるのは、顔にかけたスクエア型の眼鏡だろうか。私も家では眼鏡だからよく分かるけど、あれは伊達ではなく、度の入った普段使いの眼鏡だ。
 どうやら私は、まだ夢の中にいるようだ。死んだはずの恋詞と、二人にとっての思い出の場所で再会する。現実では絶対にありえない。ありえないことだからこそ凄く嬉しい。夢の中とはいえ、こうしてまた恋詞と向かい合うことが出来るなんて。

「本当に恋歌なのか?」

 本当によく出来た夢だ。声も以前よりも太く、男らしい声になっていた。一年半の時の流れを感じさせる。

「俺は夢を見ているのか?」

 緊張した面持ちで、恋詞がゆっくりと私の方へと近づいてくる。夢を見ているのは私の方だ。恋詞はいつだって面白い事を言ってくれる。
 とうとう私達は至近距離で向かい合った。なんてリアリティに溢れた夢なんだろう。目の前の恋詞の存在感は生きた人間のそれとしか思えない。夏場の熱気とは別に、恋詞の体温をしっかりと感じられる。
 夢を夢だと理解したうえで自由に行動出来る。こういうのを明晰夢(めいせきむ)って言うんだっけ? だけど所詮は夢だ。現実じゃない。どんなにその姿を視認しようとも、どんなにその声が私の感情を震わせようとも、実体のない存在には絶対に触れない。

「幻じゃない……」
「嘘っ!」

 恋詞が恐る恐る伸ばしてきた手が私の肩をすり抜け――ずに、しっかりと肩に触れた。
申し合わせたかのように、思わず同時に頓狂な声を上げてしまう。こんな時になんだけど流石は双子だ。自分でも確かめてみようと、思い切って恋詞の頬に右手を伸ばす。しっかりと触れた。さらりとした汗の感触も、指先が違和感なく感じ取っている。

「夢の中なのに恋詞に触れてる!」
「恋歌の幽霊に触れてる!」

 あまりの衝撃にお互いに咄嗟に後退る。距離を置いて、相手と触れた手とを交互に見比べてしまう。一度冷静になるべきだと思い、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。考えることは同じだったのだろう。一呼吸遅れて恋詞も同じ動作をしている。混乱冷めやらずだけど、頭の中で思考する余裕が生まれる程度には、深呼吸は効果的だった。聞きたいことは山ほどある。先ずは直前の恋詞の発言について尋ねてみることにした。

「ねえ恋詞。私の幽霊ってどういう意味?」
「だってそうだろう。あの事故で恋歌は死んだ」

 絶句するしかなかった。一体何が起こっているの? あの事故で死んだのは恋詞だ。こんな表現はしたくないけど、幽霊が存在するとしたら、それはむしろ恋詞の方じゃない。

「あの事故で死んだのは恋詞だよ。今日だって私、恋詞の遺影に手を合わせて」
「俺だって今朝、恋歌の遺影に手を合わせてから、思い出のこの場所に」

 お互いにここにやってきた経緯が分かったことで、混乱がさらに加速していく。暑さも手伝い、知恵熱になりそうだと危惧した矢先、救いの手は思いもよらぬ形でもたらされた。

「疑問の答え、アタシが教えてあげましょう」

 不意に公園に響き渡った第三者の声。私と恋詞が同時に声のした方を向くと、思いがけぬ、それでいて見知った人物が、いつのまにかベンチに座っていた。

「スナコ?」
藤高(ふじたか)?」

 苗字で呼んだということは、恋詞も彼女のことを知っているらしい。藤高美砂(ふじたかみすな)。私と同じ高校に通う親友で、同じ部活に所属する戦友。私は彼女をスナコの愛称で呼んでいる。
 栗色のサラサラのロングヘアーに、夏感満載のカンカン帽、スカイブルーのワンピースを合わせたガーリールック。その姿は私のよく知るスナコそのものだけど、雰囲気や話し方が普段とはまるで異なる。本来の一人称は「アタシ」じゃなくて「私」だし、口調も何だか大仰だ。直感的に分かる。現れたのはスナコであってスナコじゃない。

「あなたは誰?」
「一言で説明するのは難しいけど、アタシはある意味で世界そのもの。異なる世界から迷い込んだ者を、元居た場所へと送り返すシステムといったところかな。名前が必要なら案内人とでも呼んでくれたまえ。実体を持たぬ存在故、君達二人の共通の友人の体を借りさせてもらった。肉体への悪影響はないので安心してほしい」
「異なる世界に迷いこむとはどういう意味だ?」
「今回のケースでは、迷い込んだのはお兄ちゃんではなく妹ちゃんの方だね。この世界では、一年半前の事故で亡くなったのは妹ちゃんの方。ここは間違いなく、お兄ちゃんが十七年間生きて来た世界だ」
「つまり、ここは私がいたのとは違う世界ということ?」
「そうだね。所謂パラレルワールドといったものを想像してもらえると分かりやすいだろうか。妹ちゃんがいた世界はお兄ちゃんが事故で亡くなった世界。この世界はその事故で、妹ちゃんの方が亡くなった世界。世界には様々な可能性が存在するからね。極論を言えば世界観そのものが大きく変わり、同じ時代にも関わらず未来的な世界だったり、今より文明が衰退している世界もあるかもしれない。少々話が脱線したが、死んだはずの双子の兄弟と思わぬ再会を果たし、困惑する君達の反応は正常だ。ただし、お互いにお互いが幽霊や夢幻ではなく、実体を持った確かな生者だということだけは理解してくれたまえ」
「ここが私にとってパラレルワールドだとして、私はいつ迷い込んだの? 派手な実験に巻き込まれたとか、魔術的な儀式に居合わせたとか、何かしらのきっかけがあったならまだしも、特別なことは何も起こらなかった。パラレルワールドと言われても実感が湧かないよ」

 私と恋詞の誕生日に、思い付きでこの公園を訪れた。そのことは確かに普段とは違う出来事だけど、行動そのものは常識の範囲内だ。何か特別なきっかけがあったとはとても思えない。

「今日これまでの行動を振り返り、確実に自分のいた世界だと実感出来るのはどのタイミングまでだい? 確実にというのがポイントだよ。僅かでも違和感を感じる前」

 質問に質問で返されてしまったけど、大事なことらしいのでよく考えてみる。

「確実と言い切るなら、家を出るまでかな。玄関から外に出た瞬間、何となく空気感が変わったような気が……」
「それこそが世界が切り変わった瞬間だよ。人間というのは自分で思っている以上に環境の変化に敏感だからね。それ以降も何か違和感を覚える出来事があったんじゃないかい?」
「そういえば、何度かスマホを開いたんだけど、ずっと通信のアイコンが消えてて。通信障害だとばかり思ってたけど、もしかしてこれも?」
「なるほど。こちらの世界の妹ちゃんはすでに亡くなっている。言うなれば携帯電話は契約者不在の状態だ。こちらの世界で使えないのは道理だよ。こちらの世界に迷い込んだのは家を出た瞬間と見て間違いなさそうだね。自宅の玄関の扉がそのままパラレルワールドのゲートとなった形だ」
「そんなことが起こり得るの?」
「珍しい現象ではあるけど、前例もあるし決してありえない話ではない。今の時代ではオカルト染みた話に聞こえてしまうかもしれないけど、科学技術がもう半世紀も進歩すれば、科学的な考察も追いつくだろう。学会で発表される頃に、昔から知っていたと自慢できるよ」
「こうして不可思議な状況に陥っている以上、否定するよりも受け入れた方がよっぽど建設的だね」
「理解が早くて助かるよ」
「受け入れたからこそ質問するけど、私はこれからどうなるの? 私はこの世界に存在しない人間なんでしょう?」
「世界には異物を排除しようとする作用が存在する。最悪、あらゆる世界から妹ちゃんという存在が消滅してしまう可能性もあるけど、そうさせないために登場したのがアタシこそ案内人さ。パラレルワールドに迷い込んでしまったとしても、直ぐに元居た世界に戻れば影響はない。僅かな滞在ならば、世界から異物と見なされることはないだろう。この世界で死んだはずの君が知人に目撃されようとも、一回だけなら見間違いと判断するからね」
「どうやって元居た世界に戻ればいいの?」
「簡単なことさ。入口と出口は同じ。玄関の扉を開けて自宅に戻れば、そこは君が元居た世界のはずだよ」
「そんなに簡単なことなの?」
「簡単も何も、元来た道を戻れば帰れるのは当然というものだろう?」
「まあ、それは確かに」

 簡単すぎて正直拍子抜けしたけど、世界を代弁する案内人さんがそう言うのだからそうなのだろう。実際問題、元来た道を戻る以外の解決策は見つけられそうにない。

「元の世界に戻る際はアタシも立ち会ってあげよう。そうそうトラブルは起こらないだろうけど、念のためサポート要員としてね。早く戻るに越したことはない。早速君の自宅に」
「待ってくれ!」

 状況を静観していた恋詞がここに来て声を張り上げた。恋詞が何を言おうとしているのか私にも分かる。私達の思いはきっと一緒だから。

「せっかく会えたのに、恋歌とまたお別れしないといけないのか?」
「そうだよ。君は彼女を快く送り出してあげるべきだ」
「……もう離れたくない」
 
 私だって同じ気持ちだ。せっかく恋詞とまた会えたのに、もうお別れだなんて。

「酷なことを言うようだけど、君の本当の妹ちゃんはもう亡くなっている。今ここに居るのはパラレルワールドから迷い込んだ、異なる人生を歩んできた別存在なんだ。妹ちゃん可愛さに彼女を強引に引き留めれば、それは結果的に彼女を消滅させることに繋がってしまう。彼女自身はもちろん、娘を喪う悲しみをまたお母様に背負わせるつもりかい?」

 恋詞は沈痛な面持ちで押し黙ってしまった。案内人さんの言葉はどこまで公正で、どこまでも容赦がない。恋詞に向けた言葉は、そのまま私にも突き刺さる。私の気持ちが恋詞と同じだと分かった上で、私も同時に諭しているのだろう。
 本音を言えば、少しでも恋詞と一緒にいられるのなら、私は自身の存在が失われても構わないと思っている部分があった。だけど、お母さんの名前を出されたその覚悟は崩れた。恋詞を喪ったお母さんの悲しみは、家族である私が一番よく分かっている。我が子を喪う悲しみを、身勝手にもう一度お母さんに突きつけるわけにはいかない。

「案内人さんの言う通りだね。私は素直に元居た世界に戻るよ……お母さんは悲しませられないもの」
「……そうだな。俺だって、二度と母さんを悲しませたくない。例えそれが、異なる世界に生きる母さんであったとしても」

 お互いにお互いの顔を直視することは出来なかった。いっそのこと、このまま目を逸らし続けたままお別れした方が、お互いのためなのかもしれない。どうせ最初は夢か幻だと思っていたんだ。その通りだったと割り切ってしまえばそれで全て解決する……簡単な話だ。

「少し二人でお話でもしてみたらどうだい?」

 案内人さんには心の声でも聞こえているのだろうか? 私達の心境を見透かすかのように、そんな提案をしてきた。

「長居するべきじゃないと言ったのはあなたの方でしょう?」
「確かに長居すべきではないけど、ほんの数分くらいは事象に影響しないさ。留まることは認められないけど、ちゃんとお別れをするくらいの時間はあげるよ」

 恋詞と顔を見合わせて、力強く頷き合う。私の世界では恋詞の時間は止まってしまったけど、こちらの世界で恋詞がどのように過ごし、どんな男の子になったのかを知りたい。この世界の私の時間は止まってしまったけど、元居た世界の私がどんな女の子だったのかを、恋詞にも知ってもらいたい。

「二人の時間に水を注すのは無粋というものだね。アタシは下で待っているから、お別れが済んだら妹ちゃんだけ下りて来てくれ。その足で妹ちゃんには元居た世界に帰ってもらうから」
「ありがとう、案内人さん」
「お礼ならこの体の持ち主のお嬢ちゃんに言っておくれ。アタシは普段はもっと機械的で融通が利かないんだが、お兄ちゃんと妹ちゃん、二人の共通の友人であるこのお嬢ちゃんの体を借りているためか、少々情が移ってしまったよ」

 私達に背を向けたまま、スナコの体を借りた案内人さんは公園を後にした。

「……その、雰囲気変わったな」

 緑のベンチに肩を並べて腰掛ける。最初にボールを投げてくれたのは恋詞の方だった。私も昔に比べたらアグレッシブなれたとは思うけど、リードしてくれるのはやはり恋詞の方だ。久しぶりに妹としての恋歌に戻れたようで少し嬉しい。

「変かな?」
「少し驚いたけど変ではないよ。とても似合っていると思う」
「引っ込み思案な自分を変えようと思って、先ずは形から入ったんだ。かっこいいでしょう」

 自然と笑みが零れた。恋詞の隣は凄く居心地がいい。違う世界に生きていても恋詞は恋詞だ。私達はやっぱり双子なんだなと、改めてそう実感する。

「恋詞の方は、少し雰囲気が落ち着いたね」
「変か?」
「凄く素敵だと思う。インテリ感があって、大人っぽくなった」
「俺も恋歌と同じだよ。先ずは形から入ろうと思ったんだ」
「どういうこと?」

 引っ込み思案な自分を変えようとイメチェンした私と違い、恋詞に自分を変える必要などあったのだろうか? もちろん、今の落ち着いた雰囲気が魅力的なのは事実だけども。

「俺って明るいだけが取り柄で落ち着きがないところがあったからさ。そんな自分を変えたかったんだよ」
「そうなの?」
「落ち着きを覚えて、母さんを安心させたいと思って。だから俺は、恋歌を理想として自分を変えていった」

 恋詞が私を理想として自分を変えていった? そんなはずない。だって恋詞は私にとっての憧れで、私にないものばかり持っていて。

「私は恋詞に理想としてもらえるような人間じゃないよ。引っ込み思案でいつも恋詞の背中に隠れてばかりで、優柔不断で行動力がなくて……」

 自虐ならまだ幾らでも出てくる。そんな自分を変えたくて私は、私にないものばかり持ってる恋詞を真似たのだから。

「お前が短所のように語るそれは、俺には一歩引いた位置から物事を捉える思慮深さに映っていた。直情的で体が先に動いてしまう俺にとって、お前はずっと憧れの対象だったよ」

 双子だからと、どうしてここまで思考が似てしまうんだろう。

「恋詞が短所のように語るそれが、自分から積極的に物事に挑む行動力が、引っ込み思案な私にとっては憧れの対象だったよ」
「それじゃあ俺達は、お互いが自分では嫌っていた部分に憧れてたってことか?」
「そういうことみたいね」
「ははっ、流石は双子か。いや、普通双子でもここまでシンクロしないって」

 思わず、二人同時に笑顔が弾けた。私達はお互いに、自分に足りない部分を相手に見出していたらしい。いつも二人で一緒じゃないと不安だった。それが私の弱さだと思っていたけど、それは恋詞も同じだったんだ。
 昔の私達はやはり、片翼ずつを担う比翼の鳥だったんだ。だけど今は違う。それぞれの世界で私達は片翼を失ってしまった。だから私は、私達は一人でも飛べるように自分を変えなければいけなかった。

「今の恋詞について教えてよ」

 前向きな気持ちで、恋詞の近況について尋ねてみる。厳密には私の知る恋詞とは異なる存在であることは分かっている。それでも、高校生になった恋詞がどんな人生を歩んでいるのか知りたい。

「高校入学を機に、文武両道を目指して勉強にも力を入れ始めた。前のめりになり過ぎたかな。少し視力が悪くなって去年からは眼鏡だ」
「印象が変わって最初は驚いたけど、似合ってるよ」

 照れ臭そうに恋詞は頬を二回掻いた。嬉しい時の無意識な癖は変わらず健在みたい。

「部活とかは? やっぱり今でもバリバリの運動部?」
「時々助っ人を頼まれることはあるけど、部活には所属していない。実は今、生徒会の副会長をやってて忙しくてな」
「恋詞が生徒会?」
「昔からは想像もつかないだろう」
「確かに。でも、ここにいるのは今の恋詞だから」

 事故後に私達はそれぞれの世界で時間を過ごしてきた。それは新たな自分を築き上げるには十分な時間だ。例え異なる世界に生きる存在だとしても、事故後に恋詞が生きてきた時間の一端を垣間見えたことが嬉しい。

「今度は恋歌について教えてくれよ。変化というのならお前も相当だぞ」
「さっきも言ったように、引っ込み思案な自分を変えたくて先ずは外見から変えてみたの。お洒落に対しても積極的になって、足を出すなんて、昔の私からは想像もつかないでしょう?」
「そうだな。今だから言えるけど昔の恋歌は野暮ったかった」
「もう。事実とはいえ傷つくな。だけど外見もやっぱり大事だよね。自信が生まれて積極的になれた。友達にも恵まれているし、ファッションの研究は楽しい。毎日がとても充実してる。そうそう、大事なことを言い忘れていた。私ね、高校に入ってから軽音楽部に入ったんだよ」
「恋歌が軽音楽部か。昔の恋歌を知る者としてはびっくりだけど、今の恋歌を見てると凄くしっくり来る。担当は?」
「ボーカル。スナコも一緒に活動してて、秋には文化祭でライブするんだ」
「家族の中でも一番歌が上手かったもんな。ちょっと歌ってみてくれよ」
「……少し恥ずかしいけど、いいよ」

 恋詞に歌声を聞いてもらう機会なんてきっともう訪れない。断る理由なんてなかった。せっかくなら二人とも知っている曲が良いなと思って、昔二人ではまっていたドラマの主題歌を歌うことにした。出会いと別れをテーマにした切なくも前向きな楽曲。今の私達にはピッタリだ。
 夏の日差しをスポットライトに、たった一人の観客のために魂を込めて歌唱した。気合いが空回りして一ヶ所を歌詞を間違えてしまったけど、動じずに最後まで歌い続ける。

「とても良かった。また恋歌の歌が聞けて嬉しいよ」

 汗と呼吸を整えて顔を挙げると、恋詞は笑顔で私に拍手を届けてくれた。その顔を見て緊張していた私も自然と笑顔になれていた。恋詞に歌声を届けて笑顔を分かち合うこの一時が、幸せで仕方がない。

「恋歌。今の自分は好きか?」
「どうしたの急に?」
「俺らしく振舞おうって無理してないかって、ちょっとだけ心配になって」

 自分では直情的だと言っていたけど、昔から恋詞はここぞという場面では勘の鋭い一面があった。確かに悩んでいた時期もあった。恋詞を理想として自分を変えていって、全てが良い方向へと進んでいった。だけど、ある時ふと思ってしまった。これは本当の私なのだろうかと。だけど今は違う。こうして恋詞ともう一度だけ会うことが出来て、私はより一層その確信を強めた。

「確かに無理をしていた時期はあったと思う。最初は良くも悪くも全力投球だったから悩んでる暇もなかったけど、新しい環境でだんだんと私の存在が定着していくうちに、本当の私って何だっけってさ」
「俺も似たような感じだ。望んで憧れを演じているくせに、どこかでこれは本当の俺なのかと考えてしまう自分がいた」

 迷うことなく突き進める恋詞でも、やっぱり私と同じ悩みを抱えていたんだ。だからこそ分かる。私の知っている恋詞なら、私と同じ結論に至ったはずだ。

「だけどね。こうして言葉にしてみて分かった。始まりは憧れを演じることだったかもしれないけど、無理していたら絶対に続かない。友達とファッションの話で盛り上がるのも、部活で青春するのも全部大好きだもの。どれもこれも、本当に好きじゃないと続けられていないと思う」

 私の言葉に、恋詞は優しい笑顔で力強く頷いてくれた。分かっていたよ。今の自分について語る時の恋詞はとても活き活きとしていたから。もちろんそれは私も同じだ。今の自分が好きじゃなければ、あんなにすらすらと言葉は出てこない。

 憧れの恋詞を真似る行為を、私は蝋の翼だと思っていた。片翼を喪った比翼の鳥は、何かで片翼を代用しなければ飛び続けることが出来ないから。
 だけど、それは最初から勘違いだったんだ。
 私達は確かに一緒に飛んでいた。翼を共有し合う比翼の鳥としてじゃない。本当はきっと、自力でも飛べるはずの怖がりな二羽の鳥が、身を寄せ合っていただけなんだと思う。距離が近すぎて、相手無しでは飛べないのだと、そう思い込んでいただけだ。
 再び羽ばたけたのは代用品の蝋の翼のおかげじゃない。私達はきっと、一人で飛ぶ方法を思い出して、自分の翼で新しい世界へと羽ばたいたんだ。

「私は今の自分が好き。大好きだよ」
「俺もだ。今の自分が気に入っている」

 この気持ちに嘘偽りはない。今なら胸を張って言える。憧れを演じたのはあくまでもきっかけに過ぎない。その先で私達は新しい自分に出会ったんだ。

「長居は出来ないんだったよな。そろそろ……な」
「そうだね」

 恋詞は優しいね。切り出しにくいことを私に代わって口にしてくれて。忘れてなんかいない。私はこの世界にとって異物だ。案内人さんはまだ猶予を与えてくれているけど、早く元居た世界に戻るに越したことはないだろう。本当はもっと恋詞と一緒にいたい。色々なことを話したいけど、これ以上のリスクは犯せない。お母さんを悲しませるわけにはいかないから。

「それじゃあ、行くね」
「ああ、気をつけて」

 お別れの言葉なんて出てこない。涙を隠すために背を向けるのが今の私には精一杯だった。別れがこれ以上辛くならないように、このまま振り返らずに、下で待つ案内人さんのところまで一気に駈け下りよう。

「恋歌!」

 名前を呼ばれ、反射的に立ち止まり、振り返った。

「十七歳の誕生日、おめでとう!」

 そうだよね。別れの言葉はいらなくとも、それぐらいはお互いに伝えてもいいよね。今日は私達兄妹の誕生日なんだから。

「恋詞! 十七歳のお誕生日、おめでとう!」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、精一杯の思いを込めて、私達が出会ったこの日を祝福した。

「元気でね。恋詞!」
「恋歌も元気でな!」

 もう振り返らない。私は坂道を一気に駈け下りた。


「本当に、普通に扉を開けて帰宅するだけでいいんだね?」

 私はスナコの体を借りた案内人さんと共に、自宅の玄関前まで戻って来た。
 
「アタシを信じたまえ。その扉の向こうは君が元居た世界さ。中に入ったら一度扉をしっかりと閉めて。それで世界の繋がりは途絶えるから」
「分かった」

 鍵を開けて、大きく深呼吸してから玄関の扉を引いた。玄関から覗く廊下の様子に変わりはなく、玄関扉を挟んで別々の世界だという実感はまるで湧かない。

「この後スナコはどうなるの?」
「こっちの世界のお嬢ちゃんは、アタシが体を借りていた間の記憶が違和感のない形に修正されて、元の日常へと帰っていくよ。妹ちゃんの世界のお嬢ちゃんの方には、そもそも何の影響も及んでいないのでご心配なく」
「まるで長い夢を見ていた気分だよ」
「さっきも言ったけど、今回起こったそれは将来的には科学的に説明のつく事象だよ。つまり、今回の出来事は夢でも奇跡でもない。妹ちゃんやお兄ちゃんにとっては、辿るべき必然だったと捉えるべきだよ」
「必然か。奇跡と言われるよりも嬉しいかも。案内してくれてありがとうね、案内人さん」

 中身の違う見慣れた顔に別れを告げ、私は元居た世界へと帰宅した。
 案内人さんに言われた通りに玄関の扉をしっかりと閉める。これでパラレルワールドとの繋がりは途切れるらしいけど本当かな? 正直まだ半信半疑だ。

「ただいま。恋詞」

 元居た世界への帰還を実感したのは、恋詞の遺影にただいまを言った瞬間だった。
 パラレルワールドの恋詞へ。私は無事に元の世界へと戻ってきました。あなたと会えて、あなたと話せて、本当に良かった。私は私の世界で、これからも頑張っていきます。恋詞のことも、こちらの世界から応援しています。お互いにお互いの世界で、家族を大切に、健康第一に、一日一日を過ごしていこうね。

「今なら何か書けるかも」

 恋詞との再会が、私の中のもう一つの翼を癒してくれたような気がする。今日は久しぶりにアイデアノートを開いてみよう。


 十月になり、私の通っている高校は文化祭当日を迎えていた。
 私の所属する軽音楽部は体育館のステージでの演奏を控え、最後の打ち合わせをしていた。これまではコピーバンドとして既存の楽曲を披露してきたけど、この日は新しいことに挑戦する。

「いよいよ本番か。緊張するな」
「大丈夫。恋歌が本番に強いことは私が一番よく知ってる。最高の音楽を観客に届けようぜ」

 ベース担当のスナコがサムズアップで私を勇気づけると、ギターのサリーとドラムの柚子(ゆず)も追随して笑顔で頷いてくれた。

「任せて。全員のハートを奪ってやるんだから!」

 私も気合十分だ。今日届ける曲は私にとっても大切なもの。緊張よりも高揚感の方が遥かに上回っている。

「スワローウイング。テイクオフ!」

 バンド名とお決まりの掛け声で気合いを入れると、私達スワローウイングは体育館のステージへと上がった。

「今回披露する曲は、私達が初めて作ったオリジナル曲です。メンバー全員の思い込められたとても大切な一曲となっています」

 私は作詞担当としてこの曲の製作に携わった。パラレルワールドで恋詞と再会したあの日から、私は再び創作活動に向き合い始めた。アイデアノートを開くのは久しぶりだったし、最初はなかなか感覚を取り戻せなかったけど、染みついた経験は決して失われてはおらず、少しずつ詩を書けるようになっていた。
 そうして完成した詩を、勇気を出して親友のスナコに見せたら、これを元に楽曲を作ろうと提案してくれた。そこからメンバー一丸となって楽曲を完成させ、今日この文化祭の日に初お披露目となった。

「お聞きください。『この翼でどこまでも飛んでいける』」

 目の前の観客に、天国の恋詞に、パラレルワールドの恋詞に、届け私の歌。
 私はこの翼でどこまでも飛んでいける。

 

 了