それは理解していた事実だったが、先程の会話の中で感じ取った、逆に彼の何かが自身と共鳴し、救いを求めているような……そんな自惚れと勘違いしそうな予感があった。
 それが、どうしようもなくアマリを駆り立てていたのだ。それが何という感情なのか、動力なのかも……わからないまま。

「貴女様のその心持ちは美徳ではございますが、場合によっては、ご自身を窮地に陥れる要因にもなり兼ねません」
「……ありがとうございます。すみません。こんな事……」

 暫し、気まずい空気が流れたが、改まるように、アマリは願い出る。

「カグヤさん」
「はい」
「あの……早速ですが、明日……少し、ご一緒くださいますか?」


 翌日の昼過ぎ。アマリはカグヤと共に、以前に窓から見た池囲いの庭園を訪れた。暫く外の空気に触れていなかった彼女を案じ、カグヤは了承してくれた。
 離れから少し歩いた先にあり、対岸側は茂みと木々が埋めている。外敵を避ける為か、囚人が逃げ出せないようにする仕様なのか、規模の大きな池だ。だが……

「花が……無いのですね。一つも……」
「あまり華やかに見立てるのは、陰の身である長様の一族の都合上故……でございます」
「そう……ですか……」

 この屋敷や彼の事情をよく知らないアマリには、カグヤの説明が半分も理解できない。

「アマリ様は、花を()でられる御趣味があるのですか?」
「あ、はい。そうです……」

 嘘ではないが、内心慌てた。花能(はなぢから)の事だけは、知られていない状況なので安堵していたのだ。あれだけは、ばれてしまってはまずい……
 話を逸らすように視線を庭に向ける。石造りを基調にした敷地は、静寂に包まれた厳かな空間だ。だが、どこか哀愁が漂う。そんな庭園を、アマリはぼんやりと眺めた。
 あの冷徹な厄神らしいとは思うが、どこか寂しげで殺風景にさえ見える。せめて、もう少し緑が増えたら良いのに……と、余計な世話だが思わずにいられない。

「私は少し離れた場所におります。どうぞごゆっくり御観覧下さいませ」
「あ、ありがとうございます」

 久しぶりの外の景色に夢中になっているアマリに気を利かせてくれたのか、カグヤはそっ、とさりげなく一人にしてくれた。
 彼女の姿が茂みの向こうに見えなくなった頃、ぽつり、と呟く。

「濁りがあまり無い…… 水が綺麗なのね……」

 実家の池に咲いていた(はす)や睡蓮を思い出す。水底の泥までも吸い上げ(かて)にし、それでも美しい花を魅せる。そんな生態が奇妙だと言う者もいたが、そんなたくましい生き様に、アマリは憧れていた。

 そんな中、覚えのある強い視線を感じた。何かを予感しながら首を向けると、少し離れた松の木の陰から、二つの紅珊瑚が見え隠れている。

「また、貴方ね…… 来て?」

 宙を扇ぐように、ふらり、と片腕を差し出す。すると、バサッ、と焦げ茶の翼をはためかせ、その(たか)――黎玄はアマリの側の石積みの置物に留まった。動物が好きなので、少しばかりだが自然と気が明るくなる。少し離れた所にかがんで、澄んだ瞳を見つめた。

「……()()()は……貴方が長様に知らせてくれたのよね? ――レイゲン。綺麗な響き……どんな漢字を書くのかしら」

 黎玄もだが、厄神であり界の長である彼の正式名も、アマリは知らない。微かに苦笑を浮かべ、続ける。

「ずっと私を監視して、あの方に報告していたのでしょう……? 貴方も忠実で、律儀ね」

 主である荊祟(ケイスイ)としか精神感応(テレパシー)を行わない、また出来ないように仕込まれているので、黎玄はずっと直立不動のままだ。澄んだ眼差しを向け、何かを観察し、知ろうとしているのはアマリも(さと)っていた。
 自分が隠している企てや人族の情報なのだろうが、この鷹を見ていると、何とも言えない複雑な思いがわき上がる。あの夜のやり取りの様子だけでも、彼に脅されたり、無理矢理従わされている訳ではないのが判ったからだ。

「貴方のご主人様は……本当に、不思議な方ね……」

 少なくとも一人の従者……そして、物言わぬ利口な動物にまで、相棒とはいえこんなにも慕われ、信頼されている。そんな妖厄神への不可思議さや違和感が拭えないまま、彼の判断を待つしかない……
 いつまでこんな日々が続くのだろう……という不透明感、不安定さが、再びアマリを追い詰め始めていた。


 翌日の夕刻前。『本日、長様がいらっしゃいます』と朝にカグヤから聞いていたアマリは、以前とは違った意味で身構え、同じ身仕度、離れの部屋で、荊祟と再び対面していた。
 自分の処遇について、今度こそ何か言われるかもしれないという不安。そして、彼と話がまた出来る機会に対し、期待めいたものが何故か淡く入り交じるという、矛盾した思いが交差する。

「この屋敷に、だいぶ慣れたようだな」
「は、はい」
「庭園はどうだった。見たのだろう?」

 やはり……と複雑な思いがわき、(うつむ)く。予想通りだが、改めて面と向かって直視すると、無表情ながらも澄んだ琥珀の()が、とっくに全て見抜いているのではないか……という錯覚を起こす。

「お前の考える通り、黎玄を(かい)し監視していた」

 そんなアマリの心情を代弁するように、長は続ける。

「お前の処遇についてだが…… 未だ家臣と揉めている。亡き者にしても生かしても、何も変化が起こらないと人族が知れば、いずれ我らに仕掛けて来るだろうからな」

 何と答えたら良いか判らず、きつく唇を結ぶ。いずれにしろ、自分に決定権は無い…… 彼の判断を受けるしかないと、梅鼠(うめねず)の羽織の裾を握り締めた。

「――お前の異能は、何だ」

 反射的に、思わず顔を上げた。彼の表情は変わらないままだ。いつかは問われるだろうと予測はしていたが、突然、核心部を突かれ固まり、息が詰まる。

()えて、わざわざ此処(ここ)に送り込む。我らに加担するはずも無い。何かの先攻術では……と、(それ)なりに色々と推測したのだがな……」

 絶対に言えない。言ってはいけない、とアマリは気を引き締める。だが、このまま黙っていたら、さすがに拷問されて吐かされるかもしれない…… 口内が渇き、額に冷や汗が滲んだ。
 そんな彼女を、眼前の厄神は(あご)に掌をあて探るように、興味深そうに観察していた。
 どくどくどく、と心臓が痛い位に暴れている。この危機をどうやり過ごすべきか判らず、アマリは沈黙していたが、やがて、ずっと聞きたかった疑問……違和感を、口から漏らした。

「貴方様、こそ…… 何故、人族の地を荒らすのですか……?」
「災厄でも起こさねば、人族の者共は次第に図に乗るだろう? 自分達が世で最も高尚で、選ばれた生物だと(おご)り、界の富を好き勝手に使い始める」

 自問を()らされた事など何でもないようにかわし、荊祟は言い放った。

「それを戒めるには、自然の厳しさや目に見えぬ存在の脅威を見せつけるしかなかろう? それでも時が経てば忘却し、再び似たような事を始め出すが」

 学んだ歴々の知識しかなかったが、彼が言いたい事、主張は理解出来なくはなかった。だが、一人の尊巫女として見てきた現実が、アマリにもある。

「……だからと言って、その為に、何も罪の無い方々の命が苦しみ、奪われても良いとは……思えません」
「……そうだな。出来るなら俺も、そんな者達を殺したくはない。だが……」

 腰元の日本刀の(つば)をチン、と鳴らし、(さや)に左手をかけたと思った瞬間、俊敏な手さばきで、荊祟はアマリの首筋に鋭利な切っ先を当てた。鈍く光る危険な殺気、鋼の冷たさが、彼女の柔い素肌にひやり、と主張する。

「もし、お前が今、俺に殺されなければ…… そうだな…… 例えば大火を起こすと言ったら、お前の同族はどう出るかな」
「それ、は……」

 首筋に感じる感触と同じく、痛切な厄神の問いが、アマリの言葉と息を止めた。