「きみは同級生くんとは仲良くなかったんだよね。ただの同級生ってだけで」
「え? ああ、それはまあ」
「じゃあ何を根拠に同級生くんが自殺なんかしないって思ったの? 彼がいなくなってそれを意外だと思ったのはどうして? 光属性って、誰が最初にそう言ったんだろうね。それなのにアオハルくんの中で彼はもう死んだことになってるのはどうして? 行方不明と死は同じじゃないと思うんだけど」
シマさんの怒涛の問いかけに僕は口を噤んだ。シマさんよりかはまだ僕のほうが仁科のことを知っているはずなのに、彼女の言い分を否定するだけの思考を、僕は持ち合わせていなかった。
ニュースを聞いて意外だと思った。僕の知る仁科翼がそんなことをするような人に思えなかったからだ。
楽しく人生を謳歌しているくせに死にたくなるような悩み事を抱えているなんてありえない。何でも持っていたくせに、捨てたくなるような自分を隠していたなんて、仁科に限ってあるはずがない。
仁科翼は消えた。彼の生死に関する真実は、誰も知らない。
けれど僕は、仁科は死んだのではないかと思い込んでいる。警察が自殺の可能性も視野に入れているとニュースで言っていたからだ。いちばん最初に目や耳に入った情報を正解だと思い込んでしまう。大体の人間に、そういう傾向があると思う。そしてそれは、僕も然りだ。
「同級生くんが零から百までアオハルくんや周りが思うような人だったっていう保証、どこにもないよね。彼がいなくなったのが事件なのか事故なのか故意なのかすらなんにもわかってないんでしょ」
「それはそうですけど……」
「ね。だから、憶測で人のことを勝手に決めつけるのは、想像力に欠けると思うな」
シマさんの言ったそれは他人事のようで、だけど一概にそうとも言い切れないような、意味をたくさん含んだ言葉だった。
「ちょっとだけ、関係ない話してもいい?」
何も言えずにいた僕に、彼女は静かに語り掛ける。
「人にわかってもらえないってねえ、思ってる何倍もつらいことなんだよ。最初は頑張るんだけどさ、だんだん受け入れてもらうことを諦めて、周りの〝普通〟に合わせるのが癖になっていく。自分が勝手にやってることだってわかってても、時々苦しくてどうにもできない時もあるの。なーんでこんなに生きづらいんだろうねえ……」
何かを思い返すようにシマさんがぽつぽつと言葉を起こす。想像力に欠ける僕は、彼女の言葉の意味を半分も理解できていなかった。
周りの〝普通〟に合わせることは、そんなに大切なことなのだろうか。
負担になるような人間関係は、生活の邪魔をする。周りに人がいればいるほど悩みは増えて、居心地が悪くなる。だから僕はひとりが好きだし、ひとりでいたいと思う。そのほうが、無理して人と同じ歩幅で歩くよりよっぽど楽に呼吸ができるから。
そうは思っても、シマさんの前でそれをどう言葉に起こしていいかわからない。返事に窮する僕の思考を見透かしたように、彼女はハハ、と小さく笑った。
「言ってる意味がわかんないって顔してるね」
「……いや。すみません」
「いいの、謝ることじゃないから。でも、みんながみんなアオハルくんみたいにひとりを好むわけじゃないからさ。弱さを見せることが苦手なひともいるんだよ。何かしらの理由があって敢えて言わない人とかもいると思うし、そもそも自分の弱さを自覚してない人もきっといる。ひとりになりたくてもなれない人とかもね」
みんな別々の人間だからしょうがないんだけど。そう言ってシマさんが息を吐く。少しの寂しさと諦めを含んだような声色に、どうしてかちくりと胸が痛んだ。
「私だってそうなんだ」
「え?」
「私が大学出てからもここでバイトしてる理由なんて、人にへらへら笑って言えるようなことじゃないし」
僕が知っているシマさんは、要領が良くて、仕事が早くて、ユーモアもあって、容姿も淡麗で。きっとどこに行っても必要とされて、周りにたくさん愛されるような人。
そんな彼女が大学を卒業してからも継続してこの店で働いている理由を、僕は聞いたことがなかった。女性に年齢を聞くよりもずっとずっと触れちゃいけないことのように感じていたのだ。
聞いた話によると、シマさんは就職活動に挫折し、精神的に追い詰められていた時期があったそうだ。
彼女が大学四年生で就職活動の時期であることは周知の事実だったので、しばらく出勤していなくても僕は気にも留めていなかった。
大学を卒業したら就職するのがあたりまえ。家を出て、自立して暮らしていくことが平均的。友人は次から次へと内定が決まり、「シマちゃんはきっと大丈夫だよ!」と無責任な言葉をかけられ、なかな〝大丈夫〟になれない自分には苦しみが募っていった。
世の中が勝手に作り上げた固定概念にとらわれて、思考も身体も自分のものじゃないみたいに感じていたという。
それでも普通に頑張っているふりをして、周りに心配をかけないようにポジティブなふりをして、就職の話題が出るたびに「もうちょっとがんばってみる」と言ってやり過ごした。
頑張りたくないこと、頑張ることすらつらいこと、もう頑張れそうにないこと。それらを〝がんばる〟”ことは、とてもつらい。家族はそのままでよいと背中をさすってくれたが、それすらも鬱陶しくて煩わしかった。
「大丈夫なふりって、するだけ無駄だった。あんなにぼろぼろに生きてても、大学の友達も家族も誰も見抜いてくれなかったんだもん。あの時の私、全然、ひとつも大丈夫じゃなかったはずなのに」
シマさんは、そう言っていた。
本人の口から聞いた事実は、僕が知っているシマさんからは想像もできないことだった。
「意外だった?」
「……そう、ですね。正直言うと、シマさんは悩みがなさそうだって思ってました。なんでもうまくこなせていいなって。同い年だったら僕は多分シマさんのことは苦手になってたまであります」
「わはは、言うねえ。アオハルくんの正直すぎるところ、嫌いじゃないよ」
「すみません」
要領が良くて、仕事が早くて、ユーモアもあって、容姿淡麗な彼女でも、ひとりで枕を濡らす夜があった。誰かに何かをわかってもらいたいと願う日々の中にいた。
それでも、シマさんは僕の前ではなんでもできるシマさんのままだった。多数派に上手に紛れ、弱さを隠して、普通に生きているふりをしていたのだ。
「弱いところを一度誰かに暴かれたら止まらなくなっちゃうんだ。自分はこういう人間だったんだって自覚するともうだめなの。終わりの始まりってやつ? この弱さは自分が死ぬまで一生付きまとってくるのかあって思ったらさ、消えたくなっちゃうよね、ホント」
「今も?」
「ううん。今はもう結構落ち着いてる。わかってもらいたい人には、ちゃんと大丈夫じゃないって言えるようになったから」
「……そうですか」
「急にごめんね。きみの同級生くんの話聞いたら、少し思い出しちゃって」
仁科のことは疎か、比較的親交のあるシマさんのことですら、僕は何も知らない。
面倒くさがっているふりをして、人と関わることから逃げている。
ひとりを好むのは、誰かに踏み込む勇気がないからだ。誰かの弱さに触れるのが、本当はとても怖かった。
「日本のニュースがどんなに噂を流しても、それが事実じゃない限り、生きてる可能性を信じ続ける人もきっといるんだよ。きみが〝日本中が泣いた〟あの映画で泣かなかったみたいにね」
「シマさん、僕は……」
「わかり合えなくていいから、わかろうとしてほしい。少なくとも私はそう願って生きてる」
ねえ、アオハルくん。
シマさんが静かな声で僕を呼ぶ。
「きみは、仁科翼くんの背景を考えたことはある?」
その質問に答えられない自分に、遣る瀬無い気持ちが募った。